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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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原 広司 - 「集落の教え」と様相論
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東西アスファルト事業協同組合講演会

「集落の教え」と様相論

原 広司HIROSHI HARA


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最新作をめぐって
飯田市美術博物館
飯田市美術博物館
ネパールの山と集落
ネパールの山と集落

次は、できたというか、落成式はやったんですが、まだ外構や庭をつくっているという状況の最新作、飯田市美術博物館です。

集落を見ていく過程で、当然集落自体を見ていると同時にまわりも見ているわけです。飯田に関していえば、私はこの地に育っていますので、2500メートルの落差のアルプスの山を見て育ってきているのです。ところが、ネパールヘ行って集落調査をしているときに出会った山は、まさに6000メートルの落差があったわけです。

これはもう見え方がまるで違っていました。雲のような山のような、境界が定かでないものが立ちふさがっているわけです。そのときに、日本の私たちがいつも見てきた山の意味が初めて理解できたということです。6000メートルというと、もう本当に途中が消えてしまって、雲だか山だかわからないんです。こうなってきますと、そこになにか非常におもしろい様相論的世界が待っているような気がしてくるわけです。

トラス
トラス

私は、この美術館を設計しましたときに、そこからはアルプスの山が見えているのですが、もうひとつの山を建物でつくるというのをテーマにしました。山は空気の浄化装置であるということで、建物をつくったわけです。写真がまだ充分に撮れないので、うまく説明しにくいんですが、トラスが架かっていまして、120本くらいの柱があって、いろいろな装置があります。そして光の入るトップライトとか、実際にアクリライトを通して入る光とか、外の反射光を入れたり、直接光を入れるハイサイドライトとか、いろいろな光をとり入れて、全体の光のミックスチャーをつくりあげています。

飯田市美術博物館内部のトラス
飯田市美術博物館内部のトラス

全体に屋根を支えているトラスが、今回は大変な難工事だったんです。ここにアルプス屋根のトップライトがあり、そこから光が入ってきます。実際の形でのオーバーレイができています。この美術館は、公共の施設ですし、菱田春草の作品を中心としておりますので、国宝級というか、重要文化財というか、いわば一瞬たりとも絵に直接の光を当ててはいけないわけで、完全な均質空間ができております。この完全な均質空間を包囲するというか、封じ込めるという意味でというか、ひとつのエレメントとしてこの均質空間をとらえて、新らたな空間を構成していくというのが、この美術館の普通のいい方でのつくり方です。

上のほうから見ますと、柱も屋根もテンションがかかっているように見えます。実際にテンションのかかっているところもありますが、現実には柱が支えているものが、まるで吊られているように見えたり、屋根も引っ張られているように見えています。裏側から見ますと、屋根のうしろが見えます。まあ、機会があったらみなさん見てください。ヤマトインターナショナルは平面的な複雑さですが、ここでは立体的にそれが複雑化しています。

以上でスライドは終わりです。私どもは集落の調査をしながら、いろいろ方法を探り、新しい建築を探してきているわけです。その中で、集落の教えをストレートに導入する、あるいは集落をつくっている原理をもう一度新らたに解釈し直して、つくり出してみる、あるいは集落の持っている様相をもう一度現代的に様相を変えてつくり出していく、つまり雰囲気とかたたずまいといったものをつくり出していく、そういういろいろな段階があるように思います。いずれにせよ、集落の持っている性質というのは、きょう最初にお話ししましたように単純なことではない。差異と類似の世界が織りなしている、非常に複雑な集落空間というものがあって、それを私は集落の世界風景と呼んでいるのですが、そうした複雑なことから考えますと、私どもが今日つくる建築は、仮りにそれが集落の教えに多少なりとも従って、というか、それに合わせてつくるとなると、ある複雑さというものがなくては、とてもではないけれどできないことなのです。しかし、その複雑さというのは、だんだん追っていくと、これ以上に複雑になったら大変だというところまで行き着いて、そこでもう一度なにか違ったというか、もうひとつレベルアップした建築の様相というものが浮かぴ上がってくるであろうと予感しています。いずれにしてもこれからがまた大変だろうと思っている昨今です。

どうもきょうはありがとうございました。(拍手)

質問
 
スライドを見せていただいたのですが、それは外国の集落ばかりでした。どうして日本の集落はないのでしょうか。なにか意味があるのでし、ょうか。
集落

それは当然なんです。日本の集落もいろいろ調べてきているんですが、実は、日本には集落というのは残っていないんです。みんな壊れてしまっていて、外国で目にする、ああいうレベルで残っている集落は日本には皆無なわけです。ちょっと私たちが気がつくのが遅すぎたんでしょうね。

世界の集落の調査よりはあとになるのですが、研究室の助手の人が、日本の家並みの残っているところを、全国の北海道から九州・沖縄まで調査し、200カ所くらいの調査をしています。また、私が世界の集落の調査をしましたのは、二年に一度くらいの割でやってきました。その間には離島の調査もしました。日本もいろいろ歩きまわったんですが、そのときすでに遅かったんです。非常に残念でしたが、その時点ですでに、外国と同じレベルで残っているというものは皆無でした。それで離島なら少しは残っているだろうということで30数力所調査したんです。しかし、資料的にはいっぱいあるんですが、残念なことに、やはりもう元の形では残っていませんでした。つまり、それは日本が近代化したということです。

飯田市美術博物館
飯田市美術博物館

ただ、さきほども申し上げましたように、外国の集落であろうが日本の集落であろうが、またひとつの集落であろうが全体だろうが同じなんです。そこが重要なんですね。だから、日本の集落がとか、私の育ったところの集落がとかいろいろありますが、もし仮りに、日本の集落できれいな形で浮上してくるものがあれば、それで全部きょうの話を説明してもいいんですよね。そういう性質を持っているということが、集落の大きな特徴であるわけです。私がきょうお見せしたのは、たまたまきれいな集落というか、きれいな形で残っている集落を例に挙げたにすぎないんです。おそらく、これらも一度みんな壊してみないと本当に価値はわからないので、結局はいずれ壊れてしまうと思います。

そこで、ひとついっておきたいことは、アフリカの集落を見ながら、私たちのまちはどうあるべきかとか、建築はどうあるべきかと考えていたほうがいいのです。そこに日本のどこかのなにかを持ってきて、日本において私たちはいかなる建築をつくるべきか、ということは非常に危険ですね。下手をするとナショナリズムの道が待っていることになります。ですから、きょうの話は、結局、集落というのはインターナショナリズムの構造を持っている、たとえば、イラクとペルーの集落は似ているとか、アフリカの集落の中にも、日本的なところがあるし、中米の集落にはより日本的な集落があるといえるという観点が、インターナショナルなネットワークを組んでいるということが重要なところなのです。日本の集落のまちづくりをするときに、世界の集落のことを考えないで、日本の中だけで完結しようとすると、これはちょっと問題ですね。つまり、自分のところに範を求めることも大事なんですが、自分のところを尊重したり、のばしたりすると同時に、アフリカの伝統も私たちの伝統であると考えること、中南米の伝統も私たちは共有しているんだという意識、逆にまた、中南米の人びとも日本の伝統を人類の伝統のひとつとして持っているんだという視点こそが、大事なんです。

集落が教えてくれているのは、まさにそのことです。おらがまちの文化はおらがまちにしかないんだということを、集落はいっているんではないということが、きょうの私の主張の一点です。そういうこともすべて、集落調査をやってみて、その体験からいえるようになりました。

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