アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
僕はずいぶん積雪地帯に住宅をつくってさましたが、そのときに問題となるのが積雪荷重です。積雪荷重はほんの数カ月だけ建物にかかる荷重ですが、それによって屋根の梁が大きくなるし、余計なコストもかかります。「ダブルルーフの家」は予算もなく、夏の家ですから、なるべく軽快に安上がりにしたいと考えました。そこで考えた方法が、ダブルルーフ、二重の屋根です。まず上の屋根、これは析板でできています。これですべての積雪荷重を受けようと水平な屋根をつくりました。折板のカタログにはチャートがついています。荷重とスパンの条件を入れると析板の厚みと梁背が算出できるようになっているのですが、僕はチャートを用いず計算をします。
本来はまず積雪時の応力を計算し、それが問題なければ次にたわみの計算をし、たわみが三センチを超えた場合にはもうワンランク上の梁を選びます。それは、屋根のたわみが天井に影響を与えるからであって、屋根と天井の架構が切り離されていれば、天井の割れなどを心配する必要はなく、応力上積雪荷重を受けられるぎりぎりのサイズの析板で済むのです。これによってコストを削減できますし、プロポーション的にも薄い屋根が可能になるのです。下の屋根は断熱材と天井で、上の構造とは縁を切って自立しています。上の屋根があるため下には直射日光は当たりませんし、屋根と屋根の間には空気の対流もあり、署い時期も快適に過ごすことが可能になりました。
1995年に「家具の家」と呼んでいる住宅が竣工しました。神戸で地震があったとき、家具の重要性を強く感じました。多くの人が倒れてきた家具によって怪我したり亡くなったりしている反面、家具と家具の間にいたために屋根が落ちて来たとさ命拾いしたという話もよく聞きます。つまり、家具というのはそれくらい重いし頑丈なのです。どれだけ頑丈なんだろうと思い実験したところ、ものによっては十分それ自体で住宅の主体構造になるくらい強いということがわかりました。だったら最初から家具を構造体にしようと考え、できたのがこの住宅です。ですからこの住宅には、壁や柱がありません。幅90センチ高さ2メートル40センチ、奥行き45ないし75センチの家具が屋根を支えているのです。
断熱、内外壁から塗装に至るまで家具の工場で行いますのでヽ高いクオリティを得ることができます。単体ユニットの重量が約90キロ前後ですので搬入も楽ですし、大きなトレーラーやクレーンがなくても組み立てられます。基礎はごく普通のもので構いません。床をつくったら所定の位置に家具を置き、ラグスクリューで基礎と家具を固定し、さらに家具と家具も固定します。構造用の家具の固定は一日で終わりますし、工場ですでに内壁も外壁も塗装も済んでいますから現場での作業が少なく、廃材も出ません。翌日、プレカットした梁を載せ、合板で水平剛性を出します。二階建ての場合はこの作業を繰り返すだけです。このような施工方法を用いれば、大幅に工期や人件費を削減できるのです。
秋田新幹線の開通に合わせて、田沢湖駅を設計を依頼されました。地盤調査したところ、地盤が弱くて杭が必要だといわれました。しかし、工期は七カ月しがありません。そこで考えたのが、杭(PCパイル)を地下には埋めずに列柱状にたくさん使うことでした。地耐力がどうであろうと、柱の数を多くして柱一本一本が担う荷重を地耐力以下に抑えれば、杭が必要なくなります。秋田スギのようでしょ、と町長にお話ししました。
柱と柱の間に応力カーブをそのまま表現したような集成材の梁をかけたいと思ったんですが、新幹線の駅は木造でつくっては駄目とのことで、厚さ16ミリの鉄板を集成材で挟み梁としました。計算上は16ミリの鉄板で応力はもつので鉄骨造ですが、それだけではフランジがないためぺらぺらで簡単に撓んでしまいます。集成材はそれを抑える役割と断熱の役割を果たしているのです。この複合梁を役所が鉄骨造と認めてくれたのでJRも了承しました。燃えしろ設計、つまり火災の際、木材は表面から炭化していきますが、ある程度までいくと炭化は止まり、木材の中心部はそのまま残るということを利用した耐火技術で、最初から炭化を見込んで木材の断面積を構造上必要な面積以上にしておくものです。一般に鉄骨造の場合、耐火被覆を吹きつけますが、ここではそうせずに、集成材が耐火被覆兼仕上げになっているのです。
田沢湖駅で鉄板と木で被った梁をつくったとき、この木は鉄の耐火被覆にもなりうると気がつきました。つまり木造を耐火構造にするときに使う「燃え代設計」の考え方を使えたわけです。木は熱伝導率が低いし、燃えて炭化するといい耐火被覆材になるわけです。この考え方を実験で実証し、三十八条認定を取り、このGCビルの柱・梁で耐火被覆兼仕上材として使いました。