アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
なぜ「屋根に暮らす」という話にしたかといいますと、われわれは単純にアウトドアの生活が好きなんです。
建築家というと、どうしても「一生懸命毎日毎日夜中もがんばって徹夜して」というイメージがあるんですけれども、われわれはできるだけそうしないようにしています。うちの事務所は朝10時からスタートするんですね。最初は夜早く帰そうと思ったら、みんな終電までいてどうしても早く帰らないものですから、じゃあ朝を遅くしようということで朝を遅くしました。われわれは家族をすごく大切にします。
以前、TVの『情熱大陸』という番組に取り上げていただいた時は安藤忠雄さんの次だったんです。「なんで安藤忠雄さんの次はわれわれなんですか」と尋ねたら「安藤忠雄さんは戦っている」と。「安藤忠雄さんの次だったら妹島さんでしょ」といいましたら「妹島さんも戦っている。戦っている人はもうたくさんだ。戦わない手塚さんがよい」といわれまして。一生懸命戦っているつもりなんですが、戦っているように見えないらしいんですね。ただ、これは結構大事なことだと思っています。
リチャード・ロジャースの事務所にいた時に、「建築」というのは「ライフ」だということを学びました。最初、リチャード・ロジャースの事務所に就職した時というのは身構えていますから、建築とは何だろうなとディテールとかいろんなことばかり目につくんです。ところがあそこにいた時に気がついたのは、あの事務所はすごく居心地がよいということでした。私は日本に帰ってくるつもりはなかったのです。本当はイギリス人になっちゃうつもりでグリーンカードまで取ろうとがんばっていたんです。家族ともども向こうで暮らそうと思っていたら、病院の設計の仕事が入ったので、とりあえず日本に帰ってまたロンドンに戻ろうと思っているうちに帰れなくなっちゃったというのが実状です。それくらい居心地のよさがあったのです。
リチャード・ロジャースの事務所はテムズ川沿いにあって、そこに大きなバルコニーが出ています。6×12メートルくらいですかね。昼間3時くらいに、そこでみんなでお茶を飲むのですね。「忙しいのにお茶なんかしていて、よくこの会社は潰れないな」と思ったのですけれども、そういうのを見ていると、家族の雰囲気が出ていて、それが作品にも表れています。
日本にいるとお金がないと結構つらい。私はお金のない生活をずいぶんしていました。ロンドンにいた時はもっとお金がありませんでした。今だからいえますが、ロジャースの事務所時代というのは本当に貧乏でした。宿代を払うと、一ヵ月の生活費が夫婦で300ドルくらい。一日1000円ちょっとくらいしかないんですね。一週間の最初に鶏を一羽買って、最初手羽を食べて、脚を食べて、胸肉を食べて、最後にスープをとって食べるという生活でした。月末になるとお金がまったくなくなって、企業派遣できている友だちのところへ押しかけていって、「君、ひとりでご飯食べるの寂しいだろ。一緒に食べてあげるよ」といって材料を買ってもらって食べるということを夫婦そろってやっていました。ビデオを観る時も、「ひとりでビデオを観るのは寂しいだろう」といって夫婦で押しかけてビデオを観たりとか、そんな生活をしていました。
それでも、ロンドンにいた時はすごく楽しい生活ができたんです。東京だとなかなかできません。何が違うのか。もしかしたら名古屋とかは違うのかもしれないですが、東京ってお金がないとすごく生活がつらいんです。なにしろお金がないと行くところがありません。ロンドンだと、ちょっと自転車に乗ると素敵な公園とかありますし、川沿いにはリバーサイドウォークもあります。日本って何かそういうのが欠けていると思います。
なぜ日本に帰りたくなかったかというと、都市がすごく汚い。先進国の中でこんなに都市の汚い国っていうのは世界中探してもないと思います。素晴らしい建築遺産があっても日本人は全部壊してしまう。京都を破壊したのは戦争じゃなくて、実は日本人なんですよね。
どうやったら生活を再構築できるのかをいろいろ考えて、そうこう考えているうちに日本っていうのはやっぱりアウトドアライフっていうのが基本にあるのではないかと考えるに至りました。屋根の上というのはアウトドアライフの基本なんです。意外と屋根に登ったことのある人はいるんですね。誰でもわかるような構成と、人の生活というところから手をつけていこうと考えた時に、屋根はわれわれにとってすごくよい手がかりになりました。
ここからは作品をお見せしながらその話を進めていこうと思います。