アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
1997年、ベルリンにあるアエデス・ギャラリーという建築のギャラリーで、私の展覧会の企画がもち上がりました。当時、ベルリンは建設ラッシュで、ギャラリーでもレンゾ・ピアノやリチャード・ロジャース、あるいはレム・コールハースなどそうそうたる建築家が派手な展覧会を行っていました。ただ私は、なるべく自己主張したくないという気待ちを込めて、この展覧会に「Silent Architecture」というタイトルをつけました。
この時期には、台湾の国立博物館「卑南(ペナン)文化公園遊客服務中心施設」のほか、長野オリンピックの選手村である「今井ニュータウン」「牧野富太郎記念館」「古河総合公園管理棟」「レストラン・マッカリーナ」、住宅では「極楽寺の家」「干歳鳥山の家」などを手がけています。
この仕事は、高知県の橋本大二郎知事が大変理解を示してくれまして、役所とのコミュニケーションが非常にうまくいきました。その意味で知事といっしょにつくったということができるかもしれません。
大きな建物ですが、庇線を樹木の高さより低く抑えることを心がけました。また、地形をあまりいじらないで、かつ低く地面に伏せるような形で建物をつくりました。これも渡辺邦夫さんとの共同作業です。当初は、アラン・バーデンさんが構造担当としてついてくれました。彼はテント構造のようにサスペンションがよいのではないかと提案をしていましたが、私はサーカス小屋のようになってしまうのが嫌で、サスペンションではなく外側に応力を集める方法はないか、そして、内側に対してできるだけ開いた構造にならないかと検討を進めました。最終的に完成した屋根には422本の木の梁が架けられていますが、この梁は一本一本角度と長さが違っています。今思うとかなり強引ですが、竹中工務店の施工が実に見事で、きれいにできました。大工仕事や、静岡県掛川市でつくらせた鋳物など、ひとつひとつの手作業がうまく噛み合い、あの屋根ができたのだと思います。
木造の屋根というのは妙なもので、敷地などの案件によっては重力よりも風の支配力の方が強まってくるのです。ここ高知は台風銀座ですので、屋根を考えるときのメインのファクターは風です。張弦梁を用いていますが、風で屋根が吹き上げられたときには、部材に働く応力が反転しますので、ジョイントも圧縮と引張りの両方に対応するようになっています。
敷地の事情で、二棟構成としました。いずれも外側はコンクリートで閉じられていますが、内側に対してはオープンです。年月を追うごとに周囲の森が追ってきて、森に埋まり、最終的には山の中に消えていくような、そんな感じにつくりました。
また、この設計では、いつもに増して設備のことに気を配りました。といいますのも、牧野富太郎という人は、日本の植物学の礎を築いた人で、自然が好きで好きでたまらず、自分は花の精だといったくらいの人ですので、牧野さんの建物にやたらとエアコンを使ったりはできないだろうと思ったからです。そのためには、閉じずに周囲の環境とつながった建物をつくるべきなのですが、最終的には展示室部分など、閉じるところも出てきてしまいました。建物に吹いてくる風は、構造のカテゴリーに入る風で、私はマクロの風と呼んでいます。それに対して、室内環境に影響する設備のカテゴリーに属する風のことはミクロの風と呼んでいます。同じ風ですが、このふたつを一緒に考えるのは至難の業です。この建物では、クールチューブを使うなどしてミクロの風とマクロの風を同時に考えようとしていますが、試みはその程度で、結局、ふたつの境を越えることはできませんでした。
間口が4メートル、敷地面積71平方メートルという狭小の敷地に、どうしたら住める場所をつくれるのかということが課題でした。そこで私が考えたのはトンネル状の軸組です。構造家の松本修一さんと協力して、ベイマツ集成材のフレームをつくり、それを600ミリ間隔で連続させていきました。天井高は、梁下で1.915メートルしかありません。壁は構造用合板で仕上げました。