アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
アンドレ・ジードの随筆の中に、大変好きな一節があります。
秋になって、木々が美しく紅葉した葉を惜しげもなく散らすように、
自分にとって役に立たなくなったさまざまな考えを
捨ててしまえるように願っているとき、
このいらなくなったものが、なんだってこんなに美しい色をしているのだろうか。
という、この一節です。皆さんは、伝統ということを心から考えられたことがあるでしょうか。「伝統とはいらなくなったものだ」と、どんどん切り捨て、どんどん潰して、どんどん新しいものを建てていくわけです。しかしアンドレ・ジードが言っているように、自分にとってもういらなくなった(伝統的)思想・美学・哲学、そういうものを捨ててしまっているけれども、そのいらなくなった思想がどうしてこんなに美しいのだろう、ということなんです。二十一世紀の建築は、これが大切なのではないでしょうか。キプロス島でのコンペで、最後まで残ったものは、その国の文化・伝統・風土を反映しているものだったといいます。国際性とはまさにそのことではないかと思います。
日本中に「○○銀座」というのがたくさんあります。銀座は東京だけでいいと私は思っています。「○○銀座」と名前がつくと、それはすべて俗っぽくなってしまいます。「○○銀座」となると、低俗になるのでしょう。もし世界中が、日本中が、ニューヨークやロサンゼルスのなったと考えてください。—すでにもうなっているわけですが—ロサンゼルスが日本中にできたとします。いったいだれが外国から日本に訪れるでしょう。私も随分海外を見て回ります。そして、その国の風土、あるいは美学・哲学を通して。現代建築をどう造っていくかという琴を、探りに行っているのです。しかし、世界中が今、国際性という名のもとにホモナイズされてしまって、どこへ行っても現代建築は面白くありません。その中に時々、天才といわれる人が残した建築だけが、見る者として面白いのです。しかし、天才がつくるものというのは、本当にわずか、針で突いたぐらいしかないわけです。そこで、失礼な言い方になるかも知れませんが、渡しも含めてわれわれのような平凡が人間が、どう、いい建築をつくっていくか。われわれがつくっていくたくさんの建築がその都市をつくり、国をつくり、またその文化をつくっていくわけです。ですから大事なのは、平凡性を高めるということです。これは簡単なようで一番難しいことだと私は心得ています。
ポストモダン風の面白い建築は、私も時として心引かれてグッと傾いていきます。けれども「ヤルマイ!」と思うわけです。ドイツにはドイツ、スペインにはスペイン、イタリアにはイタリアのポストモダンがあり、日本には日本のポストモダンがあると思うんです。ところが日本のポストモダンは、マイケル・グレイブスの尻について走っているという情けない状況です。 そんなポストモダンは、私はもういらないと思います。今ではポストモダンということすら恥ずかしいと思っています。機能主義と経済主義のかたまりの中で出来ていく現代建築が、いかに非情でつまらないものかということは。もう皆さんご存じです。行き詰まってきたときに、頭のいい建築家たちが、なんとかそれを打破しようとして登場してくるのがポストモダンなんです。いったい今日の日本のポストモダンの中に、精神的背景が存在するようなポストモダンはあったでしょうか。私は一つもないと思っています。それは借り物であるからなんです。日本のポストモダンではないからなんです。そういうことで、私は国際性のある建築がつくれるなどと思ってはいません。アンドレ・ジードの言葉を思い出して欲しいのです。—いらなくなったもの(伝統)が、なんだって美しいんだろう—われわれはそれを忘れているのではないでしょうか。
絵に描かれる町とはどういう町でしょう—倉敷や京都金沢、そうでなくても地方の田舎の町、あるいは外国ではベニスやシエナなど。どうして中世の古い町、それ以前の町は、あんなに美しくて、絵になったのでしょうか。一方、だれが現代の東京を、大阪を絵にしたいと思うでしょうか。これが今世紀最大の失敗なんです。また、こういう建築をだれが指導してきたのかというと、私はその責任はウィリアム・モリスやアドルフ・ロースにあったと思います。装飾は敵だ、と彼らは言いました。そう言いながら、ウィリアム・モリスはどうでしょうか。モーリス商会をつくり、あの濃密な細密画を描いて今も商売をしています。また、アドルフ・ロースの「ロース・ハウス」を見てください。彼の名作であると言われているあの建築は、一階の部分にドリック・オーダーをちょん切ったものが数本立っていますが、あの部分だけがロース・ハウスとして見るべき価値のあるところなんです。三階から上の真っ白けで四角い穴の開いただけの部分は、実につまらない。屋根がセミクラシックな漢字のする銅板であるからこそ、情緒性が出ているわけです。そして、そんな彼らの尻馬に乗ったのが大正初期の建築家たちです。
そのあとに出てきたル・コルビュジェはどうでしょう。コルビュジェは、装飾のない建築を美しく見せるのに成功をおさめました。装飾がない建築が美しい、それは非情に難しいことなんです。これは天才でないとできないのではないかと思います。しかし、わが国にはコルビュジェよりずっと以前に、室町の末期にすでに利休が待庵でそれを完成させています。利休以降の弟子、織田有楽斎の余庵や、小堀遠州によって、眞・行・草の美学をそれぞれ完成させています。にもかかわらず、日本人はその伝統のすばらしい美学や思想を学ぼうとしません。いつも西洋に目が向いているのです。明治以降百二十年、西洋を学ぶことを学問としてきたわけです。日本のすばらしい文化・美学・哲学の中から、日本のポストモダンを学んで欲しいとつくづく思います。そして、絵になる都市をつくっていただきたいと思います。