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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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竹山 聖 - 不連続都市
パブリックな場所の構想(2)
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東西アスファルト事業協同組合講演会

不連続都市

竹山 聖SEI TAKEYAMA


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パブリックな場所の構想(2)
江ノ島プロジェクト
江ノ島プロジェクト

これは江ノ島のプロジェクトの初期の案です。宙に浮いた120メートルの客室棟があります。

これがお金を稼ぐ客室と宴会場です。これがちゃんとしていれば稼働するだろうということでこのコンフィギュレーションを訴えたい。全室海に向いたオーシャンビューで考えています。これはほぼ最終案の模型写真です。これをもう少しリファインして、最初にお見せしたレリーフモデルにしたわけです。

全室オーシャンビューでしかも全室テラスがついていまして、一室あたり20坪とか、そういう高級なパーティルームというコンセプトのホテルです。

これがキラー通り沿いのプロジェクトの第一次案です。都市に丘をつくるというコンセプトで企画書をつくって提案して仕事をもらいました。1階にパブリックな場にするには土地の値段が高すぎるので屋上を全部公園にしましょう。そこにシンボルツリーを植えます。

夕日の見える、西新宿のビルが見える方向にフィットネスクラブのプールをつくります。計画が変わってきまして、これが展覧会に出したコンセプトモデルです。最終案の一歩手前ぐらいです。

これが先ほど説明しました斜めの壁の広場です。

ネオフォルマ展
ネオフォルマ展

これはそれを基にアクシスのネオフォルマ展という、團君がオルガナイザーをした展覧会に出品した模型とドローイングです。模型はアンフィシアターの部分です。ドローイングはタワーを現わしているのですが、このドローイングの意味というのは、結局建築というのは生の状態を死の状態と共に構想しなければならないと考えていまして、生きている状態というのがつまりはプログラムが機能している部分です。プログラムが死に絶えた場合、死の状態、このときは何らかの町のコンテクストとして、あるいは人びとの記憶に残り愛される形として、モニュメントなりシンボルとして残りうるかどうか。それをエロスとタナトスというふうに読み替えます。エロスというのは生の本能ですし、タナトスというのは死の本能ですね。そのエロスとタナトスとの共存が建築の場合には常に考えられるわけで、プログラムを詰めながらプログラムが死に絶えた廃虚の状態を考えなければならないと思っているわけです。エロスの部分について一番有名な言葉はル・コルビジェの「住宅は住むための機械である」。この言葉が非常に歪んだ解釈をされて「機能主義」と一面的にいわれるわけです。それと対照的なのがアドルフ・ロースの「真の建築とはお墓とモニュメントの内にしかない」という言葉でしてロースはそういうことを考えていた節がある。おそらく本格派の建築家はみんなそういうことを考えていて、最初からお墓やモニュメントをつくっている人もいますけれど、僕もそういうことはやはり考えなくてはいけないんじゃないかと思っているのです。モニュメントというと大袈裟ですが、プログラムが死に絶えたときに建築もまた死に絶えるのだと、巨額なお金、たいへんな労力を使うものとしてはあまりに不毛ではないかと思います。いろんな形で人類に何らかの文化遺産を残していけるように考えていきたいと思っていましす。 そういう意味で生の本能と死の本能を共存させるべく、永遠の形式として建築を捉えるという意図にもとづいたドローイングになっています。

これがほぼ最終案の模型です。やはり屋上にアンフィシアターがあって西を向いています。これはコンクリートの打ち放しで全部つくられる予定が、僕は他の建物が全部核爆発とか終末的な状況に至った場合でも、僕の建築だけは何か残るような、そんな気が勝手にしまして、そういうときに人類最後の夕日をたったふたり残った男女がこのアンフィシアターで眺めるというような、そんなシーンを思い描いてつくってもいます。

延べ2,500坪くらいで、地下をけっこう掘るので工期が約20ヶ月かかります。今設計終了で年内に着工しても、できるのは再来年の夏ということになります。OXYでもD-HOTELでもそうですが、どんどんと人間も変わりますから建築の場合は足の裏を靴の底側から掻いているような歯痒いところがありまして、表現の方法としては非常に迂遠な回路だなと。だから単純な表現と捉えるんやったらよっぽど絵を描いていたりするほうがいいとおもうんですけれども、さまざまな人びとの手が関わる表現の間接性というものをネガティブに捉えるとそういう歯痒さになりますが、ポジティブに捉えるならさまざまな人の手を経ることによって自分の投げた一石が普遍的な価値をもつ物に磨き上げられていくプロセスを経ることができるといえます。そのような気持ちで工事の間は現場をスーパーバイズしているつもりで、初心を忘れると非常に悲惨なことになりますけれども、あまり初心に捕らわれすぎると何となくあんまり時代の風を孕まんようになる。その辺が難しいところやなあと思いますし、自分で自分の何年か前を考えていたことが立ち上がってくると変わったはずの自分がそれにまた影響を受けるところもあるし、変わっているつもりでも変わらんところがいっぱいあるなとも思ったりします。東京にいって13年の間にいろいろ変わったと思っていたのですが、10年ちょい前ぐらいに手掛けていたプロジェクトを、見てみると、けっこうあまり今と変わってないのやないかなあと感じたりもします。

西新宿ビル
西新宿ビル
坂本龍馬記念館コンペ
坂本龍馬記念館コンペ

これはさっき屋上の部分だけをお見せした西新宿のディベロッパーの本社ビルのプロジェクトです。低層部がコンファレンスホールとかミーティングのパブリックゾーン。ここが階高5.4メートルのプライベートなオフィスゾーン。ここがレセプションとかエクゼクティブのセミパブリックな場所という区分けになっています。

これが去年の夏にやりました龍馬記念館の応募案です。ほとんどすべての部分を地下に埋めて海に向けての眺望をとる。敷地全体にして列柱と大階段の変形であるアンフィシアターとブリッジと塔が明解に出てきて、それらがある意味で未完結なイオン状態になりかけているんじゃないかなと、今にして思えば見えます。

何者かと交信するような気配を込められればいいなと思っています。


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