アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
いままでの作品は独立住宅でしたが、次は集合住宅の場合です。東京の中野にある「アトリウム」です。この建物の敷地は非常に不整形な形状で、トランプカードの王様の横顔のような形です。4メートル道路が南側にあり、南に向かって少し下がっていきます。建物は施主の2世帯住宅と11戸の賃貸アパートから構成されます。
ここで私が考えたことは、まず、日本の集合住宅は、マンションでも社宅でも寮でも、またタウンハウスとかいろいろありますが、 どこにも集まって住む楽しさがないような気がしていました。建物はどちらかというと、法規との格闘の末に生まれてきたり、つくり手側の技術的な観点や経済的な効率といった視点から生まれたものばかりで、住み手の視点が欠けているように感じていましたので、「アトリウム」では、いままでの集合住宅にないようなものをつくりたいと考えました。
具体的には、これまでの集合住宅に欠けていたスケール、つまり、それまでの日本の集合住宅は非常に日常的なスケールの組合せでできているだけで、「ハレとケ」でいうハレのスケールがなかったように思います。集まって住むという歴史の長いヨーロッパでは、ガウデイのバルセロナのカサミラなどの集合住宅でも、ロンドンのロイヤルクレセントでも、ウィーンのカール・マルクスホッフでも、ハレの空間がちゃんとあるわけです。ですから、私はこの建物で、なんとかハレの空間をつくり出してみようとしました。
中央の中庭の部分だけ色彩が壁に施されていて、他はすべてコンクリート打放しです。スケールでいえば、2層分のゲートを潜って中に入ります。このゲートはある意味では大きな窓です。敷地の道路の向かい側に、中野区の保護樹林に指定されている大きなケヤキの木が密集しています。それをこの建物では借景として取り入れています。中庭、つまりアトリウムは屋根のないエントランスホール、ロビーです。したがって、あくまでもここは室内空間のイメージでまとめました。照明なども室内的な感覚でつけています。普通は、中庭には大きな木が真ん中にあり、その木陰にベンチがあるというような疑似自然を取り入れたり、住み手のコミュニティ意識を喚起するようにしたりするのが一般的ですが、大都会に住んでいる人々にとっては、広場や中庭がコミュニティ云々というのは、建築家の一方的な思い込みにすぎないように思います。私はここでは、コミュニティ意識というようなことは全く考えず、極端にいえば見るだけの庭でもいいと考えて設計しました。実際は、壁の内側には住居があり、住環境をつくっているわけですが、「住」ということにこだわらず、美術館というか、ビルディングタイプを少しずらしてイメージし、スタディしました。
アトリウムまわりはかなりはっきりした色彩のある空間ですが、そこを越えて奥のほうにいくと住宅部分のオープンスペースとなり、そこでは隣地の大きな木の緑などが見えてくるので、建物そのものはまた無彩色の世界になります。アトリウムのスケールは、完全な正方形ではありませんが、だいたい12メートル×12メートルです。ここでは二つだけのオープンスペースのネットワークですが、この作品がベースとなって、熊本の「市営新地団地A」の低層棟では、もっと多様性をもったオープンスペースのネットワークに発展させていきました。
「アトリウム」は私がやった最初の集合住宅ですが、その次に、東京郊外の国立に「ステップス」という集合住宅を建てました。
アトリウムの場合は敷地がかなり広く、380坪の敷地に約1,000平方メートルの建物が建っていましたが、ここではわずか68坪の敷地に容積200パーセントという、ある意味では非常によくある設計条件の計画でした。敷地には樹齢100年を越える大きなオオシマザクラの木があったので、設計の大きな要素としてその大木を取り込んでいくことを考えました。そしてアトリウムでやったハレの空間づくりを、ここでも狭い敷地の中で展開してみようとしました。
アトリウムでは水平方向にハレの空間を展開することが可能だったのですが、敷地の狭いここでは垂直方向につくってみました。法規的には10メートルの高さ制限のある地区ですから、基本的には2つの住棟に分け、一方は半地下を含む地上3階半、もう一方を地上3階建てとし、2つの棟で半層分ずらしています。その半層ずれる真ん中を階段が順にセットバックしながら上がっていくという構成です。その傍らにオオシマザクラの大木があるわけです。ですから、街路に対して半ば閉じ、半ば開く要素としてオオシマザクラを利用しつつ、垂直の空間をつくっています。折角上まで上がっていく動線なので、ここを回遊性のあるスペースにしようということで、空中にブリッジを渡しました。このブリッジは、当初はここに住むすべての人が使えるようにと考えましたが、屋上の音や安全性の問題から、最終的には抽象彫刻家のクライアントのプライベート・ミュージアムとして、彼の作品を展示する場所として使われています。
建物は半層づつずれているので、当然それぞれに住戸への入口が違ってくるし、同じ住戸プランの積み重ねも不可能です。私は「アトリウム」でも「ステップス」でも、次に出てくる「ラビリンス」でもそうですが、なるべく同1平面の同1ユニットが反復することを避けています。上下全く同じプランの集合住宅がよくありますが、それは、実際には床で区切られていて下の階の内部は見えないわけですが、もし床が透明だとしたら、時間帯によって同じような行動を同じ平面の中で上下の階でやっており、それがまた左右にも広がっているのが普通なわけです。極端にいえば一つのシステムで、檻の中の動物のように人間が閉じ込められ、同じような時間帯に同じようなことをそれぞれがしていることになる。それはおかしいのではないか。集まって住むという場合は、いろんなバラエティや生活上のそれぞれの個性があっていいように思います。ですから、ここでは住戸の平面は全部異なっています。設計の作業量はたいへん多くなりますが、当然のことと考えてやっております。