アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
今まで述べてきた三つの建築について、自分がどんなところに惹かれているのか考えると、樹の上や、樹の中、あるいは岩の中につくられたりしている建築ですから、基本的に、自然とそこに置かれた建築との関係です。大げさにいうと、ぼくには何か、そういう人工物と自然の関係が幸せな状態に見えるのです。そこで、自分もそういうものをつくってみたいと思っているわけです。
実は、現代建築は自然との関係をどうするか、ということについてはほとんど考えてこなかったわけです。特に、1920年以降のモダニズムは、ずっと工業化路線を突っ走ってきて、自然との関係をどうするのか無視してきました。
ただ、コルビュジエがひとつだけ考えました。「屋上庭園」です。コルビュジエは、自然との関係をどうするか、それを屋上庭園でやろうといったわけです。だけど、それが間違っていたのではないか、とぼくは見ています。あれこれの建築を見る中で、コルビュジエの間違いにだんだん気づいてきました。
これは下関の秋田商会の屋上庭園で、年代がわかっている世界最古の屋上庭園です。コルビュジエが屋上庭園をいい出したときより数年前、大正三年につくられています。現在、下関市が買い取って保在しています
秋田商会は貿易商でしたから、自分たちの船が出て行くときに、この屋上庭園で灯火を灯して見送ったそうです。この屋上庭園は、コンクリートのビルをつくったときに施主が自分でつくらせたのです。そこに茶室もありますから、そのまわりに庭園をつくったのではないでしょうか。
これを見てすぐわかると思いますが、下部の建築の部分と上部の屋上庭園は別なんです。視覚的に一体感がありません。つまり、建築は建築の美学があり、それとは別に庭には庭の美学があるのです。
コルビュジエは建築の五つの原理を提言していますが、その最初の原理がフリープランです。そして二番目が屋上庭園なんです。
これがコルビュジエの屋上庭園で有名な「サヴォワ邸」です。「サヴォワ邸」の図面を見たことがある人は気がついたと思いますが、もっと木が生えて顔を出しているんです。コルビュジエは図面の段階でもう少し木を植えていたのですが、途中でやめてしまったのです。だめだと気がついたのです。
その証拠はいくつかあって、コルビュジエが上野の西洋美術館(実質的に坂倉事務所がやっていたわけですが)をつくったときの話を担当者に聞いたことがあるんです。屋上庭園をどうするかと聞いたんだそうです。
ルビュジエは思い出したように、それはやったほうがいい、でも、ちやんとつくる必要はない、大きな鉢を置いてそこに木を植えて、それは外から見えなくていい、といったそうです。それからしばらくして木が枯れてしまったので、もう一度聞いたら、もうやめていい、といったそうです。したがって、現在はないそうです。
要するに、彼は気がついたんです。屋上庭園に木を植えるとどうもおかしくなると。コルビュジエは腎い人ですから植物が生えてきたときに植物の視覚的な世界、ひとことでいえば美というものと、人間がつくった美、特に彼はモダニストですから、モダンの美とが合わないことに気がついたんだと思います。
コルビュジエは屋上庭園について、それ以降、生涯ずうっと語っていません。
もうひとつ、ぼくがこれはまずいと思った例をひとつ挙げます。エコロジストの人たちが屋上に草を植えることをやるわけです。ドイツのカッセルというところに、エコロジストたちが本格的な一街区のビレッジをつくっています。それを見てさました。
日本だとちょっと考えられないのですが、板壁を使った建物の屋上に草花を植えてるわけですね。特別な防水を全然していないのです。普通のアスファルトルーフィングの上に直接土を置いています。そんなことをして大丈夫かと聞きましたら、基本的に湿気が少ないので結露がないそうです。普通、屋上庭園をつくると天井の結露が問題になるので、日本だと必ず空気層を取りますが、ドイッではそれを取らずに平気なのです。
奥に進んでいったら、これが見えました。おまけに雨の日でした。ここまで建築を草で隠さなぐてもいいというか、建築は人間がつくった最大のものですから、もっと誇りをもっていいと思ったんです。ここまで建築を卑下することもないだろうと・・・。
エコロジストたちがイデオロギーでやっていますから、どんどん深みにはまってこうなり、原始人の家みたいになってしまいます。やっばり建築家的にいえば、美しさがないのです。これは基本的に間違っているという感じがしています。
それではどんな屋上庭園というか、屋根が上手くいっているかといいますと・・・。