アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
近代より以前の木造の様式は、非常に荒っぽくいうと四つあります。そのひとつである神社は、日本の木造の面白い性格を表現している。その木造の輝く魅力を持続しようと思うと、石と違って二十年おきに建て替えなければいけない。伊勢神宮がその素晴らしい実例を示しているわけです。歴史の魅力を持続するためには建て替えなければならないという逆説が生きているのです。
神社の設計も私たちの身辺にある。新建築社の隣にある湯島天神が老朽化して建て替えるとき、今までの建築基準法では浅草寺などのように全部コンクリートで建て替えなければいけない。ところがそれは非常に矛盾した話で、延焼の危険が少なく戦火を逃れて湯島の境内で木造で残っていた天神様をコンクリートで建て替えるのは、なんとなく釈然としない。それで例外的に木造で再建していいと確認申請が通ったそうです。それが例外的だというのは驚くべきことで、コンクリートで木造を模して同じようなかたちにつくられた神社に、それだけの宗教的な帰依の情がまつわるかという話が出るだろうと思います。
中国で話をしたときに、辰野金吾と伊東忠太の比較をしました。辰野金吾の建物の西洋近代主義の中では、例えば日本銀行にしても東京駅にしても、常に建て替えの危険にさらされます。 経済がどんどん発達すれば、日本銀行があの規模でまかなえるはずがない。すると、全部壊して超高層にしたらいいという話が当然起こってくる。東京駅もそうです。一方、伊東忠太のほうはアジアと日本です。例えば平安神宮にしても、明治神宮にしても、あるいは湯島聖堂にしても、それを壊してビルにしてしまったほうがいいとは思えない。孔子霊廟がガラスの超高層になるということを思い描くことができない。ひとつの定点として都市の中にそういうものが存在し続けていくのです。辰野と伊東の比較は脱亜入欧の図式を私たちに教えてくれます。
もうひとつは、中国から入ってきた奈良・京都を中心とする社寺建築です。法隆寺が日本建築であるのか中国建築であるのか。日本建築であればそれがどういう比率で日本建築であるのか。その比較についてはこれから国際的に揺れ動きながら考えていかねばならない問題だと思います。しかし、とにかく千三百年も経っていて、古びていること自体が価値である。恐らく最初は、真っ赤に塗られていたに違いない。そういう様式を持っているところに、神社の様式と違う時間感覚があります。
もうひとつの様式は民家です。高山にあるような豪華な民家はもちろん例外的で、ほとんどの民家は今の公団住宅をもっと小さくしたようなかたちです。全部同じ間取りで、それ以外の建築は許されなかった。封建制の中でいろいろ租税をかける方式を安定化させるために民家を画一化したのです。この画一化の中でつくられた基準に、今、大型木造をつくる際、学ぶことが多いわけです。
最後は数寄屋です。これはまったく逆にそれぞれが独自性を持って、他の人と同じものをつくらないように頑張るというのが数寄屋の価値だった。多様性をしくみの中で保証していくことが江戸時代からずっと続いてきていた数寄屋のさらなる近代化に通じると思います。私がそういう趣旨で設計した「数寄屋邑」の話と、それを通じて近代数寄屋研究として『住宅特集』に書き続けている話の内容を紹介したいと思います。