アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
甲府のプルじぇくとを進めていく中で、次第に興味が強くなっていったものにダンスがあります。
僕は以前からダンス、特にコンテンポラリー・ダンス、具体的にはドイツのピナ・バウシュの率いる「ブッパタール舞踊団」とかウイリアム・フォーサイスの率いる「フランクフルト・バレー団」の二つのファンで、日本に公演にくると必ず見に行きます。ピナ・バウシュは二度来ていますが、フランクフルトは一度しか来ていません。福岡で公演があるかどうかわかりませんが、僕はピナ・バウシュとフォーサイスのバレーは、建築家なら絶対に見ておくべきだと思います。
実はフランクフルト・バレー団の芸術監督のフォーサイスという人は、建築家のダニエル・リベスキンドの友人です。おそらく舞台美術とか舞台空間について、二人でかなりの議論をしていると思います。リベスキンドの一種分裂的な考え方は、フォーサイスの舞台空間に相当影響していると思います。ご存じのようにリベスキンドは世界のアバンギャルドの最先端を行っている建築家で、目下ベルリンで大きな博物館の設計をしています。僕はこの建物の完成を非常に楽しみにしているんですが、最近、ドイツではネオナチ的ないたずらが随分目立ってきており、ダニエル・リベスキンドはユダヤ人ですから、その博物館もたしかユダヤの文化を紹介するような施設だったと記憶しておりますが、そこでネオナチの標的になっている、と聞いて心配しております。この作品が完成すれば、世界のっ建築界に非常に大きな衝撃を与えることになると思います。それはちょうど磯崎さんの一連の群馬美術館あたりからの作品の衝撃と同じように大きい世界的レベルでのパワフルな影響力になると思います。
そのリベスキンドとフォーサイスが舞台空間でつながっているわけですが、舞台というのは、ダンサーがいないと成立しない。ダンサーはなにをしている人かというと、空間を構想している人っである。つまりダンサーを見ると身体の形とか動きとかに注目し勝ちですが、ダンサー自身は足や指の先、肩や背中の後ろとかをかなり意識して空間を規定するというか、空間を構想することを仕事としてやっている人たちだと思います。それはある意味では建築家に近い、もしかすると建築家よりはるかに先を行っている人建ちかもしれないと思うわけです。
甲府のプロジェクトでも、建物のレイアウトや一つ一つの形が空間を構想するように、という意味でダンサーを参考にしました。僕のようなアトリエ事務所では、なかなか大きな仕事をやるチャンスがありません。一つの大きな敷地の中に十数軒という複数の建物の設計となると、どうしても集団としての建築の相互関係を考えざるを得なくなる。むしろ相互関係をどうとらえるかでほとんど決まってくるともいえるわけです。それによって小さな都市の空間が、ある特定の意味を持ってくる。そこでダンスが一つのヒントになったわけです。複数のダンサーが空間を規定していく、複数の建物を設計していく、その両方とも空間を構想するという意味で、ダンスがヒントになりました。
この写真は有名なハンス・ベルメールという彫刻家の作品で、非常に不気味なものです。腹部から上のない、腹部から下だけの人体のレプリカを上下でつなぎ合わせたものです。こういう非現実的というか、幻想的なあり得ないようなものが、ある異様さをもつことによって、特定の空間を構想することが可能になる、ということだろうと思います。ベルメールがそんなことを考えていたかどうかは知りませんが、僕はそういうようにとらえています。空間を構想するダンサーそのものが、通常では考えられないものを設定していったときに、どんな空間を構想し得るか、ということです。
僕が向かし友人に頼まれて設計したレストラン「ミュージアム」です。そのときに、壁にマネキン人形を張りつけ、身体をずたずたに切ったりして、オートバイのエンジンなどの機械の部品を身体に埋め込み、サイボーグの片割れのようなものをつくり、それをステンレスのワイヤーで壁に押しつけて固定しました。空間を構想するということが非常に気になっていた時期の作品ですが、この作品自体は、うまくいったとは思っていません。
最近作の「サント産業本社ビル」です。中庭から上を見上げております。中庭という空間を規定していくときにも、ダンサーが空間を構想していくことにヒントを得て、それぞれの柱やブリッジ、階段、テラスといったものを位置づけています。階段やブリッジにもまるで意思があるようです。そして全体の空間を組み上げていきます。雑誌にも発表する際に、コレオグラフィ、振り付けということですが、この言葉を引用して連鎖するコレオグラフィということで「コレオグラフィリア」という原稿を書きました。ある意味では、これも構築的ではなくて、どちらかというと現象的な作り方だといえると思います。
これは僕が以前にデザインした家具です。家具が家具という機能を離れて空間を構想していく、ということを考えてデザインしているので、やや人体に近いものになっています。激しく動きまわるダンスでなく、たとえばピナ・バウシュの踊りがそうであるように、じっと立って瞑想している、というような状態も明らかに空間を構想し得るわけです。建築の世界に、そのヒントをどのように解釈していくかで非常に面白いものができると思います。決して激しく動きまわっているわけではないのに、激しい空間を構想している、という感じを受けるわけです。
次はコンスタンチン・ブランクーシの「バード・イン・スペース」というタイトルの彫刻で1926年の作品です。これはまさに概念としての鳥を表現しています。空間を飛ぶ鳥のアナロジーや羽根のアナロジーではなく、空間を飛ぶという現象を概念としてとらえて形にした傑作です。