アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
今日の講演のタイトル「建築という暴力」を見て、いったい私が何を話すんだろうと思われている方がいるかもしれません。どんなに優しい身振りの建築でも、その建築が実現される過程は断定の連続です。そしてその断定のメカニズムは実は極めて一方的です。空間的な決定のメカニズムが、それに先立つと一般的に思われているプログラムそのものをも決定していると私は思っています。その一方的な決定の、あるいは断定のメカニズムについてお話できたらと思っています。
ある雑誌に、若い建築家が「プログラムが最近はやり言葉になっている」と書いていましたが、プログラムは別に流行したりすたれたりするものではありません。 われわれが建築をつくるときに、その背景にプログラムを持っていない限り建築をつくってはいけません。今、問題になっているプログラムとは、プログラムそれ自体が問題なのではありません。むしろ「建築とプログラム」の関係がわかりにくくなってきているのではないかと追います。
というわけで、今日は建築がどのように記述されてきたか、どういうものとして建築を眺めてきたかについて、私の理解する範囲で体験的ではありますがお話します。