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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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伊東 豊雄 - 明日の建築を考える
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2015 東西アスファルト事業協同組合講演会

明日の建築を考える

伊東 豊雄TOYO ITO


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質疑応答(東京会場)
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伊東さんは建築の設計にとりかかられる際、あるスタイルがあってそれに基づいて設計されるのか、それとも、敷地のコンテクストを見てから設計されるのか、設計のきっかけについて教えていただけますか。
伊東

よく人からは、私の建築はひとつひとつ違うと言われます。たとえば、安藤忠雄さんは同じスタイルで建築をつくっていらっしゃいますよね。私にはそれができないんです。なぜかと言うと、ひとつには、敷地やそこの土地柄を見ながら、そこに住んでいる人たちとできるだけ話し合いながらつくっていきたいと思っているからです。ただ、コンペティションだと、こういうものをつくりたいと最初に提案してからスタートするので、どうしてもそういうことをしにくい状況になります。「みんなの森 ぎふメディアコスモス」では、岐阜出身の日比野克彦さんが地元の人たちと私たちを繋いでくださったので、コンペティションによる提案から始まったプロジェクトでしたが、地元の人たちとこの建物をどのように使っていくかを、建設中からかなり相談することができました。その結果、オープンしてからもいろいろな活動が活発にできているようです。

「台中メトロポリタン・オペラハウス」の場合には、日本から離れた場所だったということもあるかもしれませんが、私たちがコンペティションで提案してから完成まで10年以上かかり、もう本当にだめかもしれないと思った時期が何度かありました。設計はもちろんかなり大変でしたが、これは私たちだけでもなんとかすることができます。しかし、施工はそうはいきません。設計が終わって入札にかけた時には、いくら説明会を行っても手を挙げてくれる建設会社がありませんでした。本当は、日本の建設会社にやっていただきたかったのですが、こんなものとんでもないと、どこにも手を挙げてもらえませんでした。もうだめだなと思った頃に、おそらく市長からやれと言われて、今の建設会社がしぶしぶ手を挙げてくれました。その時点では、最終的にお金がいくらかかるのか、工期がどのくらいかかるか、どうやってつくっていくのか、まったく分からない手探りの状態で、そこから建設会社と役所とわれわれ、三者三様に膝を付き合わせて少しずつ進めていきました。

最初は5、6年で竣工するはずだったのですが、10年かかってもまだできていません。日本だったらとっくの昔に私はクビになっているでしょうし、建設会社もそうかもしれません。さらに言うと、当然、社会問題にもなっていると思います。もちろん台湾でも、われわれと建設会社、役所との間では毎日のように、「お前が悪いからこんなに進まないんだ」とか、「こんなものつくってられるか」という言い合いを、延々と続けていました。いまだに書類は段ボールに山のようにあって、終わった時に訴訟になるかもしれないというリスクもまだ残っています。それでも、工事が完了するとみんな抱き合って喜ぶんです。そういう、緩さ、寛容さが台湾には残っていると感じています。

日本では、たとえばある企業がミスをしたら、あの会社はつぶれるんじゃないかと厳しく徹底的に追及します。もちろんそれは必要なことで、その企業も糾弾されなくてはならないのでしょうが、そういう状況をテレビで見ていると、今の日本はすごくみながいらだって神経質になってしまっているように感じます。日本は世界でも最も性能のよい社会だと言われていますが、そうやって制度や性能をどんどん上げていったその先に、いったい何が残るのでしょうか。本当にわれわれは幸せになるのでしょうか。そう考えると、私は、台湾のように、普段いがみ合っていても、何かあったら素直に喜べるような、そういう社会の方が好きですね。

質問への答えからは少し外れてしまったかもしれませんが、私は自分の建築のスタイルを決めたくないのです。その場所で出会った人たちと話し合いながら、あるいは、事務所やチームの人たち、エンジニアの人たちと話し合いながら、建築をつくっていくということに最大の興味があります。最初に、ひとつのテーマとしてこんなことをやってみようよということは私から提案しますが、そこから先は参加してくれたみんながそこにいろいろな提案をしてくれて、毎日毎日議論しながら、何かに向かって進んでいくというプロセスを大切にしています。ですから、ひとつひとつ違った建築になるのは当たり前で、それが私流というか、私にとってとても興味深いことなのです。

——
伊東さんは、われわれから見ると想像を超えるような建築をつくられていると感じるのですが、そういった建築をクライアントに提案する際に、ご自身がやりたいことをうまく表現し、共有してもらい、実現させるためにどういうことをされているのか教えていただけますでしょうか。
伊東

「台中メトロポリタン・オペラハウス」は、かなり極端な例でした。ああいうものは二度とできないと思っています。コンペティションの審査員にもよると思いますし、いろいろな条件が重ならなければああいった建築はできないと思います。それ以外のものは、そんなに変わっているとは自分では思っていないのですけどね(笑)。 とは言え、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」のコンペティションも本当にたいへんでした。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、このプロジェクトは三段階のコンペティションで、二段階目では、安藤忠雄さんや妹島和世さん、山本理顕さん、藤本壮介さん、石上純也さん、といった人たちが勢揃いしていて、これは絶対に勝ちたいと思いました。その後、三段階目に槇文彦さんと藤本壮介さん、私の三人が残り、大きなホールでプレゼンテーションを行いました。市長さんは審査の際に、槇さんがご提案された5階建ての案がいちばんオーソドックスでよいと思うと言っておられました。結局は、審査委員長の北川原温さんをはじめとする審査員のみなさんが私の案を選んでくださって当確したのですが、市長さんは、最初のプレゼンテーション段階での私の案が、実際にどんな建物になるのか想像がつかなかったらしいのです。

「せんだいメディアテーク」の時も、チューブという直径9メートルの太い柱のようなものが実際にどんな空間をつくり出すのか、私たち自身でも、模型をつくってもなかなか実感として分かりませんでした。今回の「みんなの森 ぎふメディアコスモス」のグローブも、その下の空間で本当に包まれている感覚になるかどうか、正直なところよく分からなかったんです。しかし、こういうコンセプトで、ここにみんなが集まってくるんですという提案をすると、市長さんは非常に理解の早い人で、これはおもしろいかもしれないとすぐに考えを共有していただきました。ですから、別に特殊なことをやってだまくらかしているわけではなく、提案には、そこに必然性がないとだめなのです。木で屋根をつくるにしても、集成材よりはヒノキ材を積層させた方が安く、かつ施工性がよいし、地元のヒノキ材を使うことができるというメリットがあります。さらに、グローブによる自然換気で、これだけ省エネになる……というようなことをきちっと説明すれば、必ず理解してもらえるのです。

私は基本的には、グリッドで均質な空間をつくることにすごく反発を感じていて、常になんとかもう少し元気が出るような建築をつくりたいと思っています。それが私にとっての建築をつくる大義名分なので、それがなくなってしまうと、建築をつくるエネルギーもなくなってしまいます。

今、地方都市で新聞社の設計をやっています。新聞社は完全に公的な企業ではありませんが、ある程度社会性を備えた企業と言えます。このプロジェクトはコンペティションではなく特命でお声掛けいただいたのですが、コミュニティデザイナーの山崎亮さんと組んで、まだ案が定まらないうちから、住民の人たちと一緒になって何度もワークショップを行い、自分だったらこういうものがほしいとか、もしこういう建築ができたらこういう活動をしたい、という意見をもらい、それらをまとめながらプランに落とし込んでいっています。現在、だいたい基本設計がまとまりつつあります。おそらく公共建築は、これからそういうやり方で設計していかないとまずいのではないでしょうか。今の、いわゆる住民参加というものはかなり形式的です。コンペティションで勝ったアイデアを見せて、「こういうものを私がつくらせていただきます」と住民の人たちにいきなり伝えても、納得してもらえるわけがありません。これは、私自身が東北での「みんなの家」で学んだことでもあります。公共の仕事は、これから変わっていかなくてはいけないと思っています。それは、建築家のアイデアをなくすということではなく、逆に、そういうところから建築をもっともっと社会の中に組み込んでいくことこそ、21世紀の建築をつくることと言えるのではないでしょうか。

——
現在伊東さんの事務所では、若いスタッフの人たちと一緒にものを創造されていると思います。最近の若い人たちは、どちらかというと合理的でスマートで、昔に比べて情熱が欠けている人が多くなってきているように感じるのですが、伊東さんは事務所で若い人たちとどのようなかたちで一緒に仕事をされているのでしょうか。また、若い人を育てるコツなどがあれば教えてください。
伊東

うーん、難しい問題ですよね。私の事務所出身の建築家には、妹島和世さんをはじめとして、90年代には、ヨコミゾマコトさんや曽我部昌史さん、柳澤潤さん、2015年に日本建築学会賞作品賞を受賞された福島加津也さんなどがいて、そのあたりの方たちとは、事務所にいた時に本当によく議論をしました。たとえば、コンペティションをやろうと言うと、彼らは私がよい案を出す前に自分が出すんだと意気込み、朝オフィスにいくと私の机に彼らの案が置いてあるということがよくありました。非常に活気のある時代だったと思います。それに比べると、今は少しおとなしいかもしれませんね。私が歳をとってきて、スタッフとの年齢のギャップが大きくなったせいもあるかもしれませんが、どうもそれだけではないみたいですね。議論することがあまり好きでなくなってきていることは確かだと思います。

とは言え、今でも私のオフィスでは、今回はこういうことをテーマに考えよう、と言って私が初期的なスケッチを描くことはありますが、そこから先は、チーフの人も若い人も、上下の区別なくみんなでアイデアを出し合って案を決めていきます。それは、若い人たちにとっても楽しく、いちばんやりがいのある時期のようです。それを繰り返していくことで、よい建築家が生まれてくるのかなと感じています。私は、大きなところでちゃんと共有できていれば、細かいことはあまり気にならないんです。いいかげんと言えばいいかげんなんですが、そういうことをやっていけば今の若い人たちも何かを掴んで、頑張ってくれると思っています。また、今の若い人たちは、私たちや、もう少し前の時代にはなかったような、コンピュータをうまく使って提案してきたり、さまざまな特殊な能力を持っておられたりしますから、そういう部分を一緒に働いていく中で見出していくことが大切なのではないでしょうか。

——
「デザイン」に対する、伊東さんの考えをお聞かせいただけますか。
伊東

日本語で言うと、私たち建築家は「設計をする」と言いますよね。しかし、英語にすると「デザイン」なんですよね。デザインというと、グラフィックデザイナーやインダストリアルデザイナーによるデザインのことを指しているような気がして、私は、建築をデザインするという言葉に少し違和感を覚えてしまいます。それは、デザインという言葉が、非常に20世紀的な意味を持っているからではないかと思うのです。機能に素直であれとか、機能を追究していくとよいかたちが生まれるとか、20世紀ではそういうことをずっと言われ続けてきました。ですから、21世紀的な建築をつくるという意味での「デザイン」には、社会を見る目を持つ、というようなことを示しているべきではないかと私は思っています。

少し違った話になるかもしれませんが、私は歳をとるごとにル・コルビュジエという建築家が好きになってきました。彼の何が好きなのかと言うと、コルビュジエが人間を好いているところに惹かれるのです。彼は人間に対していつもすごく好奇心を持っていて、特に若い頃は、彼は論理的な主張が強く、他人に対して攻撃的だったのですが、晩年になるにつれて、彼はモダニストでありながら、土の中から自然に生えてきたような建築をつくるようになりました。よくミース・ファン・デル・ローエと並べて、20世紀の巨匠と言われていますが、ミースの建築は、人がそこにいない方が美しいのです。それに対してコルビュジエの建築は、圧倒的に人がいる方が美しい。それが、私がコルビュジエを好きになる理由なのです。

昨年初めて、インドにあるコルビュジエの建築を見にいったのですが、フランスの「ロンシャンの礼拝堂(1955年)」や「ラ・トゥーレット修道院(1960年)」などと同じ彼の晩年の頃につくられた建築なのに、それらとは全然違っていて本当に荒々しいのがとても印象的でした。彼は日本には1回しか来ていませんし、京都なんかにも全然興味を示さなかったのですが、インドのアーメダバードという街には20回以上も訪れていたようです。その街は本当に貧しく、人も動物も植物も一緒になって暮らしているような街なのですが、私も実際にそこをくまなく歩き、こういう場所から、彼のインドのたくましい建築が生まれてきたのだということを感じました。これ以上ないというほど汚く荒々しいコンクリートなのに、それは本当に力強くて、日本では絶対つくれないなと思いました。人間に対する寛容や称賛といったものがベースにないと、こういう建築は生まれないのでしょう。少し質問の本筋からは離れてしまったかもしれませんが、とにかく、デザインとはかたちをつくるということではないとお伝えしたかったのです。

ちなみにコルビュジエは、みなさんもご存じのとおり、南フランスの地中海に面したカップ・マルタンに建つ、海辺の小さな小屋「カップ・マルタンの休暇小屋(1952年)」で亡くなります。私はそれが、すごく羨ましいと感じました。そこで、私も最近、愛媛県の大三島という瀬戸内海に浮かぶ島をよく訪れています。そこにたまたま私の建築ミュージアム「今治市伊東豊雄建築ミュージアム(2011年)」をつくってもらったのですが、そのうち、普段の半分くらいはそこに住むような生活をしたいと思っています。コルビュジエの足元にもおよびませんが(笑)。そこは、夕日がすごく綺麗に見えるところなので、小さな小屋をその島につくり、自然の中で東京とは違う生活をしてみたいと考えています。

——
「みんなの森 ぎふメディアコスモス」では、ひとつの大きな平面の中でいろいろな行為が起きていると思うのですが、音の問題に関してはどのように考えられていますか。
伊東

「みんなの森ぎふメディアコスモス」は、平面が大きく、まるで街の中を歩いているような感覚になります。不思議なもので、人は外だと思えば子どもが走っていても当たり前だと思い、部屋の中にいると思うと、ちょっとした物音や話し声が聞こえてもうるさいなと思ったりします。つまり、その場所をどういうふうにつくるかによって、同じ音でも人の感じ方はがらっと変わるのだと思うのです。ですから、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」では、見学者の方などがぞろぞろと歩いていたりして普通の図書館よりもノイズが多いかもしれませんが、利用している方々からの音がうるさいというようなクレームは意外にもほとんどありません。最初は、むしろ施設側の人の方が気を遣ってパーティションをつくっていたのですが、そういうものを立てれば立てるほどクレームがきますよと言って、取っ払っていただきました。

要するに、機能という言葉自体がとても20世紀的で、内と外や、部屋と部屋、というようにものを隔てて機能を設けるという概念が、現代社会ではもう破綻しているのではないでしょうか。かつての日本の家はプライバシーがないと言われますが、人間自身が動きながら、状況に合わせて場所を変えて生活をしていたわけで、そういうところへ立ち戻る必要があるのかもしれません。私は今、柴犬を飼っているのですが、犬はひと晩のうちに5、6カ所、いちばん快適なところを探しながら寝場所を変えます。寒くなれば私のベッドに転がり込んできますし、夏の暑い時には玄関のたたきで寝てたりします。人間も、そういう生活の方が絶対によいと思うのです。


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