アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
まず最初は、有名なガルダイヤです。アルジェから南下していった、サハラ砂漠の端にある集落というか、小都市です。この集落は、コルビュジエが、「デザインに困ったらガルダイヤヘ行け」といったと伝えられる、そのガルダイヤです。先端にモスクの塔があります。実際はこのモスクの塔は丘の頂点に建っていまして、それを古い城壁や新しい城壁がまるで年輪のように次第に大きく取り巻いていき、だんだん大きくなわって、まさに求心的な空間がつくられ、モスクを中心とした典型的な集落になっています。
次は、スペインのペトレスという村です。教会があって、小さいですが領主の館があって、農家がそのまわりにある。さらに儀式的な教会があって、まわりはオリーブ畑です。これも求心的な空間になっています。たとえば道路を見るとよくわかるのですが、道路が外に対して開いていく。内部に行くに従って細くなっているわけです。だんだん細くなっていった、その行き先が中央の教会の前の広場になります。しかし必ずしも円形にきれいに集まっているわけではありません。
さて、このふたつは、片方がキリスト教の集落で、もう片方が、ベルベル人が住んで、アラブと融合してできたマグレブという文化が生み出した、大変に傑出した都市です。そのふたつに非常に似ている点があります。つまりガルダイヤの中心にキリスト教の教会を持ってくれば、これは間違いなしに写真を見る限りでは、キリスト教の集落になってしまう。これに似たキリスト教の集落が実際にあります。ところが、基本的に違っている点があります。つまり、教会とモスクを入れ換えれば集落形態は同じであるかというと、そうではなくて、実はひとつひとつの住居が両者は全く違っているわけです。キリスト教の集落のほうは、住居の一階に半ば公共的なロビーになるホワイエという空間が存在しています。それは、コルビュジエがピロティという空間をつくり出すもとになっているものです。そういったホワイエがキリスト教の集落の住居にはあります。ところがマグレブの文化の都市では、住居はすべて壁で閉じています。外からはほとんどなにも見えません。外からは小さな窓が見えるくらいです。もちろん道に対しても完全に閉ざしている。つまり公共に対して開いている住居と閉じている住居という違いがあるわけです。ですからこの両者は住居という点から見ると、基本的に全く異なったものであるわけです。
つまり、似ている点と、ここでは求心的空間ということですが、こうした似ている点と、異なっている点があることが、どんなふたつの集落をとり出してもだいたいいえる。もちろん、大きく異なっているのと、非常に似ているというのは別にして、まあ、いろんな観点があって、似ているとか違っているということが同時にいえるわけです。結局、類似と差異というふたつの物差しを同時に持って、私たちは集落をとらえていくことが重要であるということの例として、挙げてみました。
これは、さきほ どの小都市ガルダイヤを違ったアングルから見たものです。中央の塔は高さはせいぜい7〜8メートルですが、丘の高さが40メートルぐらいありますので、上に立って眺めると結構高い。実際にも非常にそそり立って見えるという効果も充分持っています。ガルダイヤがあるムザッブの谷というのは、アフリカの地中海側から南下し、アトラスを越えてサハラ砂漠が始まる、砂漢の北縁にあります。この砂漠の北縁には幻の小都市といわれているものが七つあります。
次は、サハラ砂漢を縦断していき、また砂漠の別のエッジに行きますと、サバンナに入っていき、そこにはまた別な集落が出てきます。実はきょうは左右にスライドを二枚映していますから、その二枚はできるだけ似たものをということで選んで並べているつもりなんです。ところがこうして並べて見るとかなり違って見える。このサハラ砂漠の北縁と南縁の集落でこれだけ違うわけです。一般に砂漠の文化とか、砂漠の建築や都市、と一括していわれますが、同じサハラでもこれだけ異なる。これからもっと違うのが出てきます。ですから、およそでも、サハラ砂漠の建築は、といういい方はとてもできないことなのです。もっと局所的に見ていかなくてはいけない。つまり、地域というものは、あまり大きくとらえると、まちづくりなどにおいてもそうですが、なにか間違いを犯しやすいのではないか、非常に局所的に見ていくという見方が重要ではないかということの例です。
次は、同じくサハラの南のサバンナにある、隣接して数キロ離れているだけのふたつの集落の写真です。集落の中にいくつか穀倉が見えています。アフリカの集落では、この穀倉がそれぞれ際立った特徴を持っています。この二枚の写真が示しているのは、同じサバンナの、ひょっとすればお互いに見えるぐらいの位置にある集落においてさえ、その穀倉のデザインが大きく異なっているという例です。片方は角が丸くなっているし、入り口も片方は横からで、もう一方は上から入れるようになっている。基本的な形は両者とも四角ですが、これだけ違っている。なぜこれほど違うのかということは、なかなか説明のできないことです。まだ他にもいろいろな穀倉があります。たとえば、このようにまるで壺のような形のものもあります。それから四角形が次第に円筒に近いものになったものもあります。また屋根もいろいろと変わっています。
このように、アフリカのサバンナの集落というのは、いろいろ比較しやすい集落です。それではどういう点で違っているかというと、それぞれの部族による違いが大きいんです。たとえば、穀倉というのはどういうふうにつくろうかと考えて、それぞれの部族ごとにつくり続けてきた結果が、部族ごとの踏襲ということで、個性的になっているというところもいくつかあります。
住棟に目を移しますと、円形に散らばっています。いわゆるコンパウンドと呼ばれる、複合の住居のつくり方です。そのコンパウンドの重要な要素が、円いプランということです。ところが、そのつくり方はそれぞれにやはり違っているわけです。なぜかということを考えてみますと、穀倉という概念ひとつを考えても、各部族は自分たち独自のスタイルをつくり上げているわけです。非常に似たスタイルというのは、部族が違ってもあることはあります。ところが、その似たものでも、集落全部そっくりかというと、住居のほうが大きく違っていたりするんです。そういうようなことで、隣の部族と似たようなものをつくっていながら、ある部分では違ってもいるという、一種の混ぜ合わせになっています。それぞれ方言をしやべっているということです。ですからアフリカのサバンナ地方の穀倉のスタイルのどれが標準かといっても、標準はないんです。丸もあれば四角もあるし、壺状もある。標準形はなくて方言があるだけなんです。
住居に関しても、コンパウンドの一軒の家の形にしてもそれぞれ方言がある。丸い家もあれば、そのいろいろな変型やバリエーションがある。似ているといえば似ているし、違っているといえば違っているわけです。ですから、こういうような集落のつくり方を、全体を見てどういうことがわかるかといいますと、「建築をつくるときには、みんな違いなさい、同じようなものをつくってはいけません」という教訓になってくるわけです。いろんな部分をつくるときにも、少しづつバリエーションをつくりなさいということでもあるわけです。ある建築において、仮りに、集落というものを目標にした場合には、そういうきめの細かいつくり方をしなさいという話に通じていくわけです。