アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は茨城県古河市でやった「古河スポーツフォーラム」です。
古河市は人口58000人、スポーツがたいへん盛んで、特に少年サッカーでは全国レベルの市です。古河市はまちづくりの一環として、利根川の支流の渡良瀬川の4キロ以上も続く広大な河川敷を建設省から使用許可をもらって活用し、スポーツ公園として整備したいという計画がありました。パブリックなゴルフコースやサッカー場やテニスコートが繋がっていくわけです。まずパブリック・ゴルフコースが実施されることになり、そのためのクラブハウスが必要になりました。したがって、この建物はゴルフコースのある河川敷とは土手道を挟んだ反対側の場所にあります。ゴルフコースのクラブハウスが3階の1部と4階、5階を占め、多目的に使える500人収容できるアリーナ、1、2階には映像を通してスポーツが見られるAVライブラリーという3つの施設から構成されています。
この建物の敷地だけでも6000坪ほどあります。工場跡地のため、敷地には倉庫のような施設が点在しているだけのところでしたが、敷地のすぐ北に江戸時代からの由緒ある神社があり、その境内が約4500坪の広さがあり、この両者を一体化すれば非常に大きなオープンスペースが可能になる敷地でした。
前面の土手は地盤面から2階分の高さがあります。土手の向こう、西側には非常に雄大な景色が展開しています。晴れていると、川越しに富士山をはじめとし、浅間山から日光連山まで見渡せます。その反対の東側は江戸時代の武家屋敷の区画割りが残る閑静な住宅地となっています。両側に非常に対照的なスケールの風景が展開していることになります。クラブハウスからゴルフコースが見えないと困りますから、クラブハウスは上のほうの階になっています。このように、この計画では神社と土手が設計に大きな影響を持つものとなりました。
さらに、もう1つ設計に与える大きな要素があります。敷地には元製糸工場があり、高さ30メートルはどの煙突が立っていました。古河市はかつては糸の町としてかなり栄えたところです。古河市の隣町には煉瓦工場があり、そこで製造した煉瓦は、この煙突もそうですが、東京駅に使われたりもしています。隣町は煉瓦産業で栄えたところです。 したがって、ここに残っていた煙突は古河市と周辺の町の文化的・産業的な遺産でもあるわけです。 私たちはなんとかこの煙突だけでも文化遺産として残したいと古河市に申し入れ、生き残ったんですが、周辺の建物すべてを取り壊して、よく見直してみると、かなり痛みやねじれが出ていました。修復するにはかなりの予算が必要です。建物の工事も煙突を修復しないと転倒の可能性もあって危険であるということで、結局、煙突は半分の高さに切らぎるを得なくなりましたが、この煙突の存在も設計における大きな要素でした。
つぎにここでの、私たちの「場」への対応をまとめてみます。まず、神社を1体化して1万坪強のオープンスペースをつくりたいと考えました。これは宮司さんにも氏子代表にも賛同を得ることができ、1部分を残すだけで、他は取り壊して1体化することができました。1体化によって、桜並木や、それまでゲートボールの場として使われていたような、境内のオープンスペースをそのまま敷地の中に延長させることが可能となりました。敷地は、川の向こうは埼玉県ですから古河市のいちばん西端です。したがってここは古河市のエッジに当たりますから、土手側には大きな壁が欲しいなと思いました。反対側には児童公園があったり、薪能ができる能楽堂があったりして、建物にからんだオープンスペースにできると考えました。また、施設が完成すると土手からのアプローチ道路ができますから、駐車場は神社とは反対側の敷地の南側に配置したはうが都合がいいことになります。そのようにして、大きな配置の方針が決まりました。 次に、1体化して使うことで神社の参道のもつ軸線ともう1本、富士山の見える方向の軸線が出てきます。そこで、大きな1枚の壁と2本の軸線をからませ、この2本の軸線が、ゆるやかな曲線を描き、周辺住民の散策道になっている土手に結びつくスロープとなって、建物を貫通しています。それまでは、住宅地からの土手道へのアプローチは小さな階段か、相当向こうの離れた場所にある橋からしかなかったため、この建物の建設を契機として、2階分の高さの差がある土手となんらかの連続ができないかというのが、設計時の軸線の展開でした。土手との連続は、土手と同じ高さ、つまり建物でいうと3階の高さですが、そこに人工的な第2の土地をつくる、そして土手から20メートル以内には建造物をつくってはいけないという規定がありますから、そこに土盛り部分が出てきます。したがって大きな壁の前面は土盛りをした土と堤防がからんだようなランドスケープとしたいという、全体の土地との関係のあり方からまず設計のスタディを始め、最終的な形になったわけです。 このスポーツを中心とした複合体ができることによって、土手道を自転車で走ってきて、そのまま館内のどこにも寄らないで、通り抜けて手前の住宅地のレベルの道に下りていくことができるわけです。
全体の構成は、雄大な風景が広がる土手側に対しては、なるべく大きなスケールに、そして、その反対側の住宅地側には、ヴォリュームをなるべく細分化して、スケールが同調して対応するように考慮されています。また、ここはスポーツ施設ですから、運動感や躍動感をなるべく空間体験できるように表現していきたいと考え、それらがいろいろなことを決める一つの指標になりました。空間構成はできるだけ即物的に、合理的な組立てを意図しました。ですから、1、3階のAVライブラリーの空中を走るブリッジは、空調のダクトや竜気の配線などをすべて収容した設備の幹線となっています。ブリッジ自体は上から吊っています。天井にも上からの配管がそのまま露出しています。上階のクラブハウスでは、様子がガラッと変わり、外の景色がすばらしいですから、外の風景を主体にし、空間自体はなるべくニュートラルにしました。