アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
早川でございます。今日は「建築は場に共震する」というテーマで、「場」ということを中心に、私がいままでやってきた仕事についてお話ししたいと思います。
建物を設計するときは、「場」のことだけを考えているわけでなく、いろいろな側面や視点をもって設計を進めます。ただ私の場合は「場」というものを、単にプログラムや設計条件の要素として考えるだけでなく、発想の1つの拠り所にしている、といっていいと思います。
「場」の捉え方の1つにスケールがあります。大きなスケールで場を捉えると、場は都市になります。都市が私たちに与える影響は大きいわけで、たとえばニューヨークのマンハッタンで生まれた人と、片や東京や大阪という日本の大きな都市に生まれた人がいるとします。ニューヨークのマンハッタンは、皆さんでもその地図がかなり描けるところだと思います。ですから、そこに住む人たちは当然その地図が描けるし、ニューヨークという都市は、周辺の相互の関係をビジュアル化できる場だろうと思います。ところが一方、私は東京に長い間住んでいますが、東京の地図を描けといわれても、全然描けない。自分の住んでいる街を地図に描けるかどうかということに、大きな差があるように思います。 この差は、空間の知覚や認識の仕方にも影響を及ぼすでしょう。また、パリとかウィーンといった歴史的な調和のとれた都市に生まれ育った人は、東京や大阪のような大都市に育った者とは違った感性や感覚を持つようになるでしょう。こうした大きなレベルでの「場」というものは、その人に潜在的にかなり大きな影響を及ぼしていると思います。それでは、「場」をもう少し身近なスケールに絞ってきて、私たちが設計する場合の敷地ということで考えますと、敷地は決して二つ同じものがあるわけではなく、私たちは、世界にただ1つしかない敷地に建物を設計するわけです。建築は「場」の経験をつくることだと思います。経験とは、その建物を使う特定または不特定の人たちが、そこに新たに生まれた建築空間という「場」を経験するということです。ですから、その場をいかに解釈し、表現していくかが重要になります。敷地という意味での「場」がもっている潜在的なエネルギーを設計者はうまく引き出していく。そして顕在化させて眼に見えるようにしていくのが設計の仕事の本質だろうと思います。
前置きはこれくらいにしまして、これから作品のスライドを見ながら、敷地およびその周辺というスケールでの「場」を中心に、お話しを進めたいと思います。
「MK邸」「南青山の家」「成城・バス停前の家」「成城・交差点の家」「中澤ホーム」「アトリウム」「NWハウス」「ストラタム」「ステップス」「FOREST」「GAハウス」「ANGLE」「ラビリンス」「成城・BETWEEN」「古河スポーツフォーラム」「秋田日産コンプレックス/ラ・カージユ」「熊本市営新地団地A」