アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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私の建築手法
妹島和世+西沢立衛/SANAA - 環境と建築
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2013 東西アスファルト事業協同組合講演会

環境と建築

妹島和世+西沢立衛/SANAA
KAZUYO SEJIMA + RYUE NISHIZAWA / SANAA


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質疑応答
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小さいものから大きいものまで、白を主に使われる最大のメリットは何でしょうか? また、建物の寿命についてのお考えをお聞かせください。ある程度大きなものでは、保全のしやすさなども考えて設計されていらっしゃるのでしょうか。
妹島

「白い」という印象を持たれたかもしれませんが、実際に白い色を使っているのは「ROREX ラーニング センター」の天井だけで、そのほかはコンクリートの床やアルミの壁、木の壁などで、白は使っていません。もちろん美術館などでは白いものが多くなっていきますが、今日お話した作品では白のものは少ないです。そうは言っても、濃い色の石を使ったりはしていませんし、アルミや薄い色の石が主なので、白い印象が強いのかもしれません。光に関しても、明暗に強いヒエラルキーをつくらず、どこも同じような明るさで自由に歩いたりサーキュレーションを選択できる空間や建築をつくろうとして、均質に光を入れていくので、白くはないのですが、明るい色調の空間になります。光がアルミやガラスなどで拡散されて、白っぽく感じられるものになっているのだと思います。

私たちは材料そのものの質感や色を生かしながら使いたいと思っていますが、材料を扱うには訓練や経験が必要なので、使える材料が限られてしまっています。これからもっといろんな材料を使っていきたいと思っています。

ふたつ目の寿命の話ですが、できるだけ長く、耐用年数のあるものをつくりたいと思っています。ただ、何をやっても完全にメンテナスフリー、というのは難しいと思っています。むしろ人びとが大切にしたいと思ってもらえる建築をつくりたいと思います。

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妹島さんは以前、伊東豊雄さんの事務所にいらっしゃいました。伊東さんはかつて重力に抵抗するように本当に軽い表現に挑戦されていましたが、その時の影響はどのように感じておられますか。
妹島
「PLATFORM」内観。
「PLATFORM」内観。

伊東さんの事務所(伊東豊雄建築設計事務所)を辞めてから25年以上経っているので正確な記憶ではないかもしれませんが、私が務めていた時に、伊東さんに「お前が担当すると建築が重くなる」と怒られていたことを思い出しました。辞めてから、最初に「PLATFORM(1988年)」という住宅をつくったのですが、伊東さんに雑誌か何かで見ていただき、「どうしたんだ、辞めたら突然軽くなったじゃないか」というようなことを言われたのを覚えています。私としては、軽いことがどういうことなのか、伊東さんのところに勤めている時にはよく分からなくて、どうしたら伊東さんがよいと思ってくださるものをつくれるのかと考えていました。伊東さんのところでは、いろいろと頭で考えたり、二次元のものを実際に立体のものにしていくプロセスや、抽象的なものを具体的にし、具体的なものをどう抽象的に考えられるかというプロセスを教えていただきました。当時の伊東さんの興味がそうだったかどうかは分かりませんが、私が在籍していた頃は、そういうことを教えていただいたと思っています。

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2020年のオリンピック開催地が東京に決まりましたが、これからの7年間とその先について、今、建築を学んでいる学生に伝えることがありましたらお願いいたします。
妹島

オリンピックという点からは分かりませんが、私の中ではやはり震災のことを引きずっています。私たちは、ボランティアのようなかたちで話し合いに参加しているだけですが、被災地に関わることから街をつくることについて考えています。私たちは日常的に、街は自然にあるもの、あるいは与えられているものだと思っていて、自分から積極的には関わっていない、関わる努力すらしていない、ということに気付かされました。訪れている宮城県東松原市の浜の方々は、自分たちの子どもたちのためによい街をつくりたいという強い想いから、自分たちで街づくりに取り組んでいます。街を自分たちでつくるんだ、ということを教えられました。それから、暮らし方と共に集まり方についても考えています。インターネットでどんどんいろんな人と繋がっていく繋がり方や、具体的な場所で繋がることもあると思いますが、いろんな繋がり方を合わせながら人は集まっていけると思います。

オリンピックが決まったからというより、若い人がこれからどのような住環境をつくっていくのか、ということを考えたり提案していってほしいと思います。若くない人も、それに耳を傾けたり、意見を交換してアドバイスしていけたらよいのかなと思います。

——
新国立競技場について、1等案なったザハ・ハディドさんの案は、かなりの大きなボリュームで景観的に問題があるなど、オリンピック終了後の負担が懸念されています。妹島さんと西沢さんの今回の新国立競技場のコンペに対する印象と、ザハさんの案についての感想、コンペに参加されて考えたことなどについてお聞かせください。
西沢

実は、われわれも新国立競技場コンペに参加して負けました。と言ってもわれわれはスタジアム経験はそれほどなくて、過去にスペインのサッカーチーム、FCバルセロナのスタジアムを設計するコンペに参加したことが一度あったくらいです。今回の新国立競技場コンペに参加した印象としては、図書館やいろいろなものが付属していて、バルセロナのスタジアムの時に比べてすごく大きなものだと思いました。8万人という収容人数も、ロンドンオリンピックの時は仮説の観客席を設けて対応していたというのを聞いていたので、相当大きいなと思っていました。全天候型ということで、スタジアムというよりは、ライブコンサートなどのイベント会場という位置付けだと思います。

バルセロナのスタジアムを見に行った時に感動したのは「興奮のるつぼ」と表現したくなるほどの、濃密な空気感があったことです。観客席の傾斜が急になっていて、スタジアム全体に一体感が生まれていて、これはすごいと思いました。われわれも建物を開くということはやっているのですが、スタジアムを物理的に開いてしまうと、ワールドカップなどを行う「興奮のるつぼ」にならないと思いました。傾斜を急にすると建物がすごく高くなってしまうので、角度をどのくらいにするかが問題になります。スタジアムをいくつか見学して思ったのは「興奮のるつぼ」を演出するために、より一体感を目指して観客席を急にすると、フィールド空間は立体的になって盛り上がるんだけれど、片方でその裏のホワイエや街側は階段席の裏の構造体が露わになり、街から見た時に裏側が見える格好になってしまうことです。街から敷地に入っていって、競技場に行くまでに気持ちが高揚していく空間、魅力的なアプローチがあって、ホワイエがあって中には入っていく。帰りも興奮冷めやらぬ中で帰路につく。その体験すべてが思い出となるようなスタジアムを作りたいと思いました。

カール・フリードリッヒ・シンケル(1781〜1841年)の「コンツェルトハウス(1821年、1984年に再建)」や「ザルツブルグ大祝祭劇場(1960年、設計:クレメント・ホルツマイスター)」などは、その体験をうまくつくり出していて、ホール内は音楽のために閉じているけれど、経験としては決して閉じていない、街の個性と繋がったコンサートホールになっています。そういうことが、オリンピックのメインスタジアムやワールドカップの会場でもできるとよいと思い、新国立競技場コンペに応募しました。競技の「興奮のるつぼ」空間だけでなく、そこに至る人びとの動線、街と建築の連続感と調和を考えて、ランドスケープの一部のようなものを考えようと。競技フィールとは閉じて観客と競技者の一体感があるけれど、経験としては内外が繋がっているものをつくろうとしました。かたちとしては、ひだのような花びらのようなかたちで、どこからでも建物に入っていけるような、花弁が幾重にも重なるような、ファーサイドのないものを考えました。バルセロナのスタジアムの時に失敗したように、中だけがあって外は全部裏、という中と外が断絶したものにしないために、競技フィールドを凹ませて下げて、客席が立ち上がるのではなく、なるべく地下に埋めるように低くすることで建物の端を低くしました。自分たちのイメージに近いものができたと思いましたが、負けて非常に残念でした。

妹島

規模は大きいなと思いながら、それがどのくらい異常なのかは分かりませんでした。経験がないということもありますし、8万人分の観客席が埋まることがあるのだろうか、最近のオリンピックが仮設で対応しているという状況からするとどうなのだろう、とも考えていました。高いところがある代わりに低いところもあると、周りに繋がっていけるのではないかと思っていました。

西沢

ザハについてですが、僕はザハの建築が好きで、いくつも見ました。ザハにはたぶん建築でなくてもよいというか、建築でも家具でも彫刻でも何でもよい、スケールにはあまり興味がない人だと思います。そういう人なのに、つくった建築のスケールがすごくうまく行っていると感じるものが多くあって、ある種の天才ではないかと思います。彼女がやっている活動が、宝石から大建築までスケールを問わないものであるにもかかわらず、「ヴィトラ社の消防ステーション(1993年)」も、「ストラスブール・バス・ターミナル(2001年)」も、ローマの「国立21世紀美術館(MAXXI、2010年)」も、どれもスケール的にすごくうまくいっていて、興味がなくても本能的にやれる才能の持ち主だという印象です。

今回、ザハのスタジアムのパースを見て、あまりに大きくて驚きました。彼女は本当にやれるのかと思う反面、彼女だったら何とかするのだろうか、よく分かりません。でも今までの彼女の作品を見ていると、スケールを超越したことをやりながら、結果を出してきている。そういう人であることは間違いないと思います。

——
建築が建つことで、実際にだんだんと風景が変わっていく時に、自分が設計しながら考えていた状態と違うと感じることもあるのではないかと思いますが、そのことについてどのようにお考えですか。
西沢

たとえば「金沢21世紀美術館」は金沢の兼六園の向かいの敷地だったのですが、元もと学校だったところなので、柵があって、兼六園から西側の片町方面へと向かう時に、敷地内を横切ることができず、ぐるっと迂回しなければなりませんでした。そこが美術館になるということで、われわれは建物を中央に置いて敷地の周りの柵を取り払うことで、どこからでも敷地に立ち入れて、誰でも自由に横切れるようにすることを提案しました。でもそれが実現して、人がわっと駆け抜けるように横切っていく様子を見て、想像していたイメージを超えるようなダイナミックさを感じました。提案した時にどこまで、ああいった開放感について分かっていたのかというと、よく分かっていなかったのではないかと思います。でき上がってみて、なるほどなと思うことはすごく多いですね。

妹島

「ルーヴル・ランス」は、片流れの屋根が架かり、緩くカーブしていて、また建築全体が丘の傾斜に沿って下がっていくというもので、ボリュームが立ち上がってきたのを見て今までとは全然違うと感じました。模型で見ていたものとも違う印象でした。

元もとカーブがテーマだったわけではなくて、四角からスタディを始めたのですが、大きい建物なので、まっすぐに伸ばしていくと敷地から出っ張ってしまったり、カバリエなど周囲の産業遺産にぶつかってしまうのです。そこで、既存の地形や遺産物にぶつからないように、ボリュームを繋げる時に少しずつカーブさせていきました。屋根も敷地の傾斜に合わせて片流れで徐々に下がるようにしています。場所に合わせて調整していったので、ものすごく大きい建物だけれども、自然に馴染むものになりました。まっすぐにつくったら暴力的で、地面から切り離された彫刻的なものができたのではないかと思います。カーブは地形に繋がるような大きなものなので、視覚的にはあまり分からないけれど、経験として感じます。こうやったらうまくいくかなと思って設計したことと、体験して感じるものとでは全然違うものなんだなと思いました。

展示の仕方についても、壁を使うより今のように展示台を使う方が、作品の裏側も見えるし、ぐるぐる回りながら見られてよいのではないかと思っていましたが、実際にセッティングが始まったら、本当に展示物との距離が近くて驚きました。こんなに近くてよいのだろうかと、こちらも不安になるほどでした。同じ距離でも壁に展示されたら、「こちらは展示ですよ」と意識して、1メートルくらい離れて見ますよね。でも今回は展示台にしたことで、どこまでも展示台に近づくことができてしまうというか、すごくパーソナルな距離感になるのです。展示物とそれを見る人の関係が変わったようにも感じました。

その時どきで、いつもいろいろなことにチャレンジしているわけですが、チャレンジしていることと別のことを教えられたり、予想外のことも多いです。それはそれでよいことだなと思っています。

——
今回のテーマ「環境と建築」について、内部の使い方を考えることがそのまま環境に繋がると良いと思ってますが、繋がった結果、必ずしも内部空間が豊かになるとは限らないと思います。そのあたりはどのようにお考えですか。
妹島

外にどんどん繋がっていった時に、どれだけ中のプライバシーを守れるかという問題があると思います。単純に「見える/見えない」の問題ではなく、その部屋のよさを保つことができるかという意味のプライバシーです。完全に外から切り離されたところででき上がるものよりも、中と外が何らかの関係を持っているものをつくりたいと思っています。ローカルな条件と無関係に建つ建築ではなく、街の雰囲気や気候、文化に合う建築です。ただ、中と外が繋がることで、空間の魅力が犠牲にならないように考えたいと思っています。

西沢

中と外を繋げると言っても、必ずガラス張りにするとか、閉じようのない建築をつくるとか、内部空間がなくなるとか、そういう意味ではありません。また、建築物として閉じていてもなお街と繋がっている、社会に繋がっているという建築はいっぱいあります。たとえば、バリのルーヴル宮は空間としては閉じているのですが、経験としてはパリの街と繋がったかたちで体験されます。人びとはみな、閉じた展示室を経験するわけではなくて、まずパリにきて、美しいパリを経験して、セーヌ川の川沿い空間を経験して、中のルーヴル宮の美しさを見て、美術館を感じて、というように、パリとルーヴル宮と美術作品とは、人びとの経験の中で連続するのです。その全体を経験して、人びとは感動したりしなかったりする。建築がガラス張りか否かという話ではなくて、建物が閉じていたとしても、美術館の中身の魅力とパリの美しさは連続的に経験される。そういう意味でわれわれにとって「閉じる/開く」ということや「中も外もない」ということは、環境と建築の調和を重視しているということです。


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