アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
八年前に横浜でつくった雑居ビル、GAZEBO〈ガゼボ〉です。どこにでもある都市の風景であると同時に、一方で住宅地の風景でもあります。都内の幹線道路沿いの建物の上のほうは多くの場合住宅です。一階が店舗で、二階がオフィス、三階が貸しアパート、そしてオーナーが上に住むというのが一般的な住み方です。住宅のつくり方のひとつのプロトタイプだと思います。外国でこの写真を見せて「これは住宅地です」というと、みんなドッと笑います。われわれから見ると不思議ではありませんが、外国人から見ると、そうとう貧しい風景に見えるようです。それは道路との関係にあるのだと思います。
幹線道路は単純に通過動線です。私は小さいときからのGAZABOの敷地に住んでいるのですが、もともと建物が面している道は幅四メートルぐらいのものでした。それが、ある日突然、二十数メートルの道に変わって車が走り出したということをよく記憶しています。目の前の道路にまったく人がかかわれなくなってしまったのです。人が住んでいるという視点が欠けたままただ経済的な効率で道路が計画されるから、このような貧しい風景ができてしまうのです。
低層部の賃貸部分はメッシュで覆われていて、その上が住宅です。隣の家もやはり同じように最上階に人が住んでいますので、朝、隣同志のあいさつは道路越しに上の方でします。上のほうにもともとこの地域に住んでいた人たちが住んでいて二、三階あたりの賃貸住宅に割に新しい人たちが住んでいるという二重の層を持っているような都市の構成になっています。上の層にはまだかつての地縁性の記憶が多少は残っているように思いますが、下のほうの人たちはそうした地縁性とはまったく無関係に住んでいます。つまりまったく対照的なふたつの住み方が同居しているわけです。住むといってもさまざまな住み方があります。その多様な住み方をうまくすくい上げることができれば、都市の中に私たちが住むことは十分に可能です。その実験的な試みがこの雑居ビルです。
小さい中庭に面して、それぞれの部屋が配置されています。風呂も中庭に面しています。この風呂場は外からは見えません。風呂場が内側に面して見えても問題ありません。この例でいうと、風呂に入る時間がバラバラです。また、実際には湯けむりで見えなくなってしまうという消極的な理由もありますが、家族という関係の中では裸がセックスのサインじゃないということです。セックスというタブーを共有している人たちが家族という関係をつくり上げているわけですから、裸は必ずしもセックスのサインではありません。よく「娘が年頃になったらどうするんだ」と聞かれますが、それは家族関係が変わったと解釈したほうがいいと思います。「どうするんだ」という疑問は、「裸がセックスのサインになろうとしたら」ということです。そのとき、住宅はそれに応じて変わっていくべきです。そういう意味では家族は固定的なものでなく、子供の年令によっても違うし、家族の契機はさまざまに変わっていくものです。家族関係が時間とともに変わっていくときに、住宅はそれに応じて変化していけるかどうかだと思うし、変化していけるようにつくる必要があります。
中庭部分がリビングルームみたいな感じです。桜が咲く頃から十一月初旬の七ヵ月ぐらいはかなり有効に使えます。中庭を覆う屋根がないのですが、実際に自分がここで生活をして、この後の住宅から中庭の上に屋根をつけています。
ROTUNDA〈ロトンダ〉という雑居ビルで、構成はGAZEBOとすべて同じです。
屋根はテフロン膜を使っています。外皮のスクリーンはGAZEBOと同じステンレスメッシュです。昼間はメッシュが光を反射して、中はほとんど見えません。
千駄ヶ谷の四世帯の共同住宅HAMLET〈ハムレット〉です。HAMLETは「小さい村」という意味です。周辺には新宿の超高層ビル、神宮球場、国立能楽堂があります。この辺はもともとかなり良質な住宅地だったんですが、今は商業施設に変わりつつあるような場所です。
両親とその長男の家族、次男の家族、長女の家族が住まう家です。大家族という見方もできますし、層で分けると四世帯の共同住宅ということになります。
玄関から階段で二階へ上がると、家族全員が使うサロンがあります。その横にテラスがあります。大きなテフロン膜のルーフが後ろのブリッジを覆っています。このテフロン膜は周辺からの視覚除けと、後ろに動線がありますから雨除けにもなっています。そのテフロン膜に穴が開いています。恥ずかしい話ですが、風圧の計算がすごく難しいことがわかり、かといって風洞実験をするお金がなく、とりあえず穴を開けておけばなんとかなるだろうということで開けました。風抜きの穴です。
だいぶ前になりますが、パリの日仏会館のコンペに応募して残念ながら佳作で終った作品です。パリの街中に日本の文化を紹介するようなセンターをつくろうというコンペです。だれでも自由にアクセスできる広場をつくり、広場を巡って施設が並び、その上にガラス屋根を掛けるという提案をしました。緑園都市の計画はこれを踏襲しているわけです。