アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次に、屋根の話に移りたいと思います。皆んなひとつ屋根の下で暮らしていたいというイメージは、私たちに神話的に強くあるんですね。マッキム・ミード・ホワイト設計の「ローハウス」というのがあります。これはのちにニューョークの市長になった人の家なんですが、非常に大きな長い屋根がかぶっています。家族はひとつ屋根に暮らすということを典型的に表しています。屋根はまたシンボルになりやすいものです。たとえば門の横に小さな屋根を並べただけでも、小さな家に大きさとかわいらしさと、そしてここには人がいっぱいいるよといった感じを与えます。つまり屋根が集まって村になり、村が集まって都市になるということの基本形態でもあるんですが、これをいくつかテーマとして作品をつくりました。
コンクリートで同じサイズのフレームをつくって、ガレージの上にくっつけてみました。東京・国立の両親の家のガレージの上にやってみました。それから農家と保育園をつくりました。農家の場合は、現在ではワラを葺く人手もなく、ワラ屋根を鉄板で包んでいます。それをフレームにつけてみたものです。岡山にある作品ですが、近所の人は意外とこの建物を新しいものだとは思っていないんです。フレームの上に火事除けの水を意味する青い飾りと鬼瓦がついてるからなんですね。。そしてフレームが離れたような形になっていますので、内側からも鬼が見えるんです。この場合は、フレーム自体が装飾ではなくて構造材なんですね。このあたりは僕なりの近代建築への律儀さの表れだと思っています。構造と表現はできるだけひとつのものでやりたいと思っております。
フレームがひとつだとゲートですね。三つつながるものもある。これは全部スラブキャンティレバーになっていまして、横にはもたれ含わないんです。岡山の保育園でこれをつなげたものをやりました。54という数をもう一度やってみたくて、「54の屋根」にしました。内部はオープンなひとつの空間です。上の鉄骨の梁はラメラ格子でかかっています。54の屋根が太陽に照らされて倍の一○八になる。人間はその半分やっておけばいいんじやないかと……。ところが途中でプランなどにいろいろ追加や変更があるんですね。だから組で決めるというのも至難の技なんです。窓よりも屋根のほうが大変です。ここでは門とか倉庫とかが余っておりまして、そこに八つの屋根がかかっております。これはどうして八つかというと村八分になっているわけです(笑)。施主側からは最初に大きな箱型の保育園はいやだ、何か子供のお家が集まっているような形のものが欲しいという希望があったんです。屋根のトップライトはできるだけ周辺部にはつけないようにしています。中庭がありまして、内部はオープンスクールになっています。
でき上ったときには、はげしい形だとかいわれましたが、自分としてはこういうイメージは自分の中にあったわけだし、こういうイメージは許されるんだと漠然と思っていました。ところが、中国の桂林に行ってみましたら、ホテルの窓から見た景色に「あっ、これだ」と思って本当にぴっくりしてしまったんです。
雪舟が何世紀も前に水墨画で描いて見せてくれた中国のイメージというものを、ぼくは抽象画というか、デフォルメされたものだと思っていたんですね。ところがそれが実は具象画だったわけですね。そういう意味で、雪舟という人は情報を与えてくれたという意味ではすばらしい人だけど、絵と風景があまりに同じなので、画家としては大したことはないんじゃないかという思いを持ってしまったりもしました。いろいろ思いは複雑でした。その景色というのは、ひとつひとつの山がインデペンデントで独立している。部分が独立して、それが集合しているというイメージですね。 全体の系統というのはよく見えないけれど、そこには確実にイメージがある。桂林を知っていたわけでも、桂林の写真を見て設計したわけでもないんですが、自分の中に、こういうイメージでいいんだという確信みたいなものがあって、それが多分、雪舟の絵によるものだったんじやないかなと、あとで思いましべそういう意味で、建築のイメージはいまやアジアレベルというか、世界的なレベルに発展していってる感じがします。
次に、最近の作品で瓦屋さんの建物です。「ジャイロ・ルーフ」と呼んでいるものです。これもやはり漠然とあるイメージが最初からあって、かなり最後になって、そのイメージが実は中国とからんでいたことが自分でわかったんです。これは、いってみれば数奇屋の技法でもあるし、ジャズっぽいということもあるし、この場合にはジャズや数寄屋のように反抗的志向でやっているんではなくて、宇宙の運行というか、こっちのほうがもっと大きいシステムなんだというような感じでやっていました。宇宙の中に直交座標なんかないんです。これは最近、ハレー彗星などのブームで、皆んな感じていることだと思います。宇宙の運行がまずあって、スペースというもののモデュールはほとんどないんじやないか、だいたい単位というのも億光年というような単位なんです。でき上ってから思ったことは、やっぱりこういう建物もあっていいんだということです。もちろん、その確信はあってつくったんですが、あとで思い当たると、世界の屋根の代表のひとつである、中国の天壇の屋根だったんです。
これは中国の天壇の屋根をゆるがしていった構成だということもいえます。屋根が三重に重なって、真ん中が抜けてる感じというイメージは自分の中にあったんです。しかし、それをサポートしてくれたのが、中学生くらいのときにラーメン屋のカレンダーか何かで、この天壇の写真を見たんじゃないでしょうか、その強烈なイメージがあったんだと思います。実際には、瓦でこんな形をつくるのは大変だったんですが、施主の瓦屋のおじいさんの、是非とも新しいことをやりたいという希望があったので、最後までやれたわけです。といっても、実際に瓦を葺いたのは、そのおじいさんの息子であり、友人の職人さんたちなんですが、水平じやない屋根に瓦を葺いてゆくのは、どこまでいってもピタッと含ってこない。
結局、もう一度全部をやり直すといったぐらい、頑張って葺いているわけです。そうして数奇屋風の天壇ができ上りました。瓦屋さん自身は玄関に使っている、いわゆる和風の屋根は一番嫌いでしたね。新しいことをやってくれというのに、どうしてあんな形なんだといわれましたので、あれがいま一番新しいんだと説得したんですが(笑)、まあ、とにかく多様な屋根が集合しています。居間の部分の屋根が、ジャイロというか、フラフープ、あるいは天球儀のような動き、回転に上下の入った旋回という動きをしています。
天壇が示そうとしたのは秩序だったわけです。しかし、そんな秩序は地球上で考えられたにすぎない小さい秩序で、いまや宇宙像がここまで拡大してくると、あんなふうに真っすぐに積層している天体の動きなんて、おそらくひとつもないだろう。全部もっと流動的にからんでいる。だから天壇のようにただ重なっているなんて秩序はないはずなんです。しかし、秩序が欲しいということと、現実の秩序との間には、やはり技術的なレベルがあって、中国の人には限界があったわけです。だから、いま私たちが持っている、あるいは知っている秩序の限界でつくったほうがいいんじゃないかと思います。