アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
日本の近代建築はまさしくヨーロッパのもので、戦後はアメリカの影響力が非常に大きい中でできてきた。その中で明治以来、私たちの国は脱亜入欧という図式をとってきました。要するにヨーロッパの文化を取り入れて、早くアジアの影響を忘れようということを百二十年ぐらいやってきたわけです。ところが、この国が脱亜して去ったアジアのほうが、今、非常に大きく変わってきている。外務省の方の依頼で、中国にはいくつかの総領事館がありますが、そこで建築の話ばかりではなく、日本の中国認識や、そしてそれが日本にどういう逆影響を及ぼすと考えるか、という話をせよということになりました。昨年の春、私は北京と瀋陽で講演しました。先日は、上海と広州、返還間際の香港でも話をしてきました。ご承知のように日清戦争から第二次世界大戦というのは脱亜入欧方式で、ヨーロッパの方式を身につけて武力で入亜していったというのが日本の役割だったわけです。そのあたりの話をするときには微妙な難しさがあります。
また、歴史を振り返って、やはり脱亜入欧の図式の徹底という意味もありましょうが、例えば法隆寺は、私たちは日本の建築であると学んできました。太田博太郎先生は、法隆寺は左右非対称だから日本の建築であるとご説明されました。さらに、柱にエンタシスがついているのはシルクロードを通してのヨーロッパの影響であるというようなことを強調されました。しかし、中国の人は必ずしもそうは思っていません。それは自分の国の文化のひとつの変種であると思っている。それを聞いてこちらも今さらのようにびっくりする。先方もびっくりするというようなことがあります。また、英文で書かれた「中国建築」といった類の本を買いますと、半分近くが中国建築の例として日本建築が載っているんです。めくると東大寺や法隆寺が出ている。人が大切に残してきたものを勝手に使うなぁ、中華思想とはこれか、などと思います。しかし、それについて是非を問うのではなく、早く脱亜入欧という図式を脱して、中国と、そしてアジアとともに考えるという姿勢を打ち出していかねばならないと考えております。