アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
1970年というのは、日本の建築の世界においてひとつの区切りになっています。それはまた世界的にもひとつの区切りになっています。いわゆる私どもが教わってきました近代建築と、今日の建築−−それをポストモダンといってもいいでしょうし、さしあたり私はそれを現代建築と呼んでいるのですが、それは後日、歴史家の手に名称区分は委ねるということになると思います−−との間で1970年にそのひとつの区切りがあったわけです。いまから思い返しますと、いろいろな問題が社会的にも出てきまして、世界的にも文化の革新に対する運動が盛んに起こったわけです。
その中でどういう趣旨のことがいわれてきたのかということを、2〜3の例をとって説明してみます。ひとつは、公害とか自然破壊という言葉が出てきたのが、その時点でのことです。西欧合理主義というか、合理主義が公害そのものを生み出したり、自然破壊をもたらしたというのは妥当な判断かどうかはわかりませんが、いわば効率一辺倒の、進歩猛進の文化がもたらした弊害として、自然破壊や公害が生まれてきたのは事実です。そういうようなことに対する反省が、当時はじめて一般の人びとの意識の上にのぼってきたわけです。
それから、地域という概念です。地域という言葉は以前からありましたが、今日のような意味を持つにいたったのは、1970年のころのひとつの社会的な動きの中から生まれてきたものです。前は地域主義とか、リージョナリズムといって風土のスタイルを主張して、非常に民俗的なものとしてとらえていたんです。そのころから、地域独自の文化とそれぞれの場所のアイデンティティが必要であるという理論はありましたが、1970年ころから、新しい今日的意味合いをもった地域という言葉が出てきたのです。
「粟津邸」「海の博物館」「ニラム邸」「松欅堂」「末田美術館」「鶴川保育園」「森工房」「ビルポートホテル」「伊豆・夢舞台」「渋川駅前商店街83街区」「秋田県営新屋団地」「嶋邸」「田崎美術館」「ヤマトインターナショナル」「那覇市立城西小学校」「飯田市美術博物館」
「建築に何が可能か」「ヒト、空間を構想する」「空間〈機能から様相へ〉」「集落への旅」