アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
長い間、日本の近代建築はヨーロッパやアメリカの影響を受けてきた。そんな中、アジアの一員として共に考えていく必要性を説き、また日本の近代数寄屋が変革したルーツを考える。
部分というと、かなり抽象的というか、あるいはすごく技術的な感じがします。また部分と全体というと哲学のほうでいわれるむずかしい面も出てきます。ただ、単純化していうと人間がものを考えるプロセスでとても重要なことは言葉だと思います。たとえば日本語で窓、あるいは英語でウインドーといった場合、それに付帯している非常に多くの意味を、それもあっさりと単純化して指すことになる。それが建築の部分として確定します。こうした言葉によらない方法で、たとえば技術などの別のカテゴリーで建築を切っていく場合には、窓という言葉が部分にならない場合も出てくる。ただ、その言葉の中で生活と表裏一体になって長い間使われ、残ってきた言葉が現在も使われているわけです。たとえば技術的に開口部といってしまうと、窓も含むしドアも含むのですが、窓という言葉があり、ドアがあり、玄関という言葉があるときに、それぞれ指しているものは総合としての開口部とは異なる。そうしたものが集まってひとつの建築ができているわけです。そうしたひとつひとつの部分に、非常に多くの歴史的な意味合いがあって、それが集積して建築になっている。そうすると一体、部分と部分はどういう関係になっているのか。きしみ合ったり妥協し合ったりしていっているのでしょう。その中で、ある部分にかなりの荷重、あるいは自分の思い入れをかけてやっていくことによって、そういう部分を自分なりに学習していけるんではないだろうかと考えたんですね。
「直島の一連建築(小学校、幼児学園、中学校、体育館武道館、町役場)」 「54の窓」 「54の屋根」 「岡山の農家」 「自邸」 「JAZZYなバロック」 「清水の舞台による数寄屋」 「バイコースタルハウス」 「田辺エージェンシー本社ビル」 「反ブルネレスキハウス」 「スピニングハウス」
『イェール建築通勤留学』(鹿島出版会) 『日本建築の再生』(鹿島出版会) 『数寄屋の思考』(鹿島出版会) 『私の建築辞書』(鹿島出版会)