アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
時間がなくなってきましたので、急いで話します。次は壁です。
人間の住まいというのは、いまから二千年以上も前にすでに、壁に囲まれたという形をとっています。中央線の武蔵境の駅前に小さな交番をつくりました。「武蔵野警察署境派出所」です。正味一○坪というかわいい建物です。
次が家型です。これは屋根とはまたちょっと異なりまして、胴体もついていて、いわゆる「お家」というものです。これは近代建築の範ちゆうからはずされているものですから、ここにわざわざ挙げられてくるわけです。たとえば、アメリカでいえばトーマス・ジェファーソンの家とか、インディアンの家とか、かつては家らしい家があったわけです。いまニューヨーク・マンハッタンの人たちも、ビルが皆四角くなってしまったと反省して、やはり家型がいいというわけで、ビルに特徴をまたつけ始めているんですね。
日本でいうと、東京や大阪や名古屋という、爆撃でやられた街ならまだしも、最近は京都でもつぎつぎと家型がこわされ、コンクリートの箱の建物に変わっていってます。これはやはり非常にけしからんことだと思うんです。京都でいえば、産寧坂と祇園新橋と嵯峨野・鳥居本の三か所がさきほどいいました伝建地区(伝統的建造物保存地区)になっています。京都人は本当に駄目になっちゃったなあと感じるのは、実はこの伝建地区だけは何とか保存しているんですが、あとは目茶苦茶に壊しているんです。京都駅のまわりなんかは、目を覆いたくなるような状態になってますね。逆にいうと、伝建地区そのもののあり方がいけないんじやないかとも思います。少なくとも、コンセンサスとして京都には歴史を残す。そして、歴史を残すという形を最もすすめたところが伝建地区であるという風にならなければ、伝建地区はまるでパンダみたいになってしまいます。客寄せパンダに人が集まり、あとは目茶苦茶ということになるんじやないか、というより実際にすでにそうなってます。京都のイメージの新しいポストモダンなんて騷がれていますが、そんなことは京都の町には不要なことのように思えます。歴史をどうするかということから判断して、その上に伝建地区があるという風にしなくちゃいけないと思います。
話は逸れてるんですが、もう少し続けますと、たとえばコンクリート打放しのファッショナブルな建物などにぼくが考える方法は、黒子にすべきだということです。コンクリート打ち放しではなくて、せめて黒く塗る。もともとそこにはなかったものが場面に登場するわけですから、歌舞伎の黒子と同じように、色を黒く塗れといいたい。これがコンセンサスになれば、極めて簡単にできることなんですよ。近代建築を古い伝統的なものの中にぶち込んで、その対比で非常にいいものができたなんていっているような、そんな楽観的な事情が許されるような状況は、すでに日本の歴史的遺産の中にはないと思います。
家型の話に戻りますと、小さな住宅やら別荘などに、家型のものがたくさんあります。たとえば狭いけれども楽しいわが家というぼくの「自邸」もそうです。赤坂にあります。土地が一○坪で、その一○という拾の字と拾うというのは同じなので「拾庵」と名付けた茶室が中中にある建物です。実は、かつてここには大きないちょうの木が立っておりまして、本当は平屋で前に下駄でも並んでいるような建物をやりたかったんですが、なにしろ一○坪ではそうもいかなくて、写真のように建ち上がってます。この辺も最近は目茶苦茶に土地の値段が上がっていまして、ここでも買ったときの一五倍くらいになっていまして、ぼくの事務所なんかは、その担保力でかろうじて保たれているわけです(笑)。そこにあったいちょうの木の切り株が飾ってあって、毎日お線香をあげてます。コンクリートの箱にダウン(羽毛)の壁掛けをつけたような形です。
もう少し、ちゃんとした家型というか、数奇屋の家をいま、水沢工務店、鹿島建設という本格的なコンビで工事中です。裏庭の竹藪を一○○○坪ばかり買ってくれたおばあさんがいまして、そこにやっております。これだけのものになると、やはりいろいろ考えさせられるところが多いです。和風はなかなか流動的ですから、もう一○案ぐらいつくっているんですが、ようやく決定案が生まれました。
もうひとつ、家型の家が集まってできた村に、後楽園のエアードームのようなテントをかけたものをやっています。中に燃えるもののある商業施設としては初めて許可されたテントで三井不動産やダイエーによる船橋のららぽ−とに建つ「サンリオ・ファンタージェン」と呼んでいる建物です。ドイツのローテンブルグの街が中につくられています。