2012年5月12日に秋田県立博物館にて開かれた「豊川油田とアスファルト考古学」(主催:豊川をヨイショする会・秋田県立博物館、後援:秋田大学付属鉱業博物館)には、あいにくの雨天にもかかわらず、地質学や考古学の専門家、研究者、学生さんなど、アスファルトを愛してやまない熱心なファンが、100名以上も詰め掛けました。講演のトップバッターは、函館市立縄文文化交流センターの阿部千春館長。北海道の道南に点在する遺跡から出土した、数多くの矢じりやおもりには柄や網に縛り付ける際に接着剤として使用したアスファルトの跡が残っており、そのアスファルトの産地は豊川産が多かったという調査結果を報告されました。耐水性のある接着剤として利用されて、交易品として広く流通していたというのです。出土品に付着したアスファルトは、縄文時代の交易範囲を読み解く鍵だったのです。
次に講演された元秋田県教育庁文化財保護室長 大野憲司氏は、遺跡調査から判明した秋田県内の天然アスファルト使用例を紹介。博物館内の展示についても解説されました。
その後も、アスファルト考古学の創始者「佐藤傳蔵」の紹介や、「豊川のタールピット」(タールピット:天然アスファルトの沼、米国カリフォルニア州のラ・ブレア・タールピットやトリニダード・トバゴのピッチ湖が有名)についての講演が続きました。
そして、講演会の最後を締めくくったのは、前日からガイドを勤めていただいた、豊川をヨイショする会理事長佐々木榮一さん。豊川地区の天然アスファルト産状とアスファルト利用の近代産業史について講演されました。
江戸時代後期の黒沢利八による油煙製造、明治時代後期の由利公正による舗装事業、そして豊川油田の発見と、時代と共に発展した豊川の産業史について語られました。
そして、最後に講演会を盛り上げたのは、2012年5月9日の東京新聞26面の東京トリビア「日本初アスファルト舗装は…」というコラム。長崎・グラバー園内の道路と、旧昌平橋で争っていた「日本発」アスファルト舗装の座の話題。明治11年に、豊川産の天然アスファルトで舗装された旧昌平橋に軍配が上がったことを伝えた記事です。
旧昌平橋が架かっていたのは。現在の万世橋付近。田島ルーフィング(株)東京支店から目と鼻の先で、日本発のアスファルト舗装が行なわれていたとは…。とても不思議な縁を感じます。
会場では、漆とアスファルトの付着を試験した素焼きのサンプルや、聖書とアスファルトの関係についてまとめたパネルが展示されるなど、アスファルト関係者には興味の尽きないイベントとなりました。
縄文から現代まで、脈々と流れるアスファルトへの思い。ここ秋田にも、アスファルトのルーツがあることを実感しました。