アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
植物を現代建築へ取り込むというと、コルビュジエの初期の代表作の「サヴオア邸」です。ここで彼は屋上庭園を主張したわけです。彼は二十世紀の建築の条件として五つ提案していますが、その二番目に出したのが屋上庭園です。にも関わらず現実には申しわけ程度にしかやっていません。こういうものは普通、屋上庭園ではなくプラントボックスと日本では呼びます。コルビュジエもきっと、本気で屋上庭園をつくったらどうなるか、あるときわかったんです。彼の建築はめちゃくちゃになるわけです。つまり、彼流につくった建築、その上にモシャモシャ草が生えると建築は植木鉢のような状態になるわけです。明らかに建築は人工的なものです。それから植物は人工的ではありません。しかも植物は石と違って成長します。美学が違うんです。植物は生きものの美学です。植物が結果的に生み出している美と、人間がつくっている美とは、決定的に、この世の実の中で最も遠いものなんです。
コルビュジエは一九二〇年代に主張したんですけれども、もうちょっと前の時期に、すでに日本で屋上庭園をつくっている人がいました。下関の秋田商会という大陸の貿易商ですが、コンクリートで家をつくることになって、屋上に茶室をつくりたいと思ったらしいんです。ちょつとお寺のような茶室ですが、そのまわりを庭にしたんです。これは日本で二番目くらいに古いコンクリートなんですが、現存しています。コルビュジエよりももう少し早い時期です。これもやっぱり似合わないんですね。何かグジャグジャ植えている。でも、屋上庭園としては、本格的で、完全に松が生えていて見事なのです。ただ、雨漏りはしています。
ぼくが今まで見てきたものを思い出してみたわけですが、とにかく現代ものはコルビュジエの屋上庭園から「アクロス福岡」までどれも上手くいっていないんです。だけど、歴史的に見ていくと、実は日本には伝統的に、茅葺き屋根のてっぺんにわざわざ草を植える習慣があるのです。「芝棟」といいまして、ぼくは建築と植物の関係が比較的いい状態だと思っていますので、スライドでいくつかご紹介します。
八戸の舟番屋ですけども、茅葺きのてっぺんに草が生えています。何となくソフトクリームのトッピングみたいです。このスライドではニラが生えています。ニラはすごく強い植物です。屋根の上で、たまに降る雨水だけで生きていける。こちらにはユリが生えています。次は、茅葺きの上にイチハツです。イチハツも監燥に強いです。
芝練というのは、記録にある限りみても、現在、日本の常北地方とフランスのノルマンディー地方の二カ所にしかないんです。日本は、戦前は全国に芝棟がありました。全国といっても雪国にはなかったんですが、東北地方の太平洋側から九州まで、特に東日本を中心にたくさんありました。昔の写真を見るとわかります。でも現在、東北地方にわずか五百棟残っているかどうかです。フランスの芝棟はちゃんと保存されていまして、この村、パリから一時問くらい特急でセーヌ川を下った、もうすぐそこは大西洋、ドーバー海峡というあたりに、おそらく二百〜三百棟くらいあります。ただ日本より植物の種類が少なくて、ほとんどこのイチハツだけなんです。日本の場合はイチハツ、ユリ、イワヒバなど、ほかにも種類があります。中でもイワヒバはいちばん格が高いんです。フランスの場合は種類は限られていますが、しつかり保存されています。
「タンポポハウス」というぼくの家です。尖った屋根の上に緑があって、芝棟になるので、あとは帯状にタンポポを植えることにしたわけです。いろんな事情がありまして、最初からタンポポを植えようと思ったわけではありません。
そもそもは超高層の壁面緑化、下から上までツタを生やそうなんてことをおもしろがっていっていたんです。ツタは東京の例ですと一株で十階分伸びるんです。五十階の超高層ビルなら、五株で包めます。すると上からだんだん紅葉してくるとか、紅葉前線本日は三十七階です、明日は三十二階まで達します、とか、いろいろ話してておもしろい。だけど、紅葉は終わったあとがきたないと指摘され、芝生とか雑草なら、枯れた葉っぱがサワサワ揺れてけっこうきれいなので、では、超高層の壁面を雑草で全部埋めてしまおう、といってもちょっと味気がないから、代表のタンポポにしようか、超高層タンポポ仕上げということをいったわけです。超高層が、春先になると上のほうからだんだん黄色くなって、ある時期になると綿毛になるわけですね。これはすばらしい。風が吹くと綿毛がパーツと飛んで、霞の中のように見える。おまけにそれを日本タンポポにしよう、すると西洋タンポポを駆逐することができる、というようなことをいってました。
しかし、そんなことをぼくに頼む人なんていないわけです。ですから、わが家であればということになって試みました。ジェンナーは種痘を最初に自分の子どもにしたそうですが、さあ、気分はジェンナーで、自分の家でタンポポ仕上げをやろう、ということになったわけです。
屋根下地ですが、とても苦労しました。最初は土をべったり入れようと思いました。すると、防水した上に屋上庭園の普通のやり方で土が流れないような工夫だけをすればいいので簡単です。ところがそうすると雨水がいつまでも抜けないで、ジワジワしたたることになります。それを防ぐために根太のようにステンレスをアンカーで浮かせて、そこにポット状にパンチングメタルで透水シートを取り付けて、水がすぐハケるようにしました。この工事がたいへんでしたが、これは諏訪の鉄平石を扱う職人さんが来て、一生懸命やってくださいました。今、屋根用に鉄平石を葺いているのがぼくだけですから、おもしろがってやってくださる。
最初は何か冗談のような感じなんですけど、柏木屋さんもタンポポを集め始めたころから一生懸命になってきて、このころになると、みんな乗ってくるんです。春先に集めたタンポポ千株を、屋根の上で造園するのは二度とないだろう、とかいって植えるわけです。
しかし、屋根は四十五度の角度がありますから、芝生が流れてしまうんですね。したがって盛り土の上を金網で押さえて、内側からステンレスの折り金で引っ張っています。もちろん芝生ですから根を張れば大丈夫ですが、それまでの間、きっちりかたちをとっておかないと雨で崩れてしまいます。芝生を使ってタンポポを三十センチごとに一株ずつ植えるかたちにしたんです。
春先、タンポポが屋根のてっペんから咲き出しました。やっぱり上のほうが暖かいようです。ぼくはいちばん密度のあるところにカメラを向けて撮ったんですが、このくらいが限界です。日本タンポポのツタ帽子が一面に、という光景もまずあり得ないようです。やっとひとつツタ帽子ができたときにようやく次がのんびりと実を結ぶといった感じで、西洋タンポポなら一斉にワッとくるんですけど、日本タンポポはやっぱりパワーがないんです。しかもタンポポの花は、見上げてしまうと目立たなくなってしまうのです。
全景はだいたいイメージ通りなんです。ただ、東京の国分寺市という郊外住宅地にあるんですが、まわりの家と合わないんですね。基本的に、自然素材で荒っぼくつくると、特に郊外の新建材を使った建築とは決定的に合わないんです。
タンポポは梅雨時に終わってしまって、秋にまた芽を出すんですけど、梅雨から秋が終わるまでポーチュラカという花を植えています。
ぼくの理想は、体から毛が生えるように植物を生やしたいということです。建築から産毛のように、植物を生やしたい。建築という人工物と、植物という自然のものを共存とかではなく一体化させたいんです。ぼくは寄生といってるんです。そうすると、建築と楠物の関係がよくなるのではないか。お互いに引き立て合う。花が花で独立しちゃうのもまずい。そこが非常にむずかしい。
三角形のビラミット状の屋根のてっぺんに木を植えるという試みです。ぼくも自分の家と違って、他人の住宅のてっぺんにマツを植えてもいいですか、と訊くときは躊躇します。ですから最初はいわないようにしています。スケッチの段階ではぼかしているんです。屋根の頂上は、ただの点々にしていました。お施主さんも何となく、ぼくが変なことを考えているのがわかっていらっしやる。そこを後回しにして、プランとか、壁とか内装とか屋根の材料を決めていきます。そのうちどうしても、最後にそこの問題になるわけです。そこで、雑談しているうちに向こうから切り出してくれました。うちでは何を植えるんですか、と。ほんとうにホッとしました。
お施主さんは海岸沿いの古い家に住んでおられて、その家が、重要文化財になって、ぼくがいろいろお手伝いしたので、ぼくに住宅を頼みたいといってくださった。大きな家はイヤで、ちいさな家をつくってそこに越したいとおっしゃるので、重要文化財になった家の庭に生えていたマツを抜いて屋根のてっペんに枯えました。
マツの縁がだんだん濃くなって、屋根の銅板が緑青色になるんです。緑青は、ミドリのアオですから、マツの緑がしたたって銅板の緑になるという、なかなかいい話だと勝手にぼくは思っているんです。
でも、引き渡しのときにはやはり気を遣いました。ちょうど年末ぎりぎりでクリスマスが近づいていました。施主の奥さまは車に乗って来られて、降りてから、屋根を見てゲラゲラお笑いになった。笑ってしまったということはもう認めたと同じことですから、安心してマツのランプを点けました。電飾を仕込んであったんです。そうしたら、それを見て拍手喝釆です。そういうユーモアのわかる方ですから喜ばれました。今は、「太郎松」という名前がついています。ときどき様子を写真で知らせてくださいます。
最後は「ニラハウス」です。作家の赤瀬川原平さんの家です。今までやってきた中で、屋根のてっぺんに草を植えたりマツを植えたりというのは上手くいったと思っているんです。だけど、屋根面とか壁面に草を棺えるというのは、自宅で試みましたが上手くいってないのです。それで、いろいろ考えましたが、皮膚から産毛が生えるように、スポット状に何かを点々と植えたらどうか。できるだけ細く、縦に伸びるようなものを植えればいいと、思いついたのが「ニラ」です。
最初はできるだけ住みやすくして、雑誌に出るようなことはしないほうがいいんじゃないかと思っていたんです。そこで普通にやるといったら彼が「せっかく君に頼むんだからちょっとは何かしてくれないか。」それを聞いたとさは、ものすごくうれしかったですね。ゼロというのは客観的ですが、「ちょっと」の加減は人によって違うわけですから、とくにぼくの場合はですね。
ふたつ考えました。屋根にスポット状にニラを植えるということと、もうひとつは玄関の入り口の橋を跳ね橋にする、というふたつです。赤瀬川さんは原稿を書いて暮らしている人ですから、原稿ができていないときは編集者が来ても跳ね橋を上げておくわけです。それから家を出るときはヨーロッパのお殿さまのようで気持ちいいわけです。赤瀬川さんは、それは何だかいやだというんです。ぼくは屋根にニラを生やすほうが変だと思っていましたが、それのがまだいいというのです。
屋根は、特殊な鋼板を使って、上に根太を流して、そこに横に板を張って穴をあけてポットを入れる、ということになりました。特殊な仕事はすべて素人でやりました。プロではお金がいくらかかるか見積りができないんです。ニラを子株くらい育てて、植木鉢に入れて運んできて、そんな仕事はもう計算ができません。そこで知り合いに頼もうということになりました。板を張って丸い穴をあけるところまではプロがやってくれます。植木鉢を用意して、そこにニラを入れて、植木鉢の下に水受けのコップを置きます。植木鉢の口をちょっと欠いて、そこにビニールのホースをまわして、ホースはアルミのアングルで受けるんですが、アルミのアングルより先のことはすべて自分たちでやるわけです。屋根のペイマツには塗装をしていないのですが、下地に雨水が抜けるようにしておけば問題はありません。最盛期には十数人、多かったときは三十人くらい来ましたから、どんな仕事もそれくらい人がいれば、アッという間にできます。
茶室の天井ですが、積み上げた薪を逆光で見ると、薪の隙間から光が落ちてきれいなので、それを茶室の天井でやろうと思いました。ただ、どうやってつくっていいかがわからない。薪のアーチをつくるんですけど、薪の隙間に何かを詰めると光が入らない。結局、リブをつくって、そこに薪を並べて、針金を通してつるし柿みたいに縛るという、ちょっと変わった方法をとりました。
できたときはうれしかったですね。光が積み上げた薪の隙間から入ってすごくきれいでした。特に壁のザラザラ感、落ちる光の荒さがいいんです。時間によって下まで光が落ちると何となく国籍不明の茶室という感じです。
さて問題は、ニラがどうなったかですけれども、八月に入った頃、日曜日だったんですが、赤瀬川さんから電話があって、屋根の様子を見てほしい、というので、何かトラブルが起こったかなと思って行ったんです。
やっぱり環境がキツいせいか、九月に咲く予定だったニラの花が、咲さ始めていたのです。ほんとうにうれしかったですね。植物が建築の邪魔をしていないといいますか、産毛にしてはちょっと長すぎるような気もしますが、すごく建築と植物の関係がいい状態になっていました。風が吹くと白い花がサァサァと揺れるんです。昆虫がいっぱい飛んでくるんです。ほんとうにきれいです。
現代建築の中に自然の素材を取り入れ、なおかつ、お互いを上手く引き立てるようなことをするというぼくの考えが、やっといい成果を得ることができたと思いました。