アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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槇 文彦 - 建築空間と物質性について
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東西アスファルト事業協同組合講演会

建築空間と物質性について

槇 文彦FUMIHIKO MAKI


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ご紹介いただきました槇です。私には大阪は、大変関係の深いところであります。いまから21年前の1965年にアメリカから日本へ帰ってきて事務所を始めましたが、その前にちょくちょく日本に帰ってきておりまして、そのときに大阪の竹中工務店設計部の方と一緒に、堂島計画というかなり大きなブロックの都市デザインについて、研究したことがあります。

そのときの大阪と比べますと、きょう新幹線の大阪駅からここへ向かう間も感じたのですが、当時よりもはるかに高密度化しまして、そのとき考えていました堂島の集合体が遙かに大きなスケールでえんえんと新大阪からここまで延びて、全体として大きなビルディング群の固まりになっているという印象を受けました。この20年という時間は、見方によっては非常に短くもあるしまた長くもあったと思いますが、これだけの間に大変な建設投資が行われたということは、この20年間の日本経済の発展を反映していると同時に、膨大なエネルギーが、われわれ建築に関係する者にあったという背景があると思います。私なんか、考えてみますと本当にその中の小さい部分をやっているにすぎないわけですけれども、それが何百、何千と固まると、都市というスケールでエネルギーが現われてくるのでしょう。

一年ぐらい前ですか、ニューヨークヘ行きましたときに、空港までヘリコプターのサービスがありまして、そのへリコプターに乗って一瞬マンハッタン島と向かい合った経験があります。普通飛行機ですと、かなり上から見ている。それ以外はマンハッタン島は下から見上げる、あるいは対岸から見るという風景が多いのですが、たまたまへリコプターがぐんぐん上がってきたところで、摩天楼の平均高を200メートルぐらいとしますと、百何十メートルぐらいの視点で向かい合うといいますか、ちょうど建築の模型で見るようなかたちであのマンハッタンの摩天楼群を見たときの印象は、非常に新鮮でした。それ自体が非常に大きな凝塊になって、島全体がひとつのものすごいエネルギーの表現だという印象を強く持ったわけです。

都市というのは、その中で人間がいろいろななりわいを行ってきたのですが、やはりすばらしいといいますか、大変なものであるという印象を受けました。にもかかわらず、一方においてわれわれの毎日の仕事の中で非常に細かい部分に至るまで神経を使って、やっとそういうものができていくということを、皆さんも実感として持っていられると思います。

その中で、最近特に考えますのは、きょうお話ししようとしている建築の中における物質性の問題です。田島ルーフィングが30周年記含に催す講演会の講師にお招きを受け、大変名誉に思っておりますが、きょうは特に、ルーフィングあるいは防水のお話をするのではないんですが、それもひとつの物質の問題であるし、そういうこととからめまして、私自身の経験を踏まえて、物質性についてお話ししていきたいと思います。

筑波大学体育・芸術専門群中央棟 1974
筑波大学体育・芸術専門群中央棟 1974
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