アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「せんだいメディアテーク」南東側外観
「せんだいメディアテーク」1階オープンスクエア
「せんだいメディアテーク」3階図書館
「せんだいメディアテーク」断面
藤森 2000年以降というと、伊東さんの「せんだいメディアテーク」には驚かされましたね。
伊東 コンペティションの審査員には藤森さんもいました。先日事務所のスタッフに「もし『せんだいメディアテーク』と同じ審査員、同じ条件で今もう1度コンペティションをやったら、うちの事務所が勝てると思うか」と聞いたところ、みんなモジモジしていたので「私は絶対負けると思う」と言いました。今の私たちはこんなに大胆なことはできない。1階にある300人収容できるギャラリーホールには真ん中に柱が2本立っているのですが、今だったら絶対に怒られるでしょうし、むしろ自粛してしまってこんなことはできないと思います。コンペティションの審査員がよかったということもあると思います。
藤森 このコンペティションは公開で、審査の実況が別会場で行われていました。司会を石山さんがやっていて、後で聞いたらその実況がすごく面白かったらしい。「恐らく藤森はこの案を選ぶぞ」と石山さんが言うと、実際私がそれを選んで、みんなが「おおー」と盛り上がったりしていたようです。われわれ審査員にはそんな外の声は一切聞こえないのですが。あんなコンペティションは滅多にないんじゃないでしょうか。今でも覚えているのが、伊東さんがすごく緊張していたこと。どれくらい緊張していたかというと、設計者に選定された後も固い表情が変わらなかった。
伊東 笑えなかったんだな、きっと。
藤森 この「せんだいメディアテーク」で、仙台の街の構造が変わりました。定禅寺通りはそれまでは寂しいところだったのですが、今は人がよく通り賑わうようになりました。「せんだいメディアテーク」ができる前はこの敷地にはパチンコ屋やキャバレーが建っていた。優れた建築は街を変えるんだと確信しました。
伊東 オープンの時には、よく実現したなと涙が出るぐらい嬉しかった。これほど建築をやっていてよかったと思ったことはなかったですね。
藤森 当時伊東さんが、「ずっと建築をやってきたけれど、興味を持ったり評価したりしてくれるのは建築業界の人ばかりで、この『せんだいメディアテーク』で初めて市民が自分の建物に関心を持ってくれて本当に嬉しかった」と私に言ったことを覚えている。
「高過庵」南西側全景
「空飛ぶ泥舟」茅野市民館前展示時の全景
「天竜市立秋野不矩美術館」南側外観
伊東 少し後には藤森さんの「高過庵(2004年)」が竣工し、さらに古谷誠章さん設計の「茅野市民館(2005年)」で開かれた藤森さんの展覧会でつくられた「空飛ぶ泥舟(2010年)」は、「高過庵」の近くに移設されました。また、藤森さんが滋賀県の近江八幡市に設計した「草屋根(2015年)」は、すごい建築だなと思いました。今はディズニーランド並みに人が訪れているらしいね。
藤森 年間約300万人もの人が来ているらしい。
「草屋根」南側全景
「草屋根」配置
「草屋根」約10mの吹き抜けホール
「草屋根」断面詳細
伊東 藤森さんは、われわれ建築家がなかなか実現できないものを、さらっとやってのける。それには、精度も関係していると言えるかもしれません。日本の建築は精度がすごくよいです。一方、海外の建築は精度が悪いですがよい建築がたくさんあって、きっと建築に精度の高さはそこまで必要ないと思うのだけど、日本だとどうしても精度よくつくってしまうというところがあります。それを藤森さんの場合は、例えば「草屋根」のホールの壁に付いている炭は、社員の人たちとひとつひとつ天井に付けているんですよね。だからこういう建築ができる。天井のカーブだって、私たちだと図面を描いて三次元のCGを使って描かないとできないけれど、きっと藤森さんはそんなことやっていないでしょう。
藤森 私にはスタッフがいないので、模型はつくれないから、紙の上に二次元で描いています。
伊東 それで建築ができるというのは、やっぱり幸せなことだと思う。ある意味で私たちが失ってしまったものを、藤森さんは持っている。それがすごいと思います。これは、頭で考えていたらできなくて、身体でつくらざるを得ないもの。そんなことを今の現代社会のシステムの中でやろうとしても、なかなかできることではありません。
藤森 「秋野不矩美術館(1998年)」ができた時に、伊東さんが「藤森の建物は、地から生えたように見えるけれど、本当は生えたんじゃなくて、どこか知らないところから飛んで来て、そっと着地したものだ」と言われました。それを聞いて僕は自分が感じていた大地と自分の建築の違和感を言い当てられてびっくりした。「草屋根」も、地から生えているようだけど、どこかから飛んで来たようにも見えますね。
伊東 私もそんな内容のことを言った記憶があります。 なくなったものがそこにあるというのは、一方では現実そのものでありながら、もう一方で幻想的でもあるわけです。だから、どこかからやって来たようなもので、ある日ふっと消えているかもしれないように感じられるところが不思議ですね。こんな建築家は他にはいません。私は1960年代から菊竹さんに教わり、1970年代に自分で設計を始めましたが、やはりモダニズムという社会の中で建築を考えざるを得なかった。対して藤森さんは別のところからやって来て建築をつくっていて、しかもクライアントと一緒に山の中に行って木を切ってきて……というような人です。そういうことが現実にまだあり得るというのは本当に格別で改めて尊敬します。
「台中国家歌劇院」南側外観
「台中国家歌劇院」メインエントランス
「台中国家歌劇院」2階ホワイエ
「台中国家歌劇院」1階エントランスロビー
藤森 伊東さんが台湾に建てたオペラハウス「台中国家歌劇院(2016年)」は、「せんだいメディアテーク」と同じようにはっきりとした外観がないんです。それは、空間の反転を試みているからで、中が外になり、外が中になっているので外観というものがない。伊東さんは若い世代にたくさん影響を与えていますが、特に強い影響があったのはおそらくこの「空間の反転」という考え方だと思っています。これは奇妙で実に複雑そうだけれど、中に入ると迷うことはない。素直に人が動いて、変な方向に行ってもすぐに戻って来られるのです。私はこれが伊東さんの最高傑作だと思っています。実は作品はピークまでいってしまうと、逆に影響を与えないのです。例えば、丹下さんの「国立代々木競技場(1964年)」の影響は受けようがないでしょう。伊東さんで言うと、それが「台中国家歌劇院」なのです。
「台中国家歌劇院」配置 屋上庭園
「台中国家歌劇院」5階オフィスのテラス
「台中国家歌劇院」配置
「台中国家歌劇院」1階エントランスロビー