アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
はじめに木造の文化的意味を考えてみたいと思います。それは材料が企であるだけではない性格をもっています。現在、東京をはじめ大都市の建物は、ほとんどコンクリート造です。木造は燃えやすいので不燃都市の敵になっている。しかしその一方で、木は導管・師管があって、ほとんど空気であるというたいへん魅力的な性格を持っています。また、スムーズに切ればそのまま仕上げになるという性格もあります。もうひとつ、日本の八割が山〈斜面〉なので木はたくさんあります。ところが輸入材と内地材との価格差の関係があって、木がだんだん放置されているという問題がある。山は荒れてきています。「国破れて山河なし」ということになります。それから日本では近代より昔のものは、ほとんどの建築が木造だということが非常に特徴的です。それはヨーロッパでいうと石造に当たりますが、ヨーロッパの場合、石造の建築は都市の構成要素として立派に残っていますが、木造は非常に燃えやすいので全部消滅してしまっている。しかし今、近代を再考する時代に入っています。したがって近代を反省しようとするときに、徹也コンクリートでさらなる先鋭的な近代建築をつくることも大切なことですが、自分としては近世以前の文化を考えるよすがとして木造を考えてきました。
それからもうひとつの大きな変化は、冷戦が終わったことです。都市を不燃化することは地震と火事の対策です。ここのところ問題は非常にクローズアップされています。また地震、火事のほかにもうひとつ都市防災の大きな課題がありました。それは空襲です。木造都市はこれに致命傷を持っている。実は第二次世界大戦が終わった直後の政治家たち、特に吉田茂の世代の政治家が一番考えたのは、やはり空襲に空襲に対する不燃化都市で、それを早急につくらないと一晩でなくなってしまうという恐怖を持っていました。
清和文楽館
それが今の建築基準法にも反映しています。ところが今、冷戦が終わって、経済再建で共産党諸国も一生懸命なときに東京に爆弾が飛んでくること、つまり吉田茂たちの恐怖は、すでに変質しています。そういう中で、建築基準法で例外なく大きな木造は集成材じゃなきゃだめだとか、要するに昔の文化との関係を全部カッコに入れるかたちで、木造に対して警戒心を持ってきた1970年代はそろそろ終わりにして考え直してもらいたい。例えば、奈良や京都にある年輪のついた大型の木造は、地面につながっていない構造のために免震性にも非常に優れているのですね。そういう意味で木造について考えることはとても面白いことです。