アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
きょうは、「集落の教えと様相論」というテーマで、集落の話と私の最近の作品が主ですが、スライドを用いてお話ししたいと思います。
1970年というのは、日本の建築の世界においてひとつの区切りになっています。それはまた世界的にもひとつの区切りになっています。いわゆる私どもが教わってきました近代建築と、今日の建築−−それをポストモダンといってもいいでしょうし、さしあたり私はそれを現代建築と呼んでいるのですが、それは後日、歴史家の手に名称区分は委ねるということになると思います−−との間で1970年にそのひとつの区切りがあったわけです。いまから思い返しますと、いろいろな問題が社会的にも出てきまして、世界的にも文化の革新に対する運動が盛んに起こったわけです。
その中でどういう趣旨のことがいわれてきたのかということを、2〜3の例をとって説明してみます。ひとつは、公害とか自然破壊という言葉が出てきたのが、その時点でのことです。西欧合理主義というか、合理主義が公害そのものを生み出したり、自然破壊をもたらしたというのは妥当な判断かどうかはわかりませんが、いわば効率一辺倒の、進歩猛進の文化がもたらした弊害として、自然破壊や公害が生まれてきたのは事実です。そういうようなことに対する反省が、当時はじめて一般の人びとの意識の上にのぼってきたわけです。
それから、地域という概念です。地域という言葉は以前からありましたが、今日のような意味を持つにいたったのは、1970年のころのひとつの社会的な動きの中から生まれてきたものです。前は地域主義とか、リージョナリズムといって風土のスタイルを主張して、非常に民俗的なものとしてとらえていたんです。そのころから、地域独自の文化とそれぞれの場所のアイデンティティが必要であるという理論はありましたが、1970年ころから、新しい今日的意味合いをもった地域という言葉が出てきたのです。
そういうムードがあった中で、私自身は今後どういう方向へ行けばいいのかといったことを考えていました。そして、たまたま集落を見に行こうということになり、ヨーロッパの地中海周辺の集落を見に行く機会を得ました。当時はバーナード・ルドフスキーの『アーキテクチュア・ウィズアウト・アーキテクト』という本が広く読まれていました。ちょうど私たちに先行する形で、西欧の集落を研究した本でもあったわけです。私たちも、その集落の調査に出かけるまでは、ヨーロッパの都市は見たりして知ってはいても、集落というのは見てませんでしたので、果たしてどういうものであるのかということがひとつありました。
それから、ヨーロッパの集落を知る上で知っておかなければならないことは、コルビュジエが1930年代に都市像をつくったときに−−これはいまでもよく使われる概念ですが−−コミュニティという概念の基本はヨーロッパの中世集落であったと述べたことです。それを範としてコルビュジエが都市の理論をつくり上げていく。そのときに、私たちは実際にはなにも具体的に知らないで、そうした理論を鵜呑みにしていたわけですが、やはり、そういう意味からも見てこなくてはいけないし、私たちが知らない、どういうようなものがあるかわからないようなところも事実いっぱいあって、なにしろ行ってみようじやないかということになりました。それで、実際に行ってみますと、大変すばらしい集落に出会って驚きました。それで10年間ほど調査を続けたわけです。