アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
本日は「明日の建築を考える」というテーマで、最近の作品をいくつかご紹介させていただきます。
早速ですが、まず初めに、少し結論めいた話をさせていただきます。
今われわれがつくっている建築とは、基本的には20世紀初めにル・コルビュジエ(1887〜1965年)やミース・ファン・デル・ローエ(1886〜1969年)のような師匠たちによってその礎が築かれた近代主義の建築、つまり、モダニズムの建築です。私自身もどっぷりとそのモダニズム建築の中にひたっているのですが、そこからさまざまな問題が見えてきました。
近代主義思想の下では、「発達する工業技術を利用して短時間に大量の建築を世界のいかなる地域にも提供し得る」という機械論的世界像に基づいて世界の都市は均質になりました。そして、その近代主義思想に基づいた都市や建築には、次の三つの特徴があると言えます。
ひとつめは「自然を排除する」、ふたつめは「場所の違い(地域性)を排除する」、そして三つめは「土地に固有の歴史や文化を排除する」です。このような世界が実現してしまっていることが、きわめて問題ではないかと私は考えています。
これに関して、私が嫌と言うほど身にしみたのは、東日本大震災以後の復興計画においてです。私はその復興計画で、岩手県釜石市を中心に何度も通い、さまざまな提案をしました。釜石市だからこそできる復興計画をつくりたいと思って臨んだのですが、それらはすべて実現しませんでした。なぜ実現しなかったかというと、現在、国あるいは県が進めている復興計画が既にあり、それに基づかない計画には予算が与えられなかったからです。その国や県による復興計画は、単純には以下のようなものです。まず津波によって破壊された防潮堤をもう一度つくり直し、土地を嵩上げします。そして、その嵩上げに必要な土砂を得るために山をカットし、それによってできた山の平地に住居は高台移転をする、というものです。これが基本原則であり、それ以外の復興事業には予算がつかない、ということなのです。その結果、釜石も荒浜も石巻も、あらゆる被災地がまったく同じ方法で復興されていくのです。きっと、おそらく数年後には、どこも同じような街ができてしまうのでしょう。このような、平等主義による均質化は、なにも復興計画だけに限った話ではなく、20世紀につくられてきた土木、建築の特徴であり、都市においてもまったく同じような傾向が見られるのです。
ここで、あるイメージをご覧いただきたいと思います。これは、私が最近描いている東京のイメージです。少し極端な表現になりますが、出張で海外へ行って戻ってくるごとに東京には新しい高層ビルが建っていて、その分だけ東京の歴史が消えていくような印象を受けます。それは東京に限らず、世界中の都市が似たような街になってしまっていて、それぞれの街が持つ歴史が消えているのです。つまりそれは、地域性や文化も消えていくことに他なりません。みんな同じようなマンションに住み空調された人工環境の下で、南向きでも北向きでも、ほとんど変わらない生活をしている。高層化すればするほど、どこも均質な環境になっていくのではないか、というイメージです。
人間も動物ですから、暑い時には暑さを感じ、寒い時には寒さを感じる。陽の当たる時、当たらない時。晴れた日、雨の日……そういった季節感や時間の感覚がなくなっていくと、人間の感受性も衰えていくのではないかと危惧の念を抱くようになりました。
近代主義思想の下、自然も、場所の違いも、土地に固有の歴史や文化も排除し、その上に成り立ってきた都市において、もう一度、自然との関係を回復するにはどうすればよいのか。きっとみなさんも考えておられると思います。私もいろいろと試行錯誤してきました。もちろん、私は思想家ではありませんから、建築をつくりながらの試行錯誤です。あの建築では、ここまではできて、ここまではできなかった、というトライアンドエラーを繰り返しながら多少進化しているつもりです。
その試行錯誤のいくつかを、これからご紹介したいと思います。