アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は私の自邸で、さきほどファッションショーのビデオで見ていただいたものです。本当に小さな家で、小屋といってもいいくらいの小さな屋根が中庭を取り囲んで並んでおります。「シルバーハット」と名付けました。
この二年あまり、いろいろなところでこのスライドを紹介してお話をしておりますので、もう皆さんもよくご存知だろうと思いますので、きょうは古いビデオでこの作品を見ていただこうと考えました。なぜ、ここにこのようなヴォールトの屋根がかかっているかということを少しお話しします。家というのは食べる場、あるいは体息する場というのがそこにまずあって、たとえばキッチンとかユーティリティの作業台の上を、本当に軽く、布でフワーッと覆うように、小さな屋根で覆っていくという感じを形にしたかったんです。実際には、コンクリートの柱が独立してたくさん立っている。そのコンクリートの柱と柱の間は三メートル六○○です。その上に鉄骨で組んだ軽いフレームがいくつもかかっているわけです。それでは、施工途中のビデオを見ながら話を続けます。
まず、土間コンクリートを打ってるところです。柱の鉄筋だけが立ち上がっている状態です。この建物は、屋根がかかるまでは工事も大変システマティックに進み、これほどなにもないすっきりとした家もいいなあと思われるほど、本当に気持ちのいいスペースでした。それから、土間コンクリートが打ち上がると、下は地中梁でつながっている独立柱が、上はキャンティレバーの状態になって打ち込まれました。柱だけがニョキニョキと立ち上がった状態では、足場がまだあるので様子はよくわからないんですが、もし足場がなければなかなかこれもきれいな、まるで廃墟のような状態を呈していたと思います。次に屋根のフレームを組みます。この敷地には車が入れなかったために、屋根のフレームなどもすべて菱形ユニットを手で運ぶという形をとりました。この菱形のユニットを現場でひとつひとつ組み立てたわけです。大きなものは一辺一メートルぐらいあります。小さなものでも一辺が六○センチぐらいあり、ひとつの菱形で二○キロの重さになります。
ごらんいただいたビデオは、工事の途中のある一部分を取り上げているだけです。柱が組まれ、屋根のフレームが組み立てられてヴォールトができ、そのあとは屋根を葺くわけですが、その状態ぐらいから、まるで屋台か何かのようにここに住み込んでしまっていたら、またもう少しおもしろい家に展開していたにちがいないと思ったりもします。ただ、 自分の意識としては、屋根がかかるまでが、自分の建築家としてつくった部分で、そのあとの壁を立てたり家具をつくったりしていくことは、住み手としての自分がつくっていったんだというつもりでやっておりました。従って、全体ができるだけ統一されるというようなことは、あまり考えずにやりました。まずはなにもない状態を想定し、古い家に使われていたモノで使えるものはそれを使うし、街の中でおもしろそうなものを見つければそれを持ってきて使ってみるというようなことを、できるだけ自由にやれるように心掛けてやりました。ところが、そうはいってもなかなか建築家根性が抜けきらず、ちょこちょこと顔を出し、アルミのものが少し多目に使われているという状態です。
自邸は、いってみれぱ香港などに見られる水上生活者の舟というかテントのようなものに近づけたかったということです。
実際、この家にはテントがふたつかかっております。ひとつは完成した当時はまだ小学生だった娘のための子供部屋にあります。テントで囲まれた内側にベッドと小さなワードロブが入れてあります。というのは、子供部屋には小さな窓がたくさんついており、カーテンで目隠しするというわけにもいかなかったためと、何となく鉄骨でつくられているためにハードな感じが強いので、それを少しでも柔らげてやろうという意味もありました。さらに下階のキッチンとこの子供部屋がオープンでつながっているため、多少のプライバシーを確保してやるという意味もあって、この子供室にテントが使われているわけです。
もうひとつのテントは中庭の上にかかっております。これはできてからしばらくあとにかけたものです。中庭の片隅にあるワイヤーロープを引くと、中庭上部にテントがスライドして出てくるわけです。こんな簡単なテントー枚だけでも、ないときに比べますと、中庭がリビングルームの延長の室内として使えるようになりました。本当にテントー枚がインテリア化を助けているわけです。中庭の床は一面に瓦を敷いてあります。その敷き瓦はそのまま居間や食堂、キッチンの床につながっていきます。
建物の前面には、ここでもまたアルミのエキスパンドメタルがはめ込まれて、うすいスクリーンのようになっています。たまたま日曜日などで中庭でボケーッとしていますと、学生さんのような人が向こう側からカメラを構えてのぞいている目と合ったりして、びっくりすることがあります。奥の食堂のほうで食事していて、そういうのぞきに気がつきますと、まるで自分が動物園の檻の中にいる動物になったような気持にさせられます(笑)。
実は、冗談みたいな本当の話なんですが、裏の家で犬を飼っておりまして、この家に誰かたずねてくるとその犬が吠えるんですが、郵便配達の人で、この家をずっと犬の調教場だと思い込んでいた人がいたということです。
同じ月を見るのでも、この家での月見だと、人間も月まで行ったんだなあなんて思いながら月を見るぐらいの小屋にしたいという思いを込めて、シルバーな小屋という意味でこれを「シルバーハツト」というタイトルにしたわけです。
完成直後は中庭部分のテントはもちろんまだありませんでした。中庭をどういう風に仕上げようかとまだ考えている最中でした。上部に全面ガラスをはめるのはお金がかかるし、透明なテントを張ってしまおうかとも考えました。あるいはまた別の日には全面をグリーンで覆ってしまおうかとも考えました。中庭に置く家具もまだありませんでした。
さて、完成した当時まだ小学生だった娘ももう中学生になり、子供部屋のテントを自らはずしてしまいました。変われば変わったで、これもまたおもしろいことだと思いますが、最近ではやはり閉じた部屋が欲しいということで、中庭の上にでもつくれないだろうか、といわれております。というのは、子供部屋はさきほどもいいましたようにキッチンとオープンにつながってその上部にあるものですから、キッチンの熱気がすべて上がってきて、冬はいいんですが夏は大変暑いんです。まあ、そういうことは予測できていたので、自動車の部品であるこの三角窓は開閉できるようになっているんですが、そんな程度じゃとても暑くて、ましてテントの中に入ってなんかいられないということです。
居間のテレビの前には畳を組み込んだ台のようなものが出現しております。ヒマがあるとこの畳に寝転がってテレビを見るようになりました。これだけの家でもわずか数年の間に少しづつ変わっていっているわけです。食堂のテーブルも似たようなものですが当初のものと入れ替わっています。
それ以外にも、家具を新しくデザインすると必ずここに持ち込んで座ってみたり、使ってみたりしています。試作品にいろいろ坐って、かたいなあとか坐り心地悪いなあといった具合にためしているというわけです。
床は敷き瓦ですが、これは当初から瓦が仕上げ材としていいと思っていたわけでなくて、実はなにもない、土のままにもっとも近い状態にしておきたいと思っていたんです。それが発想のスタートです。そこから必要に応じて仕上げていくというような、いわば住みながら床をつくっていくという考え方でした。
さきほどの長八美術館に納めた椅子なんかも、この中庭で坐り心地をためしたわけです。