アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
この建物が竣工したのは1994年で、計画がスタートしたのはその二年ほど前でした。実はこれが私が初めて大自然の中に敷地を与えられてつくったプロジェクトなのです。それまでは都会の雑踏の中に敷地を与えられて設計をしていましたから、大自然の中での設計をするのはすごく難しいと感じました。何が難しいかといえば、こんな大自然の中でかたちを主張するものをつくるというのは罪悪に近い、という感覚をもってしまったからです。都会の中ではそういった感覚はなかったのですが、自然の中の敷地をポンと与えられて、初めてそういった感覚をもったのです。
この敷地は写真をご覧いただくとわかると思いますが山の頂上です。愛援県・今治の北東の瀬戸内海に大島という島がありまして、亀老山はその南端にある山です。山の頂上は水平にカットされていて、展望公園になっていました。その展望公園の中に展望台の設計をしてくれ、と町から依頼されたわけです。それも町のモニュメントとなるものをつくってほしいという内容です。これはたいへんなことになったと思いました。モニュメントというのは先ほどの言葉の分類でいえばかたちの極致みたいなものですから、ものすごく難しいことを仰せつかったなと、思ったわけです。
よい案がないかと、最初はいろんなかたちを考えていた。シリンダーや直方体、石でつくろうか、木でつくろうかと考えたのですけど、どんなかたちをつくっても、どんな材料でつくっても、なんとなくしっくりこない。そこでそれではもう透明にしてしまおうと、ステンレスの全網で鳥籠状のものをつくってみた。その中に歩く経路を配置して、いろんな体験ができる一連のシークエンスをつくっていこうとしたわけです。頂部の金網だけを生の植物を絡めたものにして、それだけがオブジェクトとして存在し、あとは透明で消えてしまうというプランを思いついたとき、よし、これでいける、というふうにひと安心したんです。
具体的には、二枚のステンレスのメッシユの壁があって、その間を進んで有く経路に、ガラスの箱でできた寄り道がいくつか用意してあり、そのいくつかのガラスの寄り道を使ってレイヤーの間をトランスしながら、最終的には頂部のグリーンのかたまりの上に行くというようなシークエンスをデザインしました。要するにかたちは透明で見えない。シークエンスだけがある、という状態をつくりたかったわけです。
これはかなり気に入ったのですが、当時の環境庁との話で、実現できませんでした。環境庁は国立公園に対して、自然の中には土や煉瓦といった温かい素材がよいという指導をしていたのです。ガラスやステンレスがだめならば、建築を埋めてしまったらどうか。地中に埋めた展望台をつくれないだろうか(これはことばにすると矛盾してますね)ということを次に考えたわけです。
最終的なプランは山を復元するものになりました。山の頂上がカットされて公圃になっていたのを、山をもとのかたちに復元し、その中に亀裂として展望台をつくるというわけです。わかりやすい例えを使うと、普通の展望台、あるいはオブジェクトとしての展望台というものが雄型だとすると、これは雌型の展望台になっているということですね。
断面図を見るとわかると思いますが、カットされていた山の頂上部分に、上に開いたコの宇型のコンクリートの躯体を置いています。その周りに上を盛って植栽を施し、山を元のかたちに戻したということです。
展望台には山の狭い亀裂から入ります。そこから入る人は、展望台というのにどうして地底に入っていくような感じなのかということで、ちょっと戸惑うかもしれません。細いスリットを入ると地底の広場に出て、そこに大階段があり、大階段を上ると初めて視界が開けて、島がたくさんある瀬戸内海が見えてきます。