アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
われわれは温度に関する感覚、湿度に関する感覚、そうしたコンテンツを磨かなければならないといいましたが、そればかりではなく、その場所の空気をいかに感じて自分の中にため込むことができるかが、これからの建築を考えるのに大事なことではないでしょうか。
それから、人間のことをもう一度思い出すということです。そういうことを私自身の空間を感覚的に語るだけではなく、データとしてためていきたいと思っています。そのために私は、温湿度計と徴風速を測る風速計をできるだけ持ち歩いています。
例えば、とても気持ちのいい場所があるとします。さわやかな風が吹いて、遠くから音が聞こえてくる、そのときにどのくらいの室温なのか、われわれの五感のデータのようなものを数値に置き換えないと、それをエンジニアに伝えることができません。そういうことを可能な限りどんどんしていきたいと思っていますが、私ひとりがこんなことをしているだけではだめで、建築の設計に関わる人たちみんなで集めたデータを建築のソフトに戻していかなければなりません。
コンピュータの技術はものすごいスピードで進化していますから、それに対してソフトウェアをどういうふうにつくっていけばよいか。建築家の場合にはこういうニ−ズがあるんだという情報発信をすれば、温度センサーや気流センサーの話も含めて、ソフト開発がなされるはずです。だから、みんなでもう少し空気環境のコンテンツに対して議論をしてオーダーを出していくと、ソフトウェアのメーカーが、そんなにマーケットがあるんだったらソフトウェアをつくりましょうかということになってくると思います。
空気環境に関して、これまで何回か勉強会をしています。その中で、その勉強会の仲間に、レンゾ・ピアノやリチャード・ロジャースといっしょに仕事をしているアラップというイギリスのエンジニアリンググループの空気シミュレーションの現状をサーベイしてもらいたいと頼みました。
ロジャースがベルリンで進めているベンツの本社ビルのプロジェクトに、徴気流、要するに非常に速度の遅い気流を使って空気をコントロールするという提案をしていて、それがとても気になっていました。世界の最前線はどの程度まできているのかをちょっと知りたいと思い、探ってもらいました。すると、われわれが現状で知っていることと大差ないという答えが返ってきました。つまり今、世界中でどこもまだアドバンテージをとっていない、むしろこれからの問題だと思っています。
さらに、冒頭でアジアの話をしましたが、実はアジアの人たちも困っているわけです。本当は、アジアこそがエアコンディションの概念に対して新しい価値の構築をしなくてはならない場所です。赤道直下でオイルの値段が十パーセント上がったら使えないようなスカイスクレーパーなんておかしな話です。もっとエネルギーロスの少ない都市なり建築づくりをしなければなりません。東南アジアの人たちは、日本がどのように、このグローバリゼーションの波を受け止めて、新しい都市像や建築家像をつくるかということに非常に注目をしています。そういう意味でも、われわれの身近なところでいろいろな試みをしていく必要があると思います。
さきほど「聴竹居」の話をしましたが、1920年代の後半には、藤井厚二のような人が早くもそういうものに果敢に挑戦していました。そういう動きがもっとたくさんでてきてもいいのかもしれません。今はコンピュータと情報通信の時代ですから、そういった技術を使って高度に空気環境を考えていくことは、今まで私たちが考えたのとは違うまったく新しい建築を生み出す可能性があるのではないかと思います。
今日は建築に希望があるかという話をしましたが、私自身は、建築はようやく面白くなってきたという感じがしています。ようやく建築の新しい価値について論じられるような技術的なベースができつつあり、その中で新しい建築を実現させていく。私自身もそういうものを目指したいし、見てみたいです。だれかがそういうものを実現してくれたら、うれしいと思います。そのために、賛同者を多くつくって大きな流れができたらと思っています。
ふたつ目はビルバオの「グッケンハイムミュージアム」です。これも去年見てきました。今、世界でいちばん話題に上る回数が多い建物で、フランク・O・ゲーリーという建築家がビルバオに呼ばれて建てたニューヨークの「グッケンハイムミユージアム」のアネックスです。これが二十一世紀の建物だといってさかんに褒めそやされていますが、人間というのは見たこともないものが出てくるとぴっくりして判断を誤るのではないかと思います。
私もとても期待を込めてこの建物を見に行きました。結果として私がいいたいのは、この建物も「ファンズワース邸」と同じだということです。つまり、特異な形やふるまいをしていますが、内部空間には、箱の中に閉じ込められたような、とても息苦しい感じがありました。
もちろんこのふたつの建物の形は極端に違います。けれども、ビルバオのグッケンハイムの中で感じたものと「ファンズワース邸」の中に足を踏み入れたときに感じたものが同じだったんです。それはなぜかと考えると、基本的にこれらの建物を支えているのは二十世紀のテクノロジー、エアコンディションの概念を基にしたテクノロジーだからだと思います。かたちの異様さや前衛性は確かにあるにしても、新しさを感じなかった理由はそれです。やはり二十一世紀の建物という評価は違うのではないか。本当に新しい建物が出現するとしたら、もっと違う空気をもっているのではないかと強く思いました。私は、基本的にはビルバオのグッケンハイムは古い種類の建物に属すると思っています。