アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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私の建築手法
隈 研吾 - 物質性とサイバースペース
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東西アスファルト事業協同組合講演会

物質性とサイバースペース

隈 研吾KENGO KUMA


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ベニス・ビエンナーレ'95日本館会場構成
2階
2階
1階平面
1階平面

建物自身は僕がつくったものではなくて、すでにあったものです。デザインしたのは吉阪隆正さんという建築家で、早稲田大学の建築の先生だった方です。ル・コルビュジエの弟子でもありました。その吉阪さんが1955年にベネチアにつくったベニス・ビエンナーレの日本館です。二年に一度のビエンナーレのたぴに、内部の空間をいじって展示空間にするわけですけれども、僕は1995年の空間構成を担当しました。そのときにやろうとしたのは、建物全部を庭にしようということでした。内部の床に水を張って、建物の中を池にしたのです。池の中にシークエンスをつくって、そこを歩き回るような空間にしようと考えました。実はこのアイディアは吉阪さんのもともとの建築のアイディアの中にあったものなんです。

吉阪さんはこの建物で、ふたつの面白いことといいますか、妙なことをやっています。ひとつは建物の入口を前面の道に面したところにつくらないで、わざと脇にもっていき、林の中を通って建物に入るようにしています。林の中を歩いていく体験こそが重要なんだというふうにしてつくったんです。もうひとつは天井の中央に穴を開けてしまって、雨風が建物の中に入るようにしています。なぜこれを吉阪さんがしたかというと、自分はそういうふうにして日本人のもっている自然観を伝えたいと思ったといっています。屁理屈にも聞こえますが、そういうことを吉阪さんは大胆にもここでやろうとしました。それにはひとつわけがあって、この建物は日本風の瓦葺きにするようにイタリアから彼は依頼されていたんです。それに対して吉阪さんは瓦葺きは絶対やりたくない。代わりに日本人の自然観の本質を提示することで、日本を表現しようとしたわけです。

しかし当時は、さきほどのプルノ・タウトの評判がよくなかったように、吉阪さんの日本館もあまり評価されなかった。でも吉阪さんがやったことは、今から見るととても面白いと思うわけです。吉阪さんがやったような自然と一体となった建築のあり方を今流にやってみようと思ったのが僕の計画です。かたちは吉阪さんのかたちがすでにあるので、その内側に白分がどうシークエンスをデザインできるか、どう意識をコントロールできるかを考えてみました。

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