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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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槇 文彦 - 建築空間と物質性について
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東西アスファルト事業協同組合講演会

建築空間と物質性について

槇 文彦FUMIHIKO MAKI


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多様性と模索の現代

ちょうどぼくが大学を出るころは、まだいわゆる戦後でした。東京大学にいましたが、当時丹下健3先生はまだ若い助教授で、広島にピースセンターを設計中という時代でした。われわれはそういう中で、日本的モダニズムというものの洗礼を受けてきたわけです。

この数年間、ポストモダニズムということがいわれ、極端ないい方をすれば「モダニズムは終わってしまった」という意味で、新しい時代へ突入しているということをいっている。そういうものを端的にあらわしている考え方や作品を集めれば、そういうことがいえると思いますが、一方においてモダニズムというものを少し振幅の広いものとしてとらえてみると、必ずしもそうでないかもしれない。といいますのは、いま起こりつつある変化を、19世紀の後半から20世紀の初頭に起きた変化に比べてみると、圧倒的にその質的変化は19世紀後半のほうが大きかったわけです。ですから、最近モダニズムに対してポストモダニズム、さらにポストモダニズムの後にニューモダニズムというかたちでいわれていますが、やはり最後に「モダニズム」という言葉がついてくるということは、19世紀の終わりからわれわれが新しい時代に入って、そのままその延長線上にあるということで、大きな意味では変わっていないひとつの証拠じやないかと思うんです。

それをもう少し具体的にいいますと、日本でもョーロッパでもほかの地域社会でもいいんですが、伝統的な建築の平面計画についていいますと、あるひとつのタイプが存在したわけです。住居についてもそうですし、公共建築についても、よくタイポロジーという言葉を使うんですが、タイプで考えてきました。

モダニズムというのはどういうものかというと、タイプが崩れてオープンエンドになっていった。つまり開いた計画を可能にしてきたわけです。それにはもちろん新しい社会状況によっていろいろな種類のいままでなかった建築、たとえば工場、病院、停車場であるとか、あるいは高層ビルもそのひとつですが、そういうものが出てきたということも当然刺激になっています。しかし、同時に歴史的にさかのぽれば、郊外住居が生まれて、そこで都市の中と違った新しい自由な間取り、快適性、便宜性を主としたものの考え方が発生した。そのことが大きな契機になっている。モダニズムというのは、そういう意味でひとつ大きな変革を遂げて、その点においては現在も変わっていないと思います。

それから表現というものについて見ますと、伝統的な建築はある様式によって、あるいは地域社会の持っているヴァナキュラーな表現方式によって統一されていたわけですね。それをモダニズムは破ってしまった。その結果、表現方法においてもかなりオープンエンドになってきました。ただその中で一つ、この数十年間、次第に収斂してきたのは均質空間への移行ということで、実はこれがポストモダニズムの攻撃を受けることになりました。つまり教条的でありすぎるのではないかと、逆に批判された。その中で一部の歴史主義的な表現は、たしかにもう一度ある様式的な方向へ回帰しようとしています。しかし、それだけではなく、大きくいえぱさらに表現は多様になっているのが現実で、この数年間の建築雑誌を見ても、非常に教条的なモダニズムは崩れたけれども、より一方において、たとえば表現主義的な傾向とかハイテックであるとか、逆に多岐にわたっていて、決してレトロ調だけではないわけです。

かつての様式的な建築の中で、特に公共性に富んだものは表現の中で装飾性を強調していたのですが、モダニズムがそれを否定してしまうわけですね。アドルフ・ロースの言葉を借りるまでもなく、そういうものはなくなった。しかしどくかでその表現に対する意味の深さ、重要さを再認識しようということが、モダニズムに対する批判の一つの重要な点になってきますが、だからといって、かつてあった装飾が、これからもう一度復活するかどうかということは、これもやはりある限定した中でしか起き得てないんじやないか。また、今後ますますレトロ調に復活していくということが主流になるとも思えないわけです。

モダニズムが伝統的な建築とかなり決定的に違ってきた中に、われわれが使う物質の間題がある。つまり木とれんがと石を軸にした伝統的建築が、一挙にコンクリートと金属とガラス、あるいは最近はプラスチックとかに移行していく。それによって必然的に起きる表現の変化は大事なことです。石を張る、木を使うということはあっても、それを中心にした建築へもう一度帰るということはおそらくなくて、否応なしに現代建築は現代的な材料、工法を中心に進んでいかなければならない。そういった意味では、やはり時計の針は決して後へ戻らないだろうといえると思います。ただ100年前に獲得したそうした材料を、われわれはどういうふうに本当に使ったらいいかということについて模索の時代が続いていて、少なくとも過去この100年ぐらいを見てみますと、都市を実際に再構築していくとか、新しくつくっていく上で決して満足する結果が生まれなかったという、その経験だけがかなりはっきりしているというのが現代ではないかと思うわけです。

ということは、かつての建築の材料、木にしても石にしても、それなりに時間に対するある種の成熟性をそこに内蔵している場合が多かった。もちろん取り扱いないしは管理が貧しければ当然破壊されたり汚なくなっていく。それは新しい物質系についても同じことがいえるのですが、やはり成熟さ、味があるとか、そういうような点になるとなかなかわないわけです。われわれはこの数十年間、コンクリートというものを実際に使ってきたわけですが、空気の汚染度あるいは雨水の汚染度の高いところでは、コンクリート打放しをきれいに味わいを深めるかたちで使っていくのは非常にむずかしいということがわかってきました。

そういうことも含めて、モダニズムが最大のチャレンジを受けているのは、本当にモダニズムの建築がいい都市をつくれるかどうかという点ではないかという気がするわけです。それ自身が、実はモダニズムは死んだ、あるいは考え直すべきではないかというひとつの根拠になっている点でもあると思います。

かつての建築は、大きく分けると都市の中で二種類だったわけです。一つは住居です。それは集合住宅や町屋であっても独立住居であってもいいんですが、どちらかというとある統一された物質、つまり建築材料、様式のわずかな変化の集合として成立してきた。それ自体は都市の中にうまく溶け込んでいたわけです。ところが、もう一つ住居に対応して意図的につくられた建築、つまり表現の形式とか自由さ、あるいはモニュメンタリティを強調する建築が、それと並行して昔からあったわけです。日本でいえば社寺・仏閣、ヨーロッパでいえば寺院・宗教建築のほかに、たとえば王侯貴族の住居、パラッツオであるとかパレスであるとか、あるいはョーロッパの場合には日本に比べて比較的早く多様な公共建築が出現しましたから、そういうものが建築家の対象としてあったわけです。また、それはそれなりに、様式的にある統一、つまり時間に対して変化の少ないゆるやかな中で、都市の中で成熟していったということです。

そういう2つの建築のタイプの中から出てきた都市社会は、システムとしてもオープンだし、表現が多岐にわたり、様式的に統一されていない。現代よりはるかに人々の気持ちに訴えるものを持っているということは、きわめて当然といえば当然だったと思います。しかしだからといって、時計の針が元に戻らない中でわれわれがどうしたらいいかということが間題であって、現代の材料によって形式的に過去を覆うだけでは、決してわれわれの将来が見えてくることにもならない。そこが、いま建築家が直面している間題の本質だと思います。数十年間、ぼく自身が実際にその中で起きてきた諸現象を、もう一度客観的に見直してみると、そんなふうにいえるのではないかということで、申し上げたわけです。

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