アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次が櫓です。塔といってもいいんですが、櫓のほうがウオッチングという感じが含まれてくるので、やっぱり櫓がいいですね。見ると見られるの関係が存在するのが櫓の大きな特徴です。したがって、単なるエレベータータワーとか高架水槽では駄目なんです。やはり、こっちを見ててくれなければいけないんです。その関係が重要なんですね。
長唄のお師匠さんの家ですが、金閤寺をコピーしてつくっています。今藤長十郎先生の別荘「月兎庵」です。
次に、塔を四つ並べ、教室を分割して配置しているのが「直島幼児学園」です。この幼児学園では、教室と教室の間に二階建ての櫓があります。この部分は子供たちの大事なかくれ場所になってます。授業が嫌いで一日中その上にいて降りてこない子供がいたりするわけです。しかし、その子を無理に降ろしてしまうというのはまずいんじやないかと思ったりもします。櫓部分の下層にある、ごちゃごちゃとした細かい部分にかくれている子供もいます。普通の学校建築の教室には、こんなサイズの空間はなくなったというか、失ってしまってるわけですね。ドイツ式の片側廊下のハーモニカ型の教室配置を明治時代に採用したことで、住宅と連続するスケールが学校になくなった。だから、子供たちはいきなり広いところへ皆んなと一緒に入れられてしまう。
そして、そこで背筋をただして勉強するというのが教育であるという形でいままでやってこられているわけですが、それが本当に子供の成長の形と見合ったものかと考えると、そうではないと思いますね。よく間題にされる受験勉強の偏重とかいじめの問題なども、人間として普通に持っている行動のパターンを受け止められない空間で生活させられている結果のようにも思えるわけです。われわれ大人だって、たとえば夜になるとちょっと一杯お酒を飲みたくもなるわけですよ。そうしたごくあたり前の生活の行為ができないような環境に子供たちを閉じ込めてしまうのはまずいことだと思います。
次に櫓をちょっと振った建物をつくりました。これはあとになって気がついたのですが、イスラムのほうに同じようなパターンのものがあります。榎本了壱さんの家で「SPINN-INGH0USE」と呼んでいるものです。櫓の部分が左旋回しています。計画当初は国会議事堂をひねっちゃおうといってたんですが、だんだんシリアスに考え出して、結局、わりと単純な形にまとまていったんです。
人間の身体にもやはり回転というか捻転があるんですね。ルネッサンスの人体像には捻転は表現されていないんですが、現代はもっと回転しているというか、ルネッサンス期にはその時期なりの革命的要素があったのですが、現代には現代の革命がある。それが回転とか捻転、あるいは旋回といった不連続の連続じゃないかと思いますね。
ぼくの作品の中では、「54の屋根」とこの「SPINNING-H0USE」の二つが、結構あるところまで行った建物という気がします。そして、これはちょっとそこから引き返さないと、さらに前に進めないんじゃないかとも考えています。
次に「GAハウス」という作品です。櫓の上に近代建築の四人の巨匠である、ミースと力ーンとコルビュジエとアールトを載せて、それぞれの光をやって、光の研究所をつくってみたものです。たとえばカーンだとキンベル美術館の光をつくっています。
そして、ぼくの事務所です。自宅は庵で事務所は櫓です。赤坂にあります。ここでもまた奇しき縁があって大変安く土地が買えて建てたものですが、その後すごい勢いで値上りしました。上のほうにいろりがありまして、空中いろりと呼んでいます。縄文文化の逆転です。事務所ですから、いろいろ建材のサンプルを集めて使ってコストダウンを図っております(笑)。
階段は各段に全部違う材質の板を使い、名前を彫り込んであります。いつかその木を使いこなしてやろうと、毎日踏んでいるわけです。施工会社とトラブルがありまして、そのせいでずっと色を塗らないままであったんですが、最近ようやく色を塗りました。この事務所に似合う椅子はこれしかないと考えて、椅子をきれいにつくる天童木工に、できるだけ汚なくつくってくれと頼んでつくってもらいました。バリッとひぴを入れたような椅子で、ちょうどナイフでカンバスをひっかいたルチオ・フォンタナの絵と感じが似ているので、フォンタナチェアと名付けました。考え方としても似通ったものがあるんだろうと思います。
櫓として、飛雲閣をコピーした作品として、「直島町役場」があります。飛雲閣もそうですが、ここでも海が前面にあって舟入りになっています。昔から京都の文化はどんどんコピーされて地方に入っていったんですね。ですから、京都の文化のパターンを入れるということで飛雲閣をコピーしています。直島のような島にある住宅でも伝統的なものが次第に形を変えつつあって、子供たちが親にこんな家じゃなくて、もっと新しい家にして欲しいというようになってきているわけです。そこで、町としてはこんな家がいいんだと誇りを与える模範になるような庁舎をつくって欲しいというのがスタートだったんです。ガラス張りのピカピカ庁舎になると、いまある民家も皆んな壊されて建て替えられてしまうことになるから、それは困りますというような感じだったわけです。
これは、ポストモダンがアメリカをべ−スにしないで成立している点でユニークな作品ではないかと思います。非常に端的にポストモダンの問題を示している作品なので、いまだに評価がわかれているようですが、時間がたってくると、この建物は次第に立脚性を確実に持ってきつつあると感じております。飛雲閤というとき、その言葉自体は一人歩きをしています。
飛雲閤の持つものすごいパワーがこの建物を守ってくれているように思って、さすがは飛雲閣と感心したりもしています。そこまでは予想していませんでした。直島での仕事は、目下、島の南側のほうでやっております。