アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は、集落と建築ということで見てみたいと思います。
この二枚のスライドは、片方が沖縄の守礼之門とそれに隣接する城西小学校です。もう一方は、中南米グァテマラの山奥の集落です。このふたつの風景のどちらが日本的かというと、沖縄のほうが異国情緒にあぷれているように思います。グァテマラのほうが、どこかで見た風景というか、とても日本的です。この集落へ行ったとき、本当に日本的なのにびっくりしました。中南米といえば、一般的には、さきほど説明しましたように、離散型の集落が多いのですが、この写真の集落では、インディオたちはかなり昔に入ってきたヨーロッパの宜教師に影響を強く受けたのでしょうか、この近くに教会もあるといった具合で、他の中南米の集落とは様相を異にしています。
城西小学校は、集落の教えでいえば最もストレートな建物になっています。守礼之門の横という、沖縄文化の代表的シンボルに隣接し、将来は歴史公園として整備していこうという首里城跡の中に敷地が位置しているので、こういう場所でどんなものをつくるかといったときに、かつてこの同じ場所にあった集落の再現という方法をとったわけです。この同じ場所の50年前の写真が出てきたので、それを参考にしました。戦争でこうしたかつての集落は壊れてしまったんです。そこで沖縄の人びとに、かつての集落を再現するような、そんな小学校をつくってみたらどうだろうと持ちかけたわけです。これは、集落の最もストレートな写しなんです。
ですから、集落のつくり方のさまざまなボキャブラリーを採用しています。換気や採光用のいろいろなトップライト、そこからいろいろな光が射し込んでくる。熱気を抜く換気孔、そういうようなものがついています。内部はいわゆるオープンプランを採用していますから、壁がなく、教室は運続しています。沖縄は、その気候的なことからいって、壁があってもじやまなだけです。ですから、オープンスクールなどという理念を持ち出さなくても、自然とオープンスクールなんです。新しいシステムの、壁のない小学校というのを母体にして、すべての教室がひとつづつ別々の屋根を持っている、つまり、建物の形態としては住居の集まりになり、内部はそれぞれどの教室もよく似てはいながら、たとえば天井は各教室少しづつ異なる形になっています。さらに、外観は沖縄の建物そのものですが、内部は非常にモダンに、他の文化を連想させる、あるいは宇宙船を連想させるといった、全く違った様相の建物ができています。屋根の下には、屋根を一枚はいだところに、外観の印象とは違ったものが納まっているということで、いわばこれは平面的なオーバーレイでできているともいえます。
次は、ヤマトインターナショナルです。この作品では、かつての「住居に都市を埋蔵する」といういいまわしの表現が、これまでは多少抽象的であったのが、ヤマトインターナショナルがたまたま実現することになって理解していただけたのかなと思います。建築の中の都市というか、建築に集落を埋蔵するという、そういういい方のストレートな表現の例です。比喩的でも暗喩的でもないストレートで直喩的なつくり方でもあるわけです。
こちらは、ギリシャの島のひとつ、サントリーニ島です。ヤマトインターナショナルがサントリーニ島の集落を意識してつくったということではありません。逆にヤマトイン夕−ナショナルに似たものを探したら、サントリーニがあったということなんです。どこが似ているかといえば、ひとつのウォール(壁)のつくり方、橋、庭、教会、あずまや、森といった、およそ集落にはありそうなものを、みんなこの中に、インテリアも含めて、このヤマトインターナショナルの中に入れてあるということなのです。
集落の特性である、いろいろなエレメントが重なり合ってできているという、そういう点と、もうひとつは、季節や天候、一日の朝昼夜などでそれぞれ建物のルックス、表情が変わってくるという、移り変わりの様相という特性もなんとか実現したかった点です。
ヤマトインターナショナルの「部分」に目を移してみますと、さまざまな要素が見えてきます。サントリーニ島というのもまた実におもしろいところで、要素がたいていそろっているわけです。しかし、インドやチベットの集落と合わせて説明しても、それはそれで説明がつくし、なんとなく似ているといえば似てもいるわけです。それは、とりもなおさず、集落というものが持っている類似性、どれほど違っていても類似性を探し出すことができるという特性だと思います。
建物のファサードそのものも都市であると同時に、その建物が都市の中に入ったときにフワーッと見えてくる建物の部分が、どんなまちの中にあっても、また背景として切りとっても、調和してくる。いってみれば、形もどうしてもこれじやなくてはいけないということではなく、また手摺もひとつくらいなくてもいいし、三角のものが四角になっても大差がないというか、そういうルースな秩序の上に成立しているものですから、ゴチャゴチャしたまちの背景となんとなく合ってくるわけです。私は、そういう建築のあり方というのがいいのではないかと思っているわけです。
ですから、オーバーレイということでいっても、単に自分のところの建築だけでやるのではなしに、そこで発生してくる建築の全体的な雰囲気、つまり、様相がそのまちを一緒に巻き込んでいくというか、一緒に融含していくということであって欲しいわけです。このヤマトインターナショナルの周辺は、埋立地でひどい環境のところです。周囲は倉庫ばかりです。そういう環境を非常に明るい雰囲気に変えていく、つまり、土地そのものの空間の全体性、様相を変えていくという、そういう原因たり得る建築がやはりいいんじやないだろうかと考えたわけです。
太陽に輝いて銀色に見えることもあるし、タ陽に染まることもある。そうした変わっていく姿は、私たちが世界の集落を訪れたときに見たり、感じたりする敬虔な雰囲気、その全体性と同質のものと思っています。それは、一種宗教的な、遠くのかなたに呼びかけているというか、宇宙に呼びかけているというような感じを受けるものです。ガルダイヤでもそうした感じを強く受けるのですが、そういったものを、私たちが今日において、まさに様相論的なレベルでつくっていくにはどうしたらいいのかということは、これからの探求に一にかかっているのです。自然の変化を増幅する装置としての建築、というつくり方がおそらく、そういった宗教的なというか敬虔な、いいかえれば宇宙的なということに通じていき、なにか呼びかけている建築をつくる、ひとつの方法だろうと思います。もっとうまい方法がきっとあり、集落をもっとよく解読していくと、そういう別な方法を発見できるんだろうとも思います。集落はそうされることを待っている、解読されることを待っているんだろうと思います。