アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は箱です。いまは箱というと黒川紀章さんの「中銀マンション」でやったような、トレーラーの箱のようなイメージがありますが、それ以前にはやはり、人間がそこに隠れ込む最小限の単位としての箱というような働きがあったと思います。だから村という単位で見ても、ほとんど同じサイズの箱でできていて、それを破る大きさの施設がないというのが共同体の特徴なんだと思います。それと同時に箱というのは加減乗除の演算が非常にやりやすいですから、たとえばアドルフ・ロースの作品のように、箱の組み合わせだけでも家がつくっていけるわけです。
それでぼくもやってみました。茶室を近代建築でやってみようとつくったのが、もうこの作品はかれこれ二○年前になりますが、「玄珠」という茶室です。箱の中に木造で茶室をつくりまして、その間を床の間にしたり水屋にしたりしています。箱の加減乗除のやりやすさと、地中海沿岸地方の村でよく見られる箱の積み重ねの村との間には、関係はあまりないように思います。箱型が好まれているから使われている場合と、箱ということに別の意図があって使われているということの間には明らかに違いがあると思います。
さきほどの柱を並べることよりも、もっと大きな話になりますが、第二次世界大戦というのは二つの柱の列の戦争であったといえる象徴的なものが、ヒットラーの第三帝国本部の柱と、もう一方はアメリカの唯一の建築家でもあった大統領トーマス・ジェファーソンのつくったバージニア大学の柱です。ジェファーソンのほうは高さがくい違うところをつじつまを合わせたり、正面部分で柱間が広がったりして、なかなか自由で適材適所という感じです。ところがヒットラーのほうは、使うというよりも見せていく建物として存在しているわけで、これで第二次世界大戦の結末はアメリカの勝利に終わるわけです。
柱が連なっていった回廊というのがあります。たとえばチェコスロバキアの街にみかける回廊では、真っすぐじゃなく、よろよろと曲りくねり、その途中に犬が淋しそうに立っていたりして、柱の太さも、それがつくり出す影もそれぞれ違っています。
こういう魅力をなにかシステムとして表現できないだろうかと考えてつくったのが「直島体育館・中学校」なんです。○度と三○度でつくって全部並べていったんですが、独立した柱はここでも54本です。全体としては純という数字を超えてしまいましたが…・。下をずうっとコロネードが連なっています。もちろん、直線的なコロネードじゃなくて、土地の形状に合わせたりして曲がっていってます。
ぼく自身はこのコロネードも数奇屋の方法の一種だと考えているんですが、とにかく中学生が三年間ここに通う間にきっと何かの影響を彼らに与えてくれるだろうと期待しているんです。プラス・マイナス三○度でやっていますが、それを意識的・示威的にやることは間違いだと思うのです。意識的にルーズなものをやるのはいけないので、民芸的というか、その時代の技術の限界をつきつめてやるべきだと考えて、プラス・マイナス三○度と○度の組み合わせになっています。この施設には安い工費にもかかわらず武道館まで含まれておりまして、仕方なく屋根を載せたんです。その後、町役場をつくりまして、この場合の屋根のほうが下の本体を越えてしまったんです。
町民体育館でちょっとユニークなことは、武道館を体育館のステージにしているんです。これは町じゃなきゃなかなかできないことなんです。というのは武道館の補助金は出ていて、体育館の補助金も出ているわけです。二口の補助が出ているのに建物は一つになっているんです。これは会計検査院におこられるんですね。ところがここは離島ですから、チェックにきたら二重のベニヤを張ろうと板を用意して待っていたんですが、結局チェックはなかったようです。ただ、これはいろいろな意味を含んでいます。体育館というのを耐火被覆をしなくていい大きさでつくりますと、いまある半分くらいのステージしかつくれないんです。バスケットボールやバレーボールコートをきちんととるとそうなるんです。そうするとそんな狭いステージでは二・三列に並んで歌うことぐらいしかできなくて、演劇空間にはならないわけです。そこで武道館を舞台にしてしまうことで、両方解決したんですね。耐火被覆もやめちゃったんです。そもそも体育館じゃなく集会場であるという規定にしちゃったんです。
「直島体育館・中学校」で箱の話に戻りますと、箱という単位は学校では教室はあるんですが、それ以下の単位ではないんですね、いまは。ですから、ここではそれをつくろうということで、生徒会室とかピアノ室とかシャワー室とか、そういう小さな部屋を箱でやっていったわけです。それで教室のほうはできるだけ明るくということで、フレームに囲まれた全部が開口部になっている校舎になっています。