アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ですから、私たちが何か新しい提案をしようとしたときに、従来の身体感覚を壊さないようなものしかつくれないという、非常に不自由なことが起きてきているわけです。それは一方で、むしろ従来の身体感覚をより補強するような、そういう役目が建築に求められてしまっているからです。そのような状況ですから、非常にフラストレーションがたまるし、皆さんもきっとそうだと思うのです。何かやろうとしても古い枠組みがしっかりできあがっていることがわかります。そこから出ることが非常に難しい。先ほどもいいましたが、そういう秩序というか枠組みが非常にしっかりしてきている気がします。
やはり建築をつくることは、そういう枠組みをどこかで壊すことだと思います。それは受け入れられるかどうかはわかりませんし、安け入れられないことのほうが、はるかに多いかもしれません。しかし、とさには受け手がそれを期待していることもあると思います。そういう受け手に対して、こちらが一方的に枠組みをもって、その内側だけで建築をつくってしまうのは悲劇です。枠組みを壊すことは、たぶんわれわれだけじゃなくて、むしろ多くの人たちが一方で望んでいるのではないかと思います。私はそれを期待したいと思っています。
ふたつの情報系の学科、情報アーキテクチャー学科と複雑系学科からなる、新設の市立「はこだて未来大学」です。三年ほど前のコンペで選ばれました。
情報アーキテクチャー学科は建築学科のようなところですが、モデルをつくって実際の空間を考えたりするほかに、バーチャルな空間の作業もします。また、情報系のシステムや環境自体も考えるような学科です。どういう学科に育てるか、それぞれ先生方もまだ模索している段階です。多分日本ではじめての学科です。
複雑系学科は、経済、社会、生物などのさまざまな学科の中で、ある考え方、今までの整合された考え方があるとしたら、その考え方自体がおかしいのではないかというところから始まった学科です。ですから、今までの学科を飛び超えるような学科です。ものの考え方について考える学科だといっていいと思います。
今回のコンペの要項を改めて見ていたのですが、延床面積が三万平米ということと、学生数が決まっていて、ふたつの学科があり、総工費が外溝も入れて百十億円、たったそれだけの条件でコンペをするわけです。よくいえば建築家に期待するところが非常に大きい、そんなコンペだったといえます。
敷地は函館山が遠くに見える以外、周囲に何もないところです。ランドスケープは妹島和世さんにやってもらっています。斜面ですから、建物全体は雛壇状に、斜面に沿って上がっていくようになっています。
ふたつの工区のうち、一方の工区が八十パーセントぐらいPC化しています。地中梁もPCでつくりました。構造壁もPCです。PC化率が非常に高い建築で、たぶん非常に珍しいケースだと思います。柱もいちばん長いところで三つに分かれていて、現場で柱を組み立てて、最後に梁を通してテンションをかけるというやり方をしています。一方の工区は足場もなしで全部クレーンを使い、高所作業車だけで作業をする、おもしろい現場でした。それと工事のスピードが非常に速かったです。体育館だけは、スパンがひとつ多く飛んでいるので、H鋼の上に床板を載せています。今までの建築現場という感じではありませんでした。
正面は、ほぼ二・二メートル角の正方形に近いガスケットのサッシュです。これはすべてペアガラスを使っています。ガラスですから、もうちょつと中が見えるかなと思ったのですが、外がかなり映り込んでいます。コンピュータと連動して、光によって角度が変わるようなブラインドが入っています。非常に細いものですから、ブラインドの羽が水平方向になっていると、透けたかたちで外の景色が全部見えます。
メインのエントランスから、奥に百メートル分くらいをマルチバーパススペースと呼んでいます。ロボカップのコンテストだとかさまざまな用途に使われる場所です。
普段、学生たちのいる場所は「スタジオ」と呼ばれる、PC部材でつくった階段状の巨大な吹抜け空間です。使う人たちが、その空間を自由に自分で構成していかなくてはならない場所です。スタジオの下にスタジオに向かってガラス張りの教員室があります。
スタジオ部分は横方向にほぼ百メートル、スパンは十二・六メートルです。ここのいちばん高いところの高さは二十メートルで、すべてがワンボックスの中に入り込んでいるというような建築です。構造は完全なラーメンでこの空間がもっています。構造家は木村俊彦さんです。非常にシャープな構造体になっているのではないかと思います。柱の太さは九百六十角で、非常に細い柱に見えます。ここはすべて、WTのプレキャストの床板になっていて、ここだけ穴を開けてトップライトにして、上から光が落ちてくるようになっています。冬は太陽高度が低いのであまり光が入ってきませんが、夏は中が相当明るくなるのではないかと思います。
六つずつ、十二の教室が、中廊下をはさんで並んでいます。中廊下もガラス張りですから、完全に向こう側まで見えている状態です。教室で講義している様子が、お互いに見えるような関係になっています。埼玉県の大学でも、あるいは岩出山の中学校でも中が見えるような教室をつくりましたが、先生方は最初、非常に強い拒否反応を示していました。中が見えると学生たちの気が散るのではないかと心配していたのです。しかし実際に使ってみると問題はありませんでした。ただ、ここは今回はじめての例で、隣の教室でやっていることも全部見えてしまうので、どうなるかは実際に使ってみないとわからないのですが、今のところむしろプラス側に働いています。声さえ聞こえなければ、まったく問題ないと思います。
こういうふうに、今まで厚い壁で向こうとこっちが見えなかったものが、見えたとたんにふたつの関係は変わってしまいます。従来の枠組みを変えていく、その変えていくことで何が起きていくかということには責任をもつ必要がありますが、建築の側では、そういう提案ができるわけです。そして、たったそれだけのことでも教室のイメージはまったく変わっていくと思います。
そうすると、授業という形式も変わっていくのではないかと思います。一般に中学校などでは、ひとつの教室に先生がひとり、生徒たちが四十人。一方が管理してる側で、一方がされる側という四十対一の関係があって、その中で閉じている、完全に外から見えない。よく考えてみると、それはかなり異常な空間ではないでしょうか。
この大学では、策定委員会というのがありまして、コンペのときの審査員の先生方がそのまま建築をつくるときにも関わるため、先生方と設計者との話し合いをかなり長い間続けることができました。
ですから、こちらの提案を先生方が料酌して、それがダメならダメだという答が直接返ってきました。そういう関係ができ上がらないと、私たちの提案は無理だったといえます。突然われわれが教室をガラス張りにして、それを受け入れて下さいといっても、どういう意図でそれをつくつたかということがちゃんと伝達されない限り、受けけ入れてもらえなかったのではと思うのです。
コンペの案では、分棟型をしていたのですが、策定委員会との話し合いで全体がひとつの建築になりました。ローコスト化という目的もありましたが、建築がワンボックスになっていった途端に、さまざまな関係がよりクリアになっていったと思います。先ほどのマルチパーパススペースは、もっと独立した場所でした。それを部屋と部屋の間につくっていこうという発想は、先生方との話し合いがなく、単純に建築家側の空間の提案だけで終わっていたとしたら、このような感じにはならなかったと思います。
生活に関わるといいますか、建築というジャンルが建築の側だけで閉じていないだろうか、という話にもつながると思うのですが、建築家は教育の問題にまで口を出すなといわれてしまったら、コラボレーションはあり得ないと思います。やはり、お互いにどこまで器の範囲を広げていけるかということであって、われわれの側も問われています。この未来大学の場合は、非常にうまくいった例だと思います。
これは、昨年の七月号の『新建築』で掲載されているので、多くの方々がご覧になっていると思いますが、「埼玉県立大学」です。
多くの看護・福祉系大学と同じように、この大学には看護、社会福祉、作業療法、理学療法の四つの学科があります。そうすると四つの学科を分棟にして、それぞれ独立した学科をつくつていくというのが今までのやり方でした。各学科にそれぞれの国家資格がありますので、国家試験に対して準備をして資格を取るための学校であると同時に、医者のアシスタントの養成学校のようになっているわけです。
ところが、この大学は廷床面積が非常に大きく、五万四千平米もあります。この大学で埼玉県は何をしたいのかということを私たちは考えました。今から十五年後、六十五歳以上の高齢者は、日本の総人口の四分の一を超えるといわれています。十五年後ですからもうすぐです。
今、地域社会は崩壊状態ですが、地域の中にそれだけお年寄りがいるということは、それがさらに加速すると思うのです。ということは、地域社会の側で、そういう高齢者といっしょに生活できるような空間構成がどのように可能かということが問われていると思います。この大学では、地域介護、高齢者や自分で自分のことができない人たちに対して、地域社会の中で、何らかの手当をするための人たちを養成しようとするわけです。そうすると、今までのように、看護とか福祉とかそういう学科が分かれていたのではうまくいかないわけです。看護婦、介護士、福祉士、あるいはリハビリテーンョンの理学療法士がチームになって動いていかないと、地域社会の中ではうまくいかないと思うのです。
つまり、学科ごとに分棟にしてしまうのは無意味であろうと私たちは考えて、大学棟と短大棟に棟を分けていますが、すべての学科の壁を取り払って、それぞれの学科が融合できるような空間碍成にしました。一階部分には、実験・実習室がありますが、ここも大学棟からでも短大棟からでも、各学科の人が相互にその場所を使えるようにしました。ですから、学校全体が一種のネットワークのような感じになっています。
大学棟・短大棟には、トップライトがあり、その下にメディアギャラリーと呼んでいる各学科を結びつけるような長い大空間がずっと続いています。そのメディアギャラリーをめぐって各学科が配置されていますが、相互に関係しているようなプランになっています。
一階部分の屋上が庭園になつていて、これが普通の大学でいうキャンパスです。周囲がたんぼなので、それに続いていくような感じになっています。街路部分は迷路のようになっていて、向こう側に抜けています。ところどころで向こうとこちらがつながれています。屋上はジャラ材のデッキです。日の当たるところには芝生が、ほかはメキシコ万年草というあまり水をやらなくてもいい草が生えています。ところどころに小広場があって、実験・実習室の中の様子が何となく見えます。下の部屋のキャラクターによって必要な装置が上にそれぞれ出てきていて、これがガラス張りで、下から見ると透けて向こう側が見えるような装置です。
デッキ部分に向いて右側が大学棟で、左側が短大棟です。大学棟の南側だけはルーバーで、夏は直射日光が入らないようになっています。短大棟、大学棟の大講義室はそれぞれ空中に浮いたようなかたちになっています。中講義室は外にブラインドがあって、下ろすと暗転することができます。大講義室のほうは、ルーバーがあって回転して暗転するようになっています。普段は授業をしている様子が、全部外から見えるわけです。講堂も中の様子がお互いに見えるようになっています。たとえば、ステージで何かしているときに、こちら側を客席にすることも可能です。
フォーラムは、大学全体の人たちが集まってくる場所です。本部棟、講堂、体育館、学生会館、食堂などの施設があり、フォーラムのところから見ると、緩いスロープになっている向こうに図書館の入口が見えたり、大講義室が見えたりしています。
本部棟には、外からの人たちが使うための研修ゾーンがあります。東武伊勢崎線のせんげん台駅から歩いてきて、スロープを登っていくと、二階のデッキヘつながっていきます。
一階プランですが、迷路状の通路と街路がわかると思います。二階部分は屋上になっています。三階、四階は先生方の研究室になっています。
夏は天井のルーバーで直射日光を中に入れないようにして、吹抜けの暖まった空気を外に逃がすようにしています。コンピュータ制御で、風向きによってダンパーを開けると、冷たい空気がシャフトから地下に入って、そこから上に吹き上げます。夏は地下のほうが空気が冷たいですから、それを利用しています。冬は逆にルーバーの角度を太陽光が入るようにして、ダンバーを全部閉じて、上の暖まった空気をシャフトを通して下から吹き上げるようにしています。
ですから、冬は床暖房のようになり、夏は下から冷たい空気が出てくるという仕組みになっています。だいたいシミュレーション通りうまくいっています。夏は三〜四度くらい温度が下がりました。エネルギーを使わないで、冷暖房をするパッシブソーラーのシステムです。それをはじめて大規模に使っています。吹抜け部分がもったいないのではないかといろいろいわれていますが、看護大学の場合、煙突効果で全体が循環していくようなシステムになっているわけです。
パイプシャフトをかなり大きくつくっているので、いつでも中にアクセスすることが可能です。実験・実習室があるので、設備がかなり重装備で入っていますから、将来変更するときに、このパイプスペースにいつでも自由に入っていけるようになっています。
函館と同じように、全部プレキャストでできています。見付けが二百二十ミリ、奥行きが六百ミリのPCです。コア部分は現場打ちです。鉛直方向の力だけを安ける柱とスラブはPCでつくられています。
全部が七・七メートルのグリッドになっていて、外部照明もそのグリッドに従っています。すべてがそのモジュールに則っていて、非常にシステマティックに全体が見えます。五・四万平米という非常に大きい建築ですから、あるシステムを採用していかないとなかなかうまくいかないということが一方であったわけです。最初にある程度こちらで材料を決めておいて、部分に関しては、レイヤーの重なり方でその場所のキャラクターをつくっていくという、そういったオペレーションシステムで全体がつくられています。
今回、ビデオをつくりました。この建築はスライドで切り取ってしまうとなかなか説明しにくいのです。人がこの中を歩いていくと、自然に視線が変わっていくのですが、それを説明するにはビデオのほうがいいと思います。(ビデオ/中略)
これでビデオは終わりですけれども、たぶんスライドでご覧になるよりもはるかにわかりやすかったのではないかと思います。とくにこの建物では、システムがそのまま建築に置き換わっていけばいいと考えていましたので、自分が移動していくときに身体感覚が刺激され、それと同時に刺激されていることで、空間の関係を理解してもらう、そういうようなつくられ方になっているからです。たとえば、厚い壁をガラスにするだけで関係が変わるだろうし、こちらの身体に受ける感覚も変わります。この大学はそういうことが非常に特徴的なのではないかと思います。
われわれがはじめて手がけた公共建築は、「岩出山中学校」でしたが、そのとき、非常に強く、学校というシステムの中で空間と空間の関係がどのように表現できたらいいのか、かなり問われたと思いますのでご紹介します。
岩出山町は人口一万五千人くらいの小さい町です。中学校の敷地は小高い丘の上にあります。近くを走る国道側から見ると、非常にシンポリックなウイングが見えると思います。ただこれは、特別なかたちをつくったというわけではなく、私たちは「風の翼」と呼んでいますが、北風除けです。岩出山町は非常に北風が強く、雪も降るところですから、北風除けを北側に向かって配し、南側の反射光を教室の中に入れるというような環境装置として考えたわけです。これが丘の上に見えている。結果的に町のシンボルといったかたちになっています。
三校あった中学校を統廃合して一校にしたので、非常に学生数が多く、七百人ぐらいいます。ただ過疎地なので、七〜八年くらいたつと半減してしまいます。そのあたりをコンペで問われていました。私たちはこの学校がだんだん文化施設に変わっていくようなプログラムを提案しました。
この中学校では従来のホームルーム型ではなく、系列教科教室型といって、教科が言語系、理数系、生活系、それに芸術系と体育系の、全部で五つの系列に分かれています。ここには芸術系と体育系以外の三つの教室群が集まっています。言語系には英語と国語、理数系には理科と数学、生活系は社会科と家庭科で、先生方の研究室も系列ごとに集まっています。
一階の広場を囲む教室は、全体が町の人たちに開放されるようになっています。すでにLL教室では「親と子の英語教室」を開いています。ですから、過疎化されて生徒数が少なくなっていくにしたがって、次第に街の人たちの利用率が高くなっていくようなつくられ方になっています。
もうひとつ特徴的なのは、それぞれの教室群のほかにフォーラムと呼んでいる空間があります。そこにホームルームの代わりに生徒ラウンジというロッカールームのような場所が並んでいます。コンペの要項ではロッカー室を設けるようになっていましたが、私たちはそれを生徒ラウンジと呼び変えて、各系列に分かれていたロッカールームを全部解体して、一ヵ所に集めました。多目的ルームの上にロッカー室を配置して、生徒たちのための生活の場所にしたのです。いつも生徒が朝、登校すると集まる場所です。各学年のゾーンがあります。それぞれ六教室あるのですが、ホームルームがないので、この場所がいわば生徒たちのホームルーム代わりの部屋になります。ここから自分たちの教材をもって、自分たちの選択した部屋に向かうわけです。ですから、大学の授業のやり方に非常に似ている使われ方をしています。
吹抜けになったところが、メディアギャラリーと呼んでいる場所です。各系列別に資料が集められている場所です。多目的ホールから下をのぞくと、下のメディアギャラリーが見えます。その向こうに教室が見えます。生徒たちが開けっ放しで授業を安けています。閉鎖的な部屋にする必要がないと思ったのは、この学校をつくってからです。
穴があいていて中の様子が見えるのですが、まったく問題なく先生方が使われているのを見て、非常に心強く思って、この後、部屋を閉じないほうがよいだろうと、かなり確信をもちました。
先生方の研究室はガラス張りです。生徒たちにとって、先生方がいつも見えているので、非常に接しやすくなります。先生方にとっても、生徒たちがいつも見えている。ただひとつ困るのは、先生が生徒に見つからないようにタバコを吸う場所がないことだといっていました。