アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は、よく似たものが遠く離れたところにあるという例です。
ひとつは、アフリカの地中海に沿って走るアトラス山脈の山中にあるベルベル人の集落で、クサールです。土の壁でつくられた村で、まるで土の結晶体のように見えます。その土地の土でつくりますから、土の色が地域によって少しづつ異なっています。土の色の微妙な違いが日干しれんがの色に反映しているんです。アトラス山中ですから、どちらかというと内陸側といえます。
もうひとつは、イランとイラクの国境にある。これもやはり内陸側に向かって展開する集落です。フラットルーフ、土の壁など、いろいろな要素を含めてこのふたつは非常に似ています。極端に似ている例です。しかし、ここでもちょっと違った性質があります。つまり、クサールが持っているカスバという砦を、もう一方の集落では持っていない。というより、ちょっと違った形で持っているのです。あまりくわしくは説明しませんが、それにしてもこのふたつはほとんど同じであるわけです。
ですから、遠く離れた二地点で、そしてそのふたつの文化が直接に交流したということはあり得ないにもかかわらず、人間は同じようなものをつくり出しているわけです。必然的にこういう形ができているのかというと、決してそうではありません。この後また別の例で、集落がいかに必然でなく、考案によってつくられているかという点もお話ししたいと思います。必然的でなく、そこにはある選択があるわけです。いつの時点かでいくつかの要素から選んだということはあるので、必ずしも、この地域の風土の中でこういうものができてくるという、自然発生的あるいは生まの自然の物理的解釈でできているという説明は、大抵の場含、誤りであると思います。もちろん、この場含も土を材料として使わざるを得ないということはあるにしても、ではなぜこういうプランにしなくてはならなかったかということですね。つまり、中庭状のものがいくつか複数にあったり、あるいはひとつだけであったりする住居形態ですが、そういう形になぜつくらなくてはならなかったのか、ということはほとんど説明できないのではないだろうかということです。
次は、集落の宝庫といわれるイランの人工オアシスの集落例です。いまは戦争中の国なので残念ながら見に行けない状況ですが、もうじきまた見れるようになるでしょう。私たちが調査したのはイラン革命の直前で、幸いにして見ることができました。そのイランには大きな砂漠があります。砂漢をぐるりととり囲んで集落が点在しています。そうした集落はどこも人エオアシスを中心にして集落が存在しているわけです
普通、オアシスというと水が湧き出ていると考えられますが、実はイランでは遠い山に降った水を集め、その水を地下を通して引いてくるのです。そして集落にオアシスを人工的につくる。なぜそこまで持ってくるかというと、平らな場所でないと畑とか植物を植えることができないからなんですが、そういうふうに水を遠くから運んできてつくった人工オアシスの集落がいっぱいあります。なぜ、そうまでして住まなくてはならないのかということについては、いろいろな解釈ができます。私たちが、では東京なんて住みにくいところになぜ住んでいるのかといったことと同じで、経済的な要因だとかいろいろあるわけです。現実の問題として、こうした条件の厳しいところに、人工オアシスをつくってまでも住まざるを得ない人びとがいるということです。ここで、人工オアシスというものは、その集落を成立させている大きなからくりであるといえます。こうしたからくりを、いろいろな形で集落は擁しているわけです。
住居そのものはどれもよく似たものです。標準語をしやべっているように見えますが、しかし、よく見るといろいろなボキャブラリーがあるのです。たとえば風車があります。非常に奇妙な形ですが、米を挽く風車で、ワラをつけて回転します。また、別のイランの人工オアシスの集落ですが、そのボキャブラリーとして、もちろん人エオアシスそのものもボキャブラリーの代表ですが、ここでは通風換気筒が重要なボキャブラリーとして存在しています。
この集落の人たちは、その換気筒なら換気筒といったボキャブラリーをなるべく正しく発音しようとする傾向がある。つまり、みんな標準語を話そうとするわけです。だから、それぞれ特徴的なボキャブラリーが、その集落の中ではどれもよく似た、そろった形をしています。たとえば屋根の形も三種類ぐらいの形でそろっている。それから、モスクやキャラバンサライ、公衆浴場なども、そっくりの形をしています。人びとは全部標準語を話そうとしています。これは、かつてのアッバス朝に代表される、非常に強力な文化の指導者がいるときに集落が形成されたために、みんな標準語を話そうとしたという典型的な例です。
この標準語という例は、さきほどのアフリカのサバンナの、隣接する集落でさえも、形はそれぞれ違うという例とは対極をなしています。イランの例はある意味で非常に都会的であるといえるのかもしれません。