アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は本体とは別に建てられるファサードです。壁にくっついて仕上がっていれば、それは単なる仕上げなんですが、離れて建っているのでファサードということになります。ウォーカー・エバンズの最も代表的な写真でアメリカの小さな建物の作品があります。そこにもファサードがついています。アメリカは街づくりにおける楽観的ともいえるアメリカ人らしいよさを持っているんですが、こうしたファサードがついて、それが並ぷことによって西部の町みたいにそこに通路ができていく。こういうファサードの伝統というものがあります。コカコーラの看板に描かれたアラバマ州スプロットの郵便局、ガソリンスタンドと、この三つの要素でアメリカが表現されている写真なんです。
それで、ぼくの作品なんですが、新橋と浜松町の間に建つ「ゲーブルビル」と呼ぶものです。ファサードにダッチ・ゲーブルをつけたものです。一時期、この建物の最上階のゲーブルの中の二層分を使って、ぼくの事務所がありました。
一番大きいものを一番小さいものにつけてみようとしてつくったのが「清水の舞台による数奇屋」と呼んでいる作品です。木造として一番大きいファサードが清水の舞台です。これを一軒の住宅につけたものです。外側は吉田五十八風にくるんでいくという手法です。小さな家にしては、なかなか威風堂々たるファサードになっています。サッシュも太くしてあります。ぼくは子供のころ、大きくなったら清水の舞台の柱の間に乞食になって住んでみたいと思っていたんですが、この作品でちょっとだけこの希望が果たせたというわけです。
全国に「伝統的建造物群保存地区」、略して伝建地区と呼んでいますが、これが二五か所にあります。最初に妻籠から起こったものですが、国宝や文化財として単体のものを保護するのと異なり、集団、集落としてそれを保護・保存するということで、この十数年前から文化庁によって政令化されてやっております。この伝建地区が岡山県下にニつあります。一つが倉敷で、もう一つが岡山の北へ二時間ほど行ったところの吹屋という集落なんです。その吹屋でいま、ちょうど集落の真ん中のところにある施設を設計しております。ここは昔、ベンガラで繁盛した町です。ぼくなりに歴史というものに対して考えていることもあって、目下、文化庁といろいろ折衝して設計しております。ようやく折り合いがついてきつつあるところなんです。
吹屋の中心の通りは一軒一軒が非常におもしろいんです。というのはベンガラの得意先が大阪も京都も江戸もいたわけですね。だからその得意先に含わせて家をつくっているというユニークなケースなんです。いろいろなスタイルの蔵を中心とした建物が並んでいる街道があって、夜などに電気の消えた状態でそこを歩くと、簡単に歴史と片付けてしまえないすごさを感じます。ポスト・モダンなんていって歴史を簡単に引用したりしているんですが、こういう歴史そのものの真ん中で設計をさせてもらうと、自分はまだ知らないことが無限にあるという事実を教えられます。たとえば、格子の間隔ひとつを取り上げてもそうです。
ここでちょっと間題がありまして、街道に面してコンクリートの公民館が建っているんです。伝建地区の指定を受ける前に建てられたものなんですね。その建物がこの通りをぶち壊しているんですね。この地区の上の林の中に県のほうから国際ヴィラの設計を依頼されたのですが、これをやはり隠さなきゃいけないんじゃないか、ということを提案してから話が始まっているんですが、文化庁としては石井に隠してもらうのでいいのかという風な立場に立つわけですね(笑)。保存ということから考えると、どうしても物事に警戒的になってしまうようですが、保存といってもそれは発展するために保存しているんだから、積極的な保存が必要なんだと思うんですね。だからぼくは妻寵より馬籠のほうが好きです。太田博太郎先生や伊東ていじ先生におしかりを受けそうですが、妻籠はまるで江戸時代に帰ったみたいで、馬寵のほうはバーもあれば飲み屋もあるということで、生きてる街らしいんですよ。だからぼくは文化庁の人にいったんです。倉敷を見てごらんなさい。異質なものを壊すというなら、あのギリシャ神殿みたいな大原美術館も壊して蔵でもつくりなさいと。あれはあれでやはりいいんですよね。あれがあって倉敷の町は生きているんですよ。ヨーロッパの魅力があってヨーロッパ絵画も入ってきているんですから。経済が発展し、豊かになり、人がもっとたくさんくるというための保存だろうと思います。
それで、コンクリートの公民館を隠すのに、どういう案をもっていったかというと、この公民館を建てたときに、そこにあった建物を壊しているわけですね。その建物を、古い写真もなにもないので、町のお年寄りの話などをつなぎ合わせて、それから立面を復元したんです。それは醤油屋の家でした。それで醤油屋のファサードを復元してコンクリートの公民館をくるんでいきました。ところが、醤油屋の建物だけでは、新しく求められている機能を充足できないんです。計画しているのは「国際交流ヴィラ」ということで、ここを訪れる外国人に安く、長く滞在してもらって、仕事をしてもらって、町の人と触れ合ってもらおうという企画なんです。ですからもとの醤油屋の家だけじゃなく、もう少し新しい空間をつくらなければならないんです。これに瓦屋根を載せたいんですが、これはウソになるんです。瓦を使うことで余計にウソになるわけです。というのはそういう瓦屋根がそこになかったことは明白なわけですから。文化庁の希望は別の建物ということで銅板だったんですが、銅板は緑色になりますので、それでは町のほうから嫌がられます。それでもめていたんですが、最後にぼくのほうから出したギリギリの解決法が、テントなんです。グラスファイバーのテントを石州瓦の赤い色に染めるという方法です。テントでつくるということによって、この屋根は道を歩く人からはほとんど見えないんです。わずかに稜線だけが見える程度です。この案に対しても当初はとんでもないといわれたんですが、これをやれば必ずや話題になって、観光客がきてくれますヨとか、いまの時代とはということをいろいろ説明して、何とか文化庁も反対はしないというところまでこぎつけたという状況です。