アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
講演をするたびにいつも考えるのは、ことばでプレゼンテーションする場所で、みなさんに何を伝えようか、何かお伝えするだけのことがあるか、といったことです。作品を紹介するのはあまり好きではありません。建築は実物ですから、現地に足を運んで見ていただくのが一番いいと思います。私が普段考えていることは、そう目新しいことではないと思いますが、その一端を聞いていただいて、みなさんといっしょに新しい価値を考えていきたい、つくっていきたいと思います。
今一番気になることは、どうも若い世代の建築家が未来を悲観的に考えているのではないかということです。要は建築を考えたり、設計したり、デザインしたりすることに希望があるのか、ということです。結論からいえば、希望はあるといいたいです。今日、一貫していいたいのは、そういったことです。
村上龍の『希望の国のエクソダス』という本の中に、「希望だけがあって、モノがない時代」それから「モノがあって、希望だけがない時代」という非常に面白い、象徴的なことばがあります。私は1950年生まれです。戦後生まれとはいえ、子どものころはまだ本当にモノがありませんでした。今は状況が逆転してきて、世情も違っています。戦後、日本がスタートした直後は、モノはないけど希望だけはありました。これから、どんな建物をつくろうか、どんなライフスタイルをつくろうか、どんな国にしようか、そういったことをみんなが考えた時代だったと思います。今はコンビニエンスストアにいけば、そこそこ飢えないだけのものが手に入るし、よほどのことがない限り飢え死にはしない。その代わり、どのような世の中にしようとか、どのような希望をもったらいいか、という希望だけがありません。しかし、ここでいいたいのは、だからといってニヒルになってはいけないのではないか。この重圧に耐えることで新しいデザインの生まれる素地ができるのではないかということです。
例えば大阪の街を見ます。何やら建物がごちやごちやと建っています。住宅も密集して建っていて、これが町並みといえるでしょうか。東京も、各地の県庁所在地も同じです。でも考えてみるとこれは、戦後五十年でつくってきた風景です。すると、今見ているのはすべてこれまでの五十年でできた町並みです。それならばこれからの五十年で、私はたいがいのことはできると思っております。どういう世の中にするかを考える時期にきているのではないかと思います。
1999年の10月にソウルでARCASIA(アルカシア)の大会がありました。アルカシアというのは、インドからこちら側のアジア諸国とオーストラリアの建築家たちの集まりで、UIAの下部組織です。その大会でスピーチをしました。シンポジウムがあったんですが、アジアではとにかくとんでもないことが起きています。それは、ある種のグローバリゼーションです。
タイの建築家協会の副会長は私のかねてからの友人でして、その会場で会ったときに、「内藤さん、92年から今年までのこの八年間に、バンコクでスカイスクレーパーがどれだけ建ったと思いますか」と訊くので、「五十棟くらいですか」と答えましたら、「違います、二百棟です」というんです。赤道直下にエアコンディションをベースにしで二百棟の超高層が建つ。私はバンコクには何回も行ってるんですが、「それは知らなかった」といったら、「それだけならまだいいんですが、ゴルフ場も二百箇所できました。赤道直下でグリーンを維持するために、ある種の膨大な環境破壊をしているのに、自分たちはそういうことに対して何のビジョンも提示できなかった」と、切々と私に訴えました。ほかの国も似たような状況です。何かを考えなくてはいけないときになってきたのです。