アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
「メディアの森のターザン」というわけのわからないようなタイトルですが、ある意味では私の理想とする建築像を示しています。その話に最後まで行き着くかどうかあまり自信はありませんが、比較的新しいプロジェクトを中心にご紹介したいと思っています。今年、私にとってちょっとした事件がありました。1976年に竣工しました「中野本町の家」が取り壊されたのです。私の姉のために設計し、姉と二人の娘たちの三人家族がここに21年間住んだわけですが、今年の三月に取り壊されました。たいへんプライベートな話で恐縮ですが、今日はその話からスタートさせていただきたいと思います。
海外では「ホワイト・ユー」と呼ばれていたこの建物は、新宿から四キロほど離れたところにありました。この住宅の隣に私が住んでいる「シルバー・ハット」があります。
すべてのものが二月中に運ぴ出され、マッキントッシュの椅子だけが残されました。この椅子は、私の持ちもので、二十一年間同じ場所に置いてありました。最初はそんなつもりはなかったんですが、光のスリットの下に置いた写真がすべての雑誌で出版されまして、この椅子がないとなにかこの家でないようなことになってしまい、ずっと同じところに置かざるを得なくなってしまったのでした。ですから、この内部にはマッキントッシュの椅子だけが置かれ、ほかになにもない真っ白な空間という印象がたいへん強いと思います。もちろん、住んでいる間は、ピアノや家具などいろいろなものが置いてあったのですが、それらが持ち去られた後は多少薄汚れてはおりましたけれども、できたときと同じような状態にまた戻りました。
家は不思議なもので、人が出ていってしまうと、突然何十年も廃墟であったかのように変わってしまいます。中庭には雑草がはびこっていますが、人が住んでいなくて荒れてきたわけではなく、住んでいるときからあったのですが、さぴしい風景になってしまいました。中庭はできてから二年間は真っ黒な土が置かれた状態でした。外側にほんの少し植えた蔦がみるみるうちにこの家を覆って、緑一色になっていきました。
この家には四つのスカイライトがあります。このスカイライトが重要な役割を果しています。外側に窓はありません。わずかに空気を抜くための換気窓が開いているだけで、それ以外は開口がまったくないので、閉ざされた表情をしています。
コンクリートの仮枠工事はきれいに施工されました。施工は単純で、カープしていることを除けばまったく同じようなものが建て込んでいくだけです。強い溝造を持った平屋です。
姉家族は都心の高層アパートの七階に住んでいました。一家の主である私の義理の兄が、実然ガンで亡くなりました。それは1975年のことです。その後、たまたま私が住んでいる家の隣が売りに出され、気持ちを切り換える意味もあり、アパートを売り払ってここに家を建てようと決意したわけです。
当時、どんな家をつくったらいいのだろうかと、まったく先も見えないままに試行錯誤していました。なぜこんなに閉じた家になったかについて今考えてみると、一家の主の死に直面したことが関係していたように思います。この家がなくなるにあたって、この家族三人にそれぞれ個別のインタビューを試みました。彼女たちにとってこの家がどういう存在であったかを語ってもらいました。それを聞いているうちに、父親あるいは主人の死が、この住宅に大きな影を落としていることをつくづくと感じたわけです。