アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「熊本県営保田窪第一団地」です。これは私が最初に手掛けた公共建築です。
この団地が出来上がったときさまざまなメディアからいろいろな批判をされました。
なぜそんなに批判されたかというのは先ほどの話と同じです。ここでも、多くの人は集合住宅のプログラムが先にあると思っているのです。快適な生活のためのプログラムがあって—そのプログラムを「内容」と呼びましょう—建築家はその内容を受け止めて、そのための容器をつくっていくという構図を想定しているのです。建築家側からその内容、つまりプログラムに対して提案があるとは思ってもいません。快適な住まいはこうあるべきであると、あらかじめある理想像に基づいて建築が出来上がっているのだと誤解しているのです。しかし、そんなものはありません。だれもが納得できる理想的な生活像などあるはずがありません。ですからわれわれの立場から新たな生活像について提案すると、それは建築家の越権行為だと受け取られてしまう。「デザインか生活か」という問いかけになってしまうわけです。建築家がデザインばかり頑張るものだから生活が犠牲にされていってしまう、という構図です。その構図の中では、建築家は単なる装飾屋さんです。快適な生活のためのプログラムを受け止めて屋根のかたちを変えたり、壁の色を考えたり、パンチングメタルを貼っていくのが建築家だと思っているのです。
110世帯がいっしょに住む契機など最初からあるわけがありません。逆に、もし110世帯が住むとしたらどんなことが空間の構成としてできるか、それを考えることは確かにできます。ですから私の提案は、もし110世帯がともに住むとしたら、どんな空間の構成が可能かという、いわば仮説に基づいた提案です。
敷地の外周部分をループ状の道路が巡っています。集会室と三つの棟が中庭を囲んでいます。七つのブロックからなる棟、四つからなる棟、五つからなる棟に分かれていて、ひとつのブロックがふたつの階段室を持っています。ループ状の道路に面している階段と、中庭側に面している階段です。中庭への入口はありません。消防車が入れるぐらいの開口はありますが、普段は閉められています。したがって、中庭に入るには各住宅を通過するか、あるいは集会室を通過しなければ入れません。つまり、この中庭はここに住む人たちの専用です。非常にプライバシーの高い中庭です。
私はここに住む多数の人たちに帰属するプライバシーを「コモン」と呼び、この中庭をコモンスペースと呼んでいます。このコモンスペースは不特定多数の人たちが勝手に入ってくるわけではなく、この団地に住む人たちだけしか使いませんから、自分たちの帰属するなかま内の庭ということになります。なるべく各戸のリビングルームはこの中庭側に開放するようにつくってあります。
最近、私はこんな図ばかり描いていますが、各住宅とコモンスペースの関係が説明しやすい図だと思います。各住宅を通過して中庭に入る図式です。仮にひとつの住宅の人たちだけを取りだすと、その人たちは当然外にさまざまなネットワークを持っています。会社のメンバーやクラブのメンバー、子供たちであれば学校のメンバーなど社会的な関係を外にもっているわけです。その社会的な関係と同じように、内側にもそのような関係を持っていると考えればいい。昔の村社会のようにその村に帰属し、あらゆる人格をそこで拘束されるように働く共同体の図を描けといわれれば、これが逆転したかたちになります。しかし、この図式はそうではなく、コモンスペースに対して参加したくなければ、その関係を切断することが論理的には可能です。つまり、個々の人たちはコモンスペースを巡る関係に拘束されないで済むわけです。逆に、コモンスペースだけを考えれば、そこへは個々の住宅を介さなければ入れません。繰り返しますが、コモンスペースはいつでもここの住宅に済む人たちの意思によって閉じたり開いたりできる関係になっているのです。その役割のことを私は「閾」と呼んでいます。閾は境界を意味しています。違う性格のものが出会うその境界面のことです。 各住宅がコモンとパブリックを分けている役割を果たしています。わかりやすくいえば、住宅が境界で、中庭がコモン、外側がパブリックという関係です。その各閾を通過してどこからでもコモンスペースへ入れる代わりに、またそこを通じなければどこからも入れないというトポリジカルな関係になっています。
この集合住宅が竣工したとき、新建築社が撮った中庭部分の写真と、生活が始まってから撮った写真を比較すると、その雰囲気はずいぶん違います。入居すると人びとの生活が中庭側へ出てくるからです。洗濯物やら布団やらと、東南アジア的状態とでも呼びましょうか、私はこの風景のほうが好きです。コモンスペースとなっている中庭があるからこういう生活が成り立つのだと思います。この風景は完全に囲われていますから道路側からは見えません。最近訪ねたのですが、このような現象はさらに激しくなっていました。中庭に向かってお茶を飲む場所を構えたいという方も出てきたりして自由に中庭が使われているように思います。
天気のいい日には中庭で子供たちが遊んでいたり、お母さんが三輪車で子供を遊ばせていたりして、パラパラといった感じで人びとがいます。ある建築家がその様子を見て、「この程度にしか活気がない中庭になったのは、こういう構成にしたからだ」という意味のことをいいました。「もっと多くの人たちがここを通れるようになったら、さまざまな人たちが偶然に出会って、そこで話がはじまる。さまざまな出来事が起こる」と。そんなことあるはずありません。偶然に出会った人と話がはじまるなら、こんな平和なことはないと思いますが、偶然に出会う場所をつくれば、そこであるコミュニティが発生すると思っている。しかし、現在われわれが持っているコミュニティとはこの中庭が象徴している程度のものなんです。それ以上のものを今の社会の中でつくろうということこそ、まさに暴力だと思うのです。
今のコミュニティがこの程度の関係でしかないというのは、集合住宅を単に住宅の集合としてしか考えられないからだともいえます。110世帯は大きな単位です。本来なら住宅だけで出来上がっている単位ではない。さまざまな都市施設がそこにはあるはずです。集合住宅をつくるときには都市施設といっしょに考えられるべきです。110世帯も人が集まるところに住宅しかないのは、おかしなことだと考えてもいい。普通の都市で住宅がつくられていく方法を見てもらえばわかります。必ず商店成り公共施設なりができます。
この住宅を喫茶店、託児所、老人のデイケア施設などといっしょに考えることができたら、中庭のコミュニティはもう少し違うかたちになっていたと思います。中庭を巡って住宅が配置されていますから、仮にデイケアセンターが一階にできた場合を考えてみると、外からも内からも使えることになります。中に都市施設を入れていくことのより、中庭にファンクションが発生してくるわけです。そうすることによって、はじめて中庭が活性化する契機を与えられるのだと思います。
しかし、これを政治的に活性化させようと思えば、やり方はいくらでもあります。政治的というのは失礼ですが、熊本大学の延藤安弘さんが「中庭祭り」を仕組んでくれました。延藤さんは、この保田窪団地に対してたぶん反面評価し、反面批判している建築家です。私はこの風景がたいへん気に入ってます。しかし、確かに美しい風景だとは思いますが、この風景があるからといって、この住宅のつくりが成功かどうかを判断するのは早計だと思います。日常の中庭の様子で判断すべきです。
『フォーカス』に「雨が入り込んでしまうのでは」と騒がれた渡り廊下の部分です。軒が深いから通常は雨は入りません。
中庭に面してリビングルームと同じぐらい広いテラスが採ってあります。熊本の夏は風が凪になって吹かないのでなるべく外気を取り入れたい。あるいは公営住宅法に違反せず、より豊かな場をつくってあげたいと思い、広いテラスをつくりました。当初は、戸惑っていたみたいですが、ここにハンモックを吊ったり、ダイニングテーブルを置いたりして豊かな使い方を楽しんでいるようです。
一階部分は託児所など将来的にいつでも都市施設に変換できるようにつくってあります。