アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「緑園都市」は横浜の西部を走っている相模鉄道の沿線の駅名です。この駅の周辺に約一万七千人程度の人口が予定されています。現在七千人ぐらいが住んでいます。
さまざまな人たちが参加しているプロジェクトです。相模鉄道が全体のプロデュースを担当して、土地を持っている人たちのまとめ役と事業計画を行いました。それでも全体をまとめるのはかなりたいへんな仕事で、まずこの地域全体をどう開発するかという理念をつくりそれを全体計画にまとめて多くの土地所有者たちからのコンセンサスを得なくてはなりません。
その全体計画を依頼されたのが発端だったんですが、私からは全体計画ではなくて、個々の建築の集合が結果的に都市になるような、そんな開発の方法はないだろうかという話をしました。それぞれの都合に基づいてそれぞれ建築をつくるのですが、それだけだとバラバラな建築ができあがるだけです。そこで、ひとつだけルールを決めることにしたわけです。それが通り抜けの道です。つまり、建物の中を通過して隣の建物に接続できるような通り抜けの道をそれぞれの建物の中につくるわけです。
上層階に住宅を入れようという話になりました。すべて商業施設でもよいのですが、そうすると夜間、商業施設が閉店してしまった後、駅の周辺が真っ暗になって中心部が夜間は空洞化するという都心のミニ版のようになってしまいます。
これは駅を挟んでZYSTUS〈ジスタス〉と反対側にある三番目にできたGFビルです。ちょうど駅の前にありますので、将来、何かコマーシャルに使えたらとビルボードをつくっています。
できたばかりのCOTE a COTE〈コータ・コート〉です。九面のスカッシュコートがあります。このスカッシュジムがここにできたのは、建物群が出来上がっていった結果なんです。街並みにクラブハウスと呼ぶような建物が必要ではないかと相模鉄道が判断して、そのクラブハウスとしてスカッシュを入れようということになったのです。 建築の側が、あるプログラムを誘導していったといってもいいと思います。利潤を上げるためというより街全体にとって有効な働きをするかどうかということで機能が決定しているわけです。スカッシュを楽しんでいる様子が別の建物のテラスなどから見える。街のいろいろな場所から見えるようなつくりになっています。
われわれには、単体の建築をひとつの敷地の中でつくるような仕事が与えられます。先ほど集合住宅のところでもお話しましたが、ある敷地の中に110世帯が入る建物をつくることには何の根拠もありません。あの敷地の中にひとつのファンクションをみった建築が建つということも実は根拠がないわけです。そんなことが、「緑園都市」の仕事をしているとよくわかります。建築が互いに接続されたときに、建築はひとつのものだという意味が喪失してしまう。建築がひとつである必要はまったくないように見えてきます。それぞれにある個性を持った建築だとは思ってつくっていますが、お互いに並び合ったり、接続されたりすると単一性が消えていってしまうのです。
われわれが都市の中で建築を見るとき、「やぁ、これが建築家」と、それをひとつの建築として見るような視点はありません。しかし、ひとつの敷地の中にひとつの建築をつくろうとした途端にモニュメンタルにつくっていこうとする意識が働きます。ところが、環境に裏切られるというか、ある環境の中に置かれると、あっという間に単一性が消えていってしまいます。それはどんな建築でもいえると思うんです。これは建築の良し悪しとは別です。建築雑誌でそれだけ切り取られた構図を見ると、確かにあるモニュメンタリティを獲得しているように見えますが、ひとつの環境の中では、例えば都市の中では簡単にその環境の一部になってしまいます。建築とはそういうところがあるのです。本人はモニュメンタルにつくっているつもりでも、ある環境の中に置かれると、周囲との関係の中でモニュメンタリティはいとも簡単に消えていってしまう。そういうことを痛感したのが「緑園都市」です。