アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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内藤 廣 - 「牧野富太郎記念館」をめぐって
「牧野富太郎記念館」−風の面白さ
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東西アスファルト事業協同組合講演会

「牧野富太郎記念館」をめぐって

内藤 廣HIROSHI NAITO


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「牧野富太郎記念館」−風の面白さ
「牧野富太郎記念館」−風の面白さ
地面に伏せるように低く抑えられた屋根の形状
地面に伏せるように低く抑えられた屋根の形状
展示室内部。屋根頂部のキール梁が穏やかにカーブする
展示室内部。屋根頂部のキール梁が穏やかにカーブする
キール梁と大断面集成材のジョイント詳細
キール梁と大断面集成材のジョイント詳細

牧野富大郎さんは亡くなられて何十年も経ちますが、まだ全国にファンがたくさんいます。それほど人間としても魅力的だったようです。ご存知のようにわが国の植物学の基をつくった人です。日本の植物の三分の一近くを命名したといわれています。

ともかく自然を愛した人で、自分は草花の精だ、恋人だ、といってはばからなかったそうです。余談になりますが、牧野さんのすばらしさは植物を愛したことだけでなく、植物に対するものすごい知識量とそれを正確無比に描き出すアーティストとしてのすばらしさです。

牧野文庫という五万冊の収蔵物がありますけれども、中に入ってびっくりします。重要文化財級の書物がたくさんあって、研究者が中に入ると、出てこられなくなるほどすばらしい蔵書です。本草綱目であるとか、徳川慶喜が静岡に引き上げたときにもっていった植物の蔵書であるとか、杉田玄白の解体新書の初版本が整然と並んでいます。

私は「牧野記念館」にだいぶ入れ揚げましたが、それは牧野さんのドローイングを最初に見せてもらったからです。彼岸花のスケッチで、学芸員の方にルーペを渡されて見てみると、五ミリ幅くらいの茎が描かれている、その中にさらに十数本の線が引かれていました。フリーハンドです。ルネッサンスのころのエッチングに匹敵するくらいだと思います。牧野さんはこういったドローイングを、自分のアートとしてではなく、目の前にある植物をどのようにして写し取れるかということだけを考えて描いていました。とても客観的で、冷徹で、なおかつすばらしいので、行かれることがあったらぜひ目を凝らして見てください。

敷地は高知県郊外の五台山の山の上にあります。五台山には竹林寺という四国八十八筒所のなかでも大事なお寺があって、高知市民ならだれでも一度は登ったことのあるようなシンボリックな山です。その山の頂上に、170メートルの回廊でつないだ合計5,500平方メートルくらいの本館と展示館の二棟の建物をつくったのですが、ずいぶん悩みました。

「牧野富太郎記念館」空撮。回廊でつながれた展示館(手前)と本館(奥)
「牧野富太郎記念館」空撮。回廊でつながれた展示館(手前)と本館(奥)

高知市はご在知のように台風銀座です。それがなおかつ山の上にあるので、敷地の条件はほぼ最悪です。太平洋からくる潮風はまず五台山に当たるといっていいくらいですので、もちろん風に対してプロテクトしなければならないし、雨は下から隆るといわれているほどのものすごい豪雨です。それをどうやってクリアするかということで、基本的にはできるだけ造成を少なくして自然地形を使って伏せる形を当初から考え、施工者といっしょになって実験をしたりしてディテールを決めていきました。分節型で細かく屋根が分かれるようなもの、膜構造に近いようなサスペンションを使ったものなど、模型は三、四十個つくりました。地形をいじらないように、建物の周囲をできるだけ低く、庇線をとにかく木よりも低く下げる、というようなことを軸に形を決め、大きな展示室を高さを含めてきれいに収めるにはどうしたらいいか考えました。

途中の段階で構造家の渡辺邦夫さんに、やっぱり一体型で考えたほうがいいんじやないかといわれました。私も迷っていました。分節すると、水に対しての弱点がたくさんでてきます。特に吹き付ける、あるいは下から降るような雨に対して弱点をたくさんつくってしまうので、全体的にスムーズに屋根を架けたほうがいいのではないかということになって、そこから悪戦苦闘が始まりました。基本的には大きなキール(背骨)を渡し、しっかりした土台を設けてそこに結び、建物全体にかかる力が最終的にはキールを伝わって足下で処理されるということで建物の形を決めました。

配置 上が本館、下が展示館
配置 上が本館、下が展示館

ほぼ形の決まった段階で、風工学研究所で風洞実験をしてもらいました。私が行ったときは、ドライアイスの煙を使って模型の回りの風の流れが目に見えるようにしてもらいましたが、実際は模型の中に二百個くらいのセンサーが入っていて、それをコンピュータに直結して、いろんな風の状態を解析するわけです。本当にこんなことをするのかな、と思うくらい大がかりな話です。今日お話しした空気環境のことは、実はこの「牧野記念館」で風のことをいろいろやっているうちに考え始めました。以前から設備の話はしていましたが、設備ではなく、空気環境というテーマで、これをどうやってマネージングするかが面白いのではないかと考えたのは、このときからです。

実験をしてみて驚いたのは、風はわれわれが思っているのとはまったく違う振る舞いをするということです。場所によっては一平方メートルあたり一トンの風圧がかかります。でもちょっと離れるとそこはもうゼロに近い値です。地形的にも、ある場所ではものすごい風の応力が効いていても、そのすぐそばではほとんど効いていない。つまりそのくらいデリケートで変わりやすくて、目に見えないけど変化が激しいというのが風の面白いところです。

風工学研究所の人と話をしていたときに、潜水艦のようなティアドロップ型とか、飛行機みたいな流線型の形状の建物がいいのかと訊いたら、必ずしもそうではないというんです。建築として面白いところですが、潜水艦のような独立した力学系で風を処理する場合と、建築のように地面に張りついて最終的に力を地面に伝える力学系とはまったく違うもので、必ずしも建物の表面をすべすべにすればいいわけでもないとわかりました。

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