アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
次は東京・日本橋の高島屋の斜め向かいにつくりました。「日本信託銀行本店」です。
ここには昭和二年に完成した旧川崎銀行本店の建物が建っていました。矢部又吉さんの設計でルネッサンス様式の建物です。矢部さんは、先年、日建設計が外壁の一部を保存・再生して建て替えた日本火災横浜ビルの元の建物、旧川崎銀行横浜支店の設計者でもある人です。
丸善、高島屋と並ぶ三つの建物は日本橋を代表するランドマークとして人々に親しまれてきましたから、ただ古くなったから建て替えたい、新しくしたいということではなくて、先代が心を込め、お金もかけてつくった建物を生かしながら、何とかこの敷地いっぱいになるような建物につくり替えられないかと、いろいろスタディしてみました。
オーナーは旧川崎銀行の直系の方たちによる川崎定徳という会社なんですが、その方たちも元の建物のイメージを大切にしたいという考えでした。外壁の一部を残して、新しい建物にはめ込むとか、日建さんのおやりになったような方法とか、いろいろ検討してみました。
昔の建物は石が非常に厚いんです。石を積んで型枠にして中にコンクリートを打ち込んでいるんです。ですから、石積みだけで自立するほどの厚い石を使っています。石だけを外せるかといいますと、元の建物は大正十年から建設にかかっておりますが、途中に関東大震災に遭遇しています。そんなわけで工事途中に鉄骨が入れられました。石の外壁の後ろに鉄骨鉄筋コンクリートがくっついており、石をはずすこと自体がたいへんなことだということが判明しました。そこで、開口部や腰壁部分などの手の込んだ部分をうまく新しい建物にはめ込んで使い、ビルのエントランスや最上階中庭に外壁の一部の柱頭や柱型、エディキュラーなどを象徴的に残す、一部は明治村に再現するという方針で建て替えられることになりました。
しかし、川崎定徳の皆さんは、現在のモダンなのっぺりとした建物は嫌だ、新しい建物であっても彫りの深いもの、窓などが表情豊かなもの、縦長のプロポーションを持ったもの、落ちついた雰囲気、重厚さを感じさせるような建物にしてほしいという要望でした。そういう経緯から生まれたのがこのたてものです。新しい建物は最上階に川崎定徳本社は入り、それ以外はすべて日本信託銀行が一括して借り受け、本店として使っています。
さて、新しい建物に古い建物の断片をはめ込むといってもそう簡単ではありません。柱頭とかエディキュラーの古い石を使っていますが、高圧水で表面をほんの少し薄く削りとるようにして洗って、見た目には新しい石より白いぐらいにきれいになっています。柱頭の載っている柱身部には新しい石を使っています。一階の左右の壁にも、開口部と腰壁に古い石を象徴して使い、規模は小さいですが、ローマのクワトロフォンターネ風に新しい石に古い石をはめ込んで使っています。決して保存・再生とはいえませんが、古い建物の記憶の断片を生かしながら、新しい建物をつくり出していくひとつの方法ではあると思います。
基準階の無柱のワンルームで大スパンです。外壁の構成を見てもわかるように、かなり大きな構造体になっております。そこに縦長の窓がほしい、彫りの深い窓がほしいということで、いろいろ工夫しました。ガラスのサッシュを三角形に内部から出っ張らせ、下のほうの窓台との隙間には換気用の開口を持つという形にして、彫りの深さを出し、なおかつ新しい感覚と古いものとの共存と対比を図ってみました。
もう少し細かく見ますと、石の窓枠や窓台も出っ張って、より彫り深く見せています。サッシュは上からも下からも山型に出っ張り、斜めの方向から見ると細長い窓に見えるわけです。内部からは、透明ですから全体が一つの窓に見えます。
一階と二階は銀行の営業室ですが、二階の床は上から吊り、柱のない広々としたラウンジ風の開放的な空間となっています。都市銀行は、ただ窓口があればいいというのでなく、街の中のラウンジとして使えるような、いろいろ情報を提供したりする場所でありたいという日本信託銀行の意向を受けて、新しい銀行の役割をイメージしながら設計しました。銀行からは徹底的にモダンな内部でという要求もあり、そうした希望を入れてつくっております。
最上階の川崎定徳本社は全フロアの面積を必要としないので、中央に中庭をつくっております。川崎定徳の皆さんにとっては、先代のつくられた建物への思い入れが深いわけですから、役員室から見えるオブジェのようにして古い柱頭を置いています。実はこのオブジェに囲まれた中にはお稲荷さんを祀っております。
地下に貸し金庫室があります。2001年宇宙の旅という映画のイメージを借りて。貸し金庫室の床をガラスブロックでつくりました。下に照明を組み込んでいます。