アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「海の博物館」はいろいろな賞を頂きましたが、これは時代の巡り会わせだと思っています。つまり、1980年代ではなく、経済がおかしくなりかけていた時期に完成したからこそ、こんなつくり方があるのかと評価されたのだと思うのです。そして、評価されたがゆえに雑誌などにこの建築を説明する文章を書く機会が多くなったことや、ちょうどこの時期、ギャラリー間で行われた展覧会に何かタイトルをつけなくてはならないということもあって、「素形」という言葉は生まれました。
しかし、「素形」とは何かを説明しろといわれても、なかなか難しいのです。そもそもデザインは無意識に形成されていくものですから、言葉にすると実感からずれていくような感じがしてなりません。外国の雑誌では「Protoform」と訳されましたが、そのあたりのニュアンスを、この時期の作品である「海の博物館」「オートポリス・アート・ミュージアム」「筑波・黒の家」「志摩museum」「杉並・黒の部屋」から感じていただければと思います。
この作品では、ローコストでありながら高い耐久性を実現するための具体的なシステムづくりが大きな課題でした。この作業を通して常に感じていたことは、このシステムづくりからプロトタイプのようなものが浮かび上がってくるのではないかということです。そして、このプロトタイプが、僕が漠然とイメージしている「素形」と近いのがもしれません。
収蔵庫にはとても苦労し、実際に建ち上がるまでは、明日にでも建築をやめようかと思っていました。出来上がったときに、何かの手がかりが少し見つかって、もう少しやってみようかという気持ちになったのを今でも覚えています。
レキャストコンクリートのポストテンション組立構法を用いています。難しい構法であるだけに、構造家の渡辺邦夫さんと何度もけんかをしながらつくりました。強度が通常のコンクリートの三倍くらいになる高品質のコンクリートです。
展示棟には、大断面の集成材を使っています。この頃から木造に対する興味が以前に増して強くなってきて、スチールトラスと比較しながら検討を進めていきました。スチールトラスでは一力所に部材が集中するとやたらにジョィント部が複雑になるのに対し、木造ではわりあいすっきりと収まるなど、木の可能性は高いと思います。展示棟内の展示物は、学芸員の浜口さんの手づくりで、たいへん素晴らしいものです。
これは「海の博物館」から100メートルほど上がったところにある小さな美術館です。気候などの環境は同じですが、規模が異なりますので「海の博物館」とはまったく別の価値を求めました。低層部を現場打ちのコンクリートでつくり、それに屋根をかける、ただそれだけのことをきちんとやろうという気持ちでつくった建物です。集成材の梁が圧縮材として機能し、その変形を鉄筋の張弦梁が抑えるという構造です。小屋組を構成する張弦梁のジョイント部は直径45ミリですが、最初は300ミリもあったのです。この数値に行き着くまでに半年ぐらい、構造家の渡辺さんとやり取りしました。模型ををつくったりスタディを重ねるうちに、200ミリになり、100ミリになり、最後には45ミリになったのを覚えています。
そうこうしているうちに私の友人の陶芸家が「家を建てたいがお金がない、でも内藤だったらローコストでやってくれるだろう」ということで住宅の設計を頼んできました。それが「筑波・黒の家」です。ここから何年か、こういった依頼が続き、ますますうちの事務所は貧乏になっていきます(笑)。
できるだけローコストにするために、木造で、しがも一間半や二間というでさるだけ単純なスパン割りで構成しよう考えました。長いスパンをとばしたりするとそれだけお金がかかるからです。ちなみにこれは坪単価で当時32万円です。ちなみに先ほどの「海の博物館」は収蔵庫が45万円/坪で、展示棟が55万円/坪です。
「杉並・黒の部屋」は、マンションの一室の改装です。プラスターボードなど余計なものをどんどん剥がし、わずかに手を加えて単純な形に戻していくということが「素形」という意味で重要なのではないかと考え、つくりました。壁を剥がして出てきたコンクリートというのは、安藤忠雄さんの作品に見られるようなコンクリートとは全然違うものです。当然のことながら見られることを意識していないので、大工さんが描いたであろう通り芯などが入っています。しかし、圧倒的な存在感をもっており、コンクリートというのはこんな質感をもっていたんだと、改めて認識しました。