アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
屋根をつくったらこの家の方たちは屋根が大好きなので、建設中から屋根の上を使いはじめちゃったんです。面白いのは家の機能よりも、屋根の機能のほうが先いっちゃってるんですよ。建物って必ず屋根からつくります。屋根ができていないと内装ができません。そうすると屋根の上ができたところで、この人たちはいそいそと工事中に登りはじめまして、われわれも呼ばれて家の方が「じゃあ、ご飯を食べましょう」と。しかしキッチンもまだありませんから、宅配ピザを注文したのですね。スクーターがやってきて、下から「そちらのお宅にどうやって上がったらよいでしょう」と声をかけられて。中に梯子もないから上がれないんです。「後ろ側に隠している梯子があってそこから上がってくるんです」と上がってもらうんですね。そうしたら「どこで靴を脱げばよいのでしょうか」という話からはじまって。面白かったのは、それまでは宅配ピザの同じ人がきていたんですが、毎回違う人がくるようになりまして、「前のお兄さんはどうしたの」って聞いたら、「変わりばんこにお宅を見させてもらってるんです」というんです。宅配ピザの従業員全員が見にきちゃいました。
この建物はものすごい数の人が見にきました。竣工一年目の入場者数1,000人を超えたという、ほとんど住宅じゃないような感じなんですが、この家も一般公開の日をつくったんですね。それが又聞きで広まって、400人以上がオープンハウスの4〜5時間の間にきちゃったんです。みなさんがこの家にきて何をするかは決まっていて、屋根に上がるのです。そうしたら「イナバ物置」みたいに屋根にピッチリ人が乗ってしまいまして、さすがに青くなり、あわてて「何人まで大丈夫ですか」と池田さんに聞いたら「450人くらいまでにしてください」と。まあそのくらい丈夫なんです。そのくらい人がくる建物です。
この家ができた時に、屋根の上でご飯を食べるなんてフィクションだろう、こんなことがあるわけがない、そのフィクションをいかにも堂々と日常のこととして書く建築家は偽善者である、ということをいろいろな人にいわれました。そういう文章も『新建築住宅特集』の中にも出てきたのですが、クライアントが反論文を書いてくださった。『新建築住宅特集』の月評に対してクライアントが反論を書くなんて珍しい。その頃の編集長が「新建築誌上はじめてです」なんておっしゃってました。ちなみに書いた方は親心で心配して書いてくださったんですね。それを真に捉えて「屋根の家」のクライアントが怒っちゃったんです。「嘘じゃない。フィクションじゃない。われわれは屋根の上でご飯を食べているんだ」と。批判の中に「夏は暑い。冬は寒い。そんなところ使えるものか」と書かれていたんですけれども、実際には「屋根の家」の方は「夏は暑いに決まっているじゃないですか。だから朝か夜に出るんですよ。冬は寒いからお昼に出ると暖かいのですよ。なんでそんな当たり前のことがわからないのですか」と書いている。吉岡賞の授賞式の時もその話があって、その文章を書いた方もその授賞式にきていただいて、和気あいあいと話が進んでこれが面白かったんです。この家の方って結構そのへんのところは真剣なんですね。
屋根の上のキッチンはわれわれがつくった中で最悪のデザインだと思うんですけれども、施工してくれた大工さんからのプレゼントなんです。お金がないからやってくれることになったんですね。最初はガスを引こうと思ったら、東京ガスから屋根の上にガスを引くのはやりませんと断言されて、やむを得ず電気を引いてコンロでやることになりました。シャワーは使わないかなと思っていたんですが、台風の日に電話がありまして、「寒い台風の中で熱いシャワーを浴びるのは最高です」という電話をもらいました。「本当に大丈夫ですか。子供さんとか飛ばされないですか」とあわてて尋ねました。「大丈夫です。浴びているのは私ですから。ちゃんとTシャツも着ていますから」というよくわからない電話でしたね。しかし、これはただごとではない。本当に使っているんですね。
この家には障子もカーテンもありません。垣根さえありませんでした。ところが引っ越された最初の朝、起きてみたらご近所さんがずらっと道に並んでいたんだそうです。冬だったのでガラスは閉まっていたのですが、「面白い家ができたからみんな楽しんでるんだろうね」と、この家の人たちはしぶといですからそのまま出かけてしまったんです。その翌朝、起きたら今度は庭にずらっと人が並んでいまして、これはまずいぞと旦那さんが扉をガラッとあけたらパラパラと人がいなくなったんですね。残った人がいうには「この施設はいつごろ開くのでしょうか」と。ご近所の寄り合い所ができるという噂がたっていたらしいんです。このままでは娘さんの情操教育に影響が出るということで旦那さんと話して、ここに垣根をつくることになりました。
この家は屋根の上に全部お金を使ってしまったので、床材を買えなくなってしまいました。床は合板ですし、そこに円座が置かれているだけ。そういう家です。それくらい屋根がこの家にとってすごく大切なのです。
子供たちはいろいろな遊びを思いつきます。ボールを天窓から投げたり、落としたり。このへんで私たちが気がついたのは建築ってすごい力があるんだなと。ひょっとしてそのへんの遊具よりすごいのではないかと思ったんです。この家にはいつも子供がいっぱいいます。最初友だちを連れてきていたら、きたことのない友だちが学校で仲間はずれされだして先生からみんな連れていってあげなさいといわれて、クラスメイトの他に隣のクラスの子もくることになったそうです。だから全校生徒のほとんどがきたことがあるという、そういう家になったみたいです。
だいたい住宅の照明器具は80万円くらいで抑えられると思うのですが、このへんから角舘政英という照明家、ご本人はライト・フィールド・アーキテクトとも名乗るようですが、その彼と仕事をはじめまして、角舘さんに頼むと80万の照明器具代が3万円になってしまったんです。すべて裸電球です。これは画期的な事項ですけれども、私も実は裸電球照明っていうのを信用していなくって疑心暗鬼になっていたら、角舘さんがいろいろな話をしてくれました。今ではわれわれの考え方のべースになっており、私の建築にものすごく大きな影響を与えています。彼が話してくれたのは世界で一番美しい照明は何か知ってるかという話で、「君ね、夜景ほど素晴らしいものはないんだよ。実際ハリウッドでは今でも空撮をする。何で空撮をするのかっていうとコンピュータで処理する時に限界があるからだけじゃない。実際の夜景っていうのは、無数に瞬いているそれぞれひとつひとつの光に対してストーリーがある。出来事がついている。赤い光のところでおばあちゃんが孫のために料理をつくっているかもしれない。白い光のところでは塾があって子供が集まって勉強をしているのかもしれない。駐車場の光。走っている車の光も全部色・スピードが違う。ものすごい情報量なんだ。美しいでしょ。何で美しいかを感じる理由があって、人は光自体を美しいと感じているんじゃないんだ、光にそれぞれのストーリーががあってその後ろにひとつひとつ人がいるんだと懐かしさを感じて、そこに美しいという感情が芽生えるんだよ」と。ああ、なるほどなと納得しました。それから彼は横浜元町の照明の話をしてくれました。彼は元町から明るくしてくださいと頼まれたんです。頼まれた時、元町の人は頼んだってどうせ何年もかかるんだろうし、毎年億単位のお金を使っていたのでまたお金がかかるのかなと思っていたら、角舘さんはすぐに帰ってきちゃいました。「できました」といって。「まだお金払っていないじゃないですか」「できたんです」。見てみたら本当に街が明るくなっていたんです。「どうしたんですか、角舘さん」「街灯を消しました」「何で街灯を消したんですか」「要は人間には目の絞りがあるのです。目の絞りというのは一番明るいところに合わせてすっと締まってしまう。街灯というのは6,000ルクスや7,000ルクス。それに対して喫茶店とか300ルクスくらいしかないでしょ。コンビニだって3,000ルクスくらいでやっている。そうすると街灯がついていると街が真っ暗に見えてしまう。街灯を消すとそれぞれの家の賑わいが見える。街灯っていうのはストーリがないんですよ。だけども、そこに街灯を消すと街の中のそれぞれの瞬きがストーリーを語りはじめる。だから今まではつくられた照明だったのが、実は街の賑わいがそのまま照明になってくる。これによって人が集まって賑やかな感じができたんですよ」って。いわれてみれば縁日だってそうです。縁日はせいぜい100ルクスがあるかないかくらいなんですね。でも誰も暗いとは思わない。明るい暗いという問題じゃなく、縁日の場合、ほしいところに光がぶら下がっている。それぞれの光に意味があってそれに対してみんなが心を動かされて、賑わいが生まれるんです。とてもいい話ですよね。照明というのは人のためにあってそれが美学につなっがている。器具自体の美しさじゃない。ライトアップの光を美しくするんじゃなくて、営みを見せることによって美しさをつくることが大事なんです。「屋根の家」も裸電球が下がっているだけなんですが、夜景がとてもきれいです。3万円の照明ってすごいですね。
海外誌『THE ARCHITECTURAL REVIEW』に「屋根の家」が取り上げられた時、伊東豊雄さんの「せんだいメディアテーク」や原広司さんの「札幌ドーム」など、名だたるスーパースターたちの作品と一緒にわれわれの作品が掲載されたということで喜びました。ただ、よく見てみると作品名ではなくて「屋根の上で……」とはじまって、文章を読んでみると「東京は土地が狭い」とか書いてある。だいたい敷地から間違っているんです。東京じゃないんです。挙げ句の果てにはロンドンから「東京には『屋根の家』が何軒くらいあるのでしょうか」という問い合わせがありました。ただその問い合わせは嬉しかったんです。たいしてきちんと説明されていない、いい加減な記事だったのに、ちゃんと家が語ってくれた。建築家が作品のコンセプトを説明できるのは建築家が生きているうちだけです。でも多くの場合、建築は人より長く生きますよね。その時に語れなくちゃ意味がないんです。われわれなしでちゃんとものを語ってくれる建築をつくらなくてはいけないんです。
建築というのは、ひとつは時代をつくることがあると思うのですが、使う側の人が思い込みをもってそれを使ってくれるということが建築を長生きさせる一番のコツなんです。今どき、構造的に建築を長生きさせるのは簡単なことなんです。先ほど、京都を壊したのは日本人といいましたが、それらは構造のせいで壊されたのではなく、日本人が大切に思わなくなった時、その時に壊されてしまったんですね。ですから、「屋根の家」に対して、いかにクライアントに思い込みをもたせるかということにエネルギーを注ぎました。それがすごく上手くいったんです。
この「屋根の家」のクライアントの方はカウンセラーをやっています。中学校で、ぐれた背丈の大きな中学生の子を「君、ちゃんとしないとだめだよ」といさめる仕事をしています。保健室などでそういう悪ガキを相手にしているともっとぐれちゃうから、これはどうしようかと考えて「屋根の家」に連れてくることにしたのです。普通はいじめる側といじめられる側の親御さんやお子さんがいると「おまえが悪い」といい合いになっちゃって大変ですが、屋根の上に行くとみんな静かになっちゃうんですね。挙げ句の果てにはすごくいかつい感じのおじさんなりお兄ちゃんが、突然「俺もこの屋根の上で育ったら、優しい人間に育ったかもしれないな」って高倉健みたいなことをいい出したりするんです。
今は屋根の上で改心した悪ガキどもが会をつくっています。その子たちがいい出したのは、この「屋根の家」のクライアントさんには娘さんしかいない、彼女たちがお嫁にいっちゃうとこの家は壊されてしまうかもしれない、夫婦が死んだら終わりだって。夫婦はまだ50代だから、「死んだ後の心配なんでするんじゃない」って怒っていますけど、勝手にそういう話をして「ファウンデーションをつくるんだ」とかいって、みんなでお金を集めてこの「屋根の家」を保存するんだそうです。二十歳になるかならない彼らがこういうことを集まって考えはじめるということはものすごいことだという気がしています。この建物は、今後のわれわれの建築にすごく大きな影響を与えてくれました。