アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
現在施工中の京都駅です。高さは六〇メートル以下ですが、水平方向に四七〇メートルほど展開しています。さまざまな経路を発生させることで、「地理学的なコンコース」と私が呼んでいる地形を中につくっています。みなさんに自由に歩いていただく経路の中央にガラスの大きな屋根を架ける計画です。
コンコースに見えるさまざまな経路と空中ブリッジが連結しています。屋上まで行くエスカレーターと大階段、そういったものが経路の主軸になっています。段になっていく地形の部分の空中経路です。 劇場も経路として設計されており、空中に斜めに架かったブリッジが観客席になっています。また、今までのデパートのエスカレーターとは違い、斜めに建物を貫通していくエスカレーターが道としてつくられます。このように経路が輻輳した多層的な計画をすることにより、多岐にわたる行動の可能性を持った建物が実現することを期待しています。それを拡大していくと、ひとつの構想として巨大な空中都市が構成されます。都市はいろいろに構成されますが、歴史的に見てすべてが埋蔵されている都市が考えられます。そこで重要なことは、そこにどのような変化が発生するかではないかと思います。burst〈爆発〉という概念を入れ、過去と断絶していく仕組みを持った都市も考えられるのではないでしょうか。
プラトンがいう基本的な形態—プライマリーな形態です。五〇〇メートル立方のモデルは、トーラスや回転楕円体や多面体などを使ってつくり出したものです。
今まで話してきたように、文字どおり「建築の可能性」を考えてきた私どもに月惑星協会から「宇宙の建築」について考える機会を与えられました。そして、実際に人工衛星を飛ばしている宇宙科学者たちといっしょに検討をしていきました。地球のまわりを月が走っていますが、そのいくつかの場所性に対応していろいろなイメージをつくり上げていきました。その一端を紹介します。
地球から宇宙だということが見える地球定軌道リングです。地球のステーションとなる基地の構想を映したものです。衛生のスクラップでひとつの空間をつくり上げることです。飛んでいるものの廃棄物処理です。回転し、重力を発生しながらつくっていくのですが、宇宙工学の人びとにいわせると、技術的にたいへん難しいそうです。
月面に基地をつくり、惑星間を移動する宇宙船、月のまわりを回るステーションなどの道具立てですが、月においては時間が地球とはまったく変わります。月の居住条件というのは、極めて難しいのです。例えば温度差にしても、日向と日影では三百度ぐらい違います。地球上のサハラ砂漠は一日の温度差が五十度ですから、六倍ぐらいになります。
そういった宇宙のシェルターですが、これが不思議なことに材料としては月面上にある土みたいな材料〈メモリス〉からつくったブロックを基本として考えると、その設計が、遡ればメソポタミアの建築、つまり日干しレンガの建築に非常に似てくるのではないかと思っています。
長時間滞在に関しては、地下に住むことが一番安定性があります。それを考えると、以外に中国の竪穴住居に似て、相関性を持ってくる感じがします。もちろん月面には空気がありません。風車のような装置の羽に光を当て、その光子の衝突によって理論的にはこういうものが回るといえます。
実際に宇宙空間を走るときには抵抗がないですから、かえって動かすのが難しいのです。何しろ基本的にはものを後ろに放ることにより、その反動で動くと考えなくてはならず、難しいことがあるわけです。宇宙は旅の経路で、キューブリックの映画「二〇〇一年宇宙の旅」に示されたようなところは非常に正しいと思います。しかし、われわれはそれをなかなか乗り越えられないということを痛感しました。
われわれの建築の可能性は無限にあることを痛感します。時間論を入れた音楽のような建築。 よく考えて見ると、人間があることを思うこと自体が、基本的に可能性の形態をとっています。思うことや未来に対する計画が多層的に同時にあります。このことは非常に重要なことだと思うのです。ある建物を計画するとき、人間の存在そのものがそこに登場します。そのとき建物はいったいどういう条件をもっていなくてはならないのか。それはこれからわれわれが考えていく筋道であろうし、時間を取り入れた本格的な建築論とデザインの展開ということで、それこそが建築の未来を開くのではないかと考えるのです。
(高橋さん、上野さんによる演奏と宇宙とテーマにしたスライドの上映)
一九六〇年十月十九日生まれ。ベルリン、ストックホルム、ニューヨークで育つ。七才のときからギターを弾きはじめる。スタンリー・シルヴァーマン、ウィリアム・ヘラーマンにギターを師事。その時代のヒッピー文化、アンダーグランド・カルチャーから直接影響を受け、ジミ・ヘンドリックス、ジェファーソン・エアプレーンらを聴く。その後ルネサンス・リュート、日本の琵琶と中国の琴を学び、それらやブリティッシュ・トラッドなどを含めて、東西の民族音楽の要素を取り入れたスタイルをギターでつくる。五枚のソロ・アルバムをニューヨーク、日本、イギリスで録音し発表。録音には坂本龍一、カーロス・アロマーが参加したLP「サイレント・フィルム」、ピーター・ハミル、デビット・ロード、フェアポート・コンベンション、スティーライ・スパンのメンバーたちが参加した中世ルネサンス音楽などの要素を取り入れたCD「ノヴァ・カルミナ」などがある。沢井一恵の琴のアルバムなどもプロデュースする。一九八七年からは、太田裕美、吉田美奈子、ビル・ラズウェル、ジョン・ゾーン、梅津和時らと競演。また映画、CM音楽、歌謡曲などの作曲、演奏も手掛けている。