アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
ここからは同僚であり、出身大学の東京藝術大学では後輩にもあたる岡田耕治さんに進行していただきます。私の実体験に基づいて、できるだけ包み隠さず、組織の中でどのように設計を行っているのか、その実態についてお話ししたいと思います。岡田さん、よろしくお願いいたします。
「イトーキ大阪ニューオフィスギャラリー」のスケッチ
「イトーキ大阪ニューオフィスギャラリー」南側夕景
——岡田耕治(以下、岡田) よろしくお願いします。今日は、会場の皆さんの代弁者として、また大谷さんや日建設計の内幕を知る者として質問を投げかけていきたいと思います。まず、大谷さんが入社した頃に担当したプロジェクトについて教えてください。
私が日建設計に入社してはじめて担当したプロジェクトが、大阪市の「イトーキ大阪ニューオフィスギャラリー」(1989年)です。南北軸を通る堺筋沿いにあり、南側に開けた敷地です。堺筋の南から北へ進む車の流れに合わせて楕円形の外観をデザインしました。外装は20センチメートル角の白いガラスブロックと、10ミリメートルのステンレス製目地を組み合わせた乾式工法を採用し、カーテンウォールとして吊るしています。内部は、まるで障子を透過したような光に包まれた空間です。とても手間のかかる工芸細工のような建築ですが、阪神淡路大震災を含めて現在まで一つのガラスブロックも破損しておらず、今も家具のショールームとして使い続けていただいています。建設当時、私は施工現場に毎日のように通っており、立ち上がっていく建物と向き合いました。その中でも特に印象に残っているのが、すべての足場を取り外す大バラシのある日曜日のことです。私は徐々に現れる建築の姿を一日中現場に張り付いて見入っていました。図面を何度も引き直し、模型をつくりながら考え続けた建築が、原寸大となって目の前に現れてくる迫力と感動は今でも鮮明に覚えています。そして、多くの方の力を結集しなければ、到底よい建築は実現できないのだと強く感じました。入社したての私にとって組織内の人だけでなく、外部の協力者も全員が経験豊富な年上の人びとです。そうした方がたに助言をもらいながら一つのチームとなって設計を進めていく面白さに気付きました。
右:ガラスブロックのカーテンウォール
左:カーテンウォールパネルの1枚W1m×H3m
10ミリメートルのステンレス製目地を組み合わせた乾式工法
大バラシの様子
「イトーキ大阪ニューオフィスギャラリー」ショールーム内観。
外光がガラスブロックを透過する
ガラスブロック縦断面詳細
ガラスブロック横断面詳細
「イトーキ大阪ニューオフィスギャラリー」各階平面
次に担当したプロジェクトが、住友財閥の礎を築いた別子銅山の開坑300周年を記念した「新居浜市立別子銅山記念図書館」(1992年)です。もともと住友家の接待用の旅館が建っていた庭付きの広大な敷地に図書館を新設し、庭園などの土地も含めてすべて市へ寄贈するという内容でした。当時はバブル経済の絶頂期にあり、非常に恵まれた事業でした。これを幸いなことに担当させてもらいました。建物は、庭園の既存樹を避けるように配置しています。特徴はドーム状の屋根で、梁せい250ミリメートル、最大で50メートルのスパンの鉄骨を用いています。楕円形のため、半径の異なる25本の梁を組み合わせて4分の1の扇型をつくり、それを4組合わせて一つの楕円となります。合計100本の梁で構成されています。こうした複雑なことでも実現してくれるのが日建設計のエンジニアリングの力です。こうした恵まれた環境で設計できたこと、任せていただいたことは、本当にありがたいことだと感じています。
「新居浜市立別子銅山記念図書館」閲覧室の楕円形の天井
配置
「新居浜市立別子銅山記念図書館」矩計
屋根架構のモデリング
空撮
——岡田 この二つの建築を、20代の中盤から後半にかけて担当したということがまず驚きです。しかも入社したての新人です。当時は、大谷さんのように若い人が活躍できる機会に恵まれていたのでしょうか。
入社した1986年当時はバブル景気が始まる直前で、1988年頃から急速に受託が伸びたため、社内で担当できる人手が圧倒的に足りていませんでした。そこで私のような経験の浅い若手でも、重要なプロジェクトを担当することができたのだと思います。また、当時の上司が、私の性格を面白がってくれたこともプロジェクトを進める原動力となりました。当時の社会背景もあって若くしてプロジェクトを担当できましたが、それも組織あってのことです。日建設計には私にはない知識や能力を持った人が多く集まっています。たとえば構造や環境、ファサードのエンジニアの達人たちです。彼らを味方につけてプロジェクトを進めることが一番大切です。
続くプロジェクトも実体験に基づいてお話しします。新大阪に建つ「キーエンス本社・研究所」(1994年)では、変わった構造を採用しました。発想の原点は蔀戸(しとみど)です。蔀戸は寝殿造などに見られる外装建具で、開けるときは、押し上げて長押しに吊り、庇のようにします。これによって水平に連続する開口部が一挙にできるのですが、この広がりある開口を高層ビルでつくるにはどうしたらよいかを考えました。ある時、柱梁を45度回転させることで、キャンティレバーによりコーナーに柱を設けない開放的な超高層ビルになるのではないかと考えました。アイデアはあるものの構造的に成り立つのか分からず、同期で入社した陶器浩一さんに構造エンジニアとして参画してもらいました。提案の時のスケッチでは、45度に振った平面の外側に配置した三角形のコア柱を、1本の梁を架けて繋いでいます。
その後、陶器さんと相談して2本の大梁を渡し、コアの形状も少し変えました。最終的には蔀戸のような建具ではなく、反射ガラスのカーテンウォールで外装を仕上げました。ちなみにこのプロジェクトは数社が参加したコンペティションでして、提案パースは私の大先輩で、ファサードエンジニアの千葉春海さんに描いていただきました。外側に配置した太く剛強な組柱からキャンティレバーでフロアを持ち上げることで、コーナー部分に柱を設けることなく開放的な空間です。また組柱としたことで建物を持ち上げて、地上部分に広いピロティを設けています。このような大胆な設計提案を受け入れて実現することができたのはひとえにクライアントの英断があってのことです。
「キーエンス本社・研究所」提案時のスケッチ
4つのコアに架かる梁のスタディ
ダイアグラム
「キーエンス本社・研究所」のドローイング
「キーエンス本社・研究所」の遠景ドローイング
——岡田 私が入社した当時、「イトーキ大阪ニューオフィスギャラリー」や「新居浜市立別子銅山記念図書館」、「キーエンス本社・研究所」を見て、デザインの格好よさばかりに目がいっていましたが、構造などエンジニアリング面の裏付けが深く考えられているのですね。
私は芸大出身なので、感覚的に実現できるだろうという予測は立つのですが、工学的な裏付けができません。日建設計には分野の異なるさまざまな専門家が近くにいるので、そうした環境を最大に活用すべきだと思います。私の役割は強いて言えばエンジニアをけしかけることです。彼らの発想を刺激する面白いアイデアを持っていき、それに相手が応えてくれることではじめて実現できます。
「キーエンス本社・研究所」基準階架構パース
組柱詳細
基準階平面
断面
「キーエンス本社・研究所」遠景
地上部の吹き抜け。東側アプローチ